先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

冷蔵庫カスタマイズ


いつもの、プラバン加工、アロンアルファ接着だけのシンプルな作業ののりで
冷蔵庫内の機能向上を図ってみた。


ちょっと貧相だけど、
・底部を密閉してちいさなものでも落っこちないようにしたり
・ボトル脱落防止にステーを一本追加したり

実用性・機能性は飛躍的に向上。
カラシ・ワサビ・醤油のパックがよく落っこちるんでいやだったんだよね。
マヨネーズのチューブも脱落するんで置き場所に困ってた。
ボトルコーナーも、飲み物系紙パック&ペットボトルは落ちないんだけど、焼き肉のたれサイズでは脱落しちゃうという…


庫内のプラ部分をカッターで切削して、ダンボールステーがぴったりはまるようにする。
元々あった丸棒ステーだけでは頼りないので、ダンボールの芯材にする。


ダンボール箱も、よれよれで弱く軽量の製品(たとえばトイレットロールとか)を入れるようなのはもろいので採用せず
なるべく堅くて強度負けしないヤツを選定。和菓子屋が楽天注文で送ってきたヤツがけっこう頑丈だった。
紙の比率が多いのは軽量でもろい(コスト安)。ボール材を固めるための樹脂比率が多いヤツは重量があり頑丈。
これは新聞のチラシとおなじ。


紙器の、製造とか封入とか使用あたりのアルバイトもけっこうやってきたので
ダンボール系で強度を出したり、設計造形したりと、そういうのもわりと得意。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120514/232010/
 バルーン用観測装置も勝重の発想が生きた。バルーンの目的は太陽観測であり、観測装置は常に太陽を捉える必要がある。ただ、ふわふわと浮いているバルーンは風向き1つで向きを変えてしまう。そこで、勝重は観測装置の両側に太陽光パネルを設置、観測装置の向きがずれて太陽光パネルに光が当たると、方向を修正する仕組みを取り入れた。聞けば仕組みは単純だが、なかなか思いつくものではない。

 勝重はよく「無から有を生む」という言葉を使う。事実、三鷹光器は世の中になかった製品を作り、社会に展開していくことを繰り返してきた。もっとも、「無から有を生む」と言葉で言うのは簡単だが、誰にでもできることではない。それなのに、なぜ勝重には可能なのか。それは、「常に自分の頭で考える」という勝重の生き方と無縁ではない。
創造力の原点はこどもの遊び

 他の子供がそうだったように、子供の頃の勝重も創意工夫を働かせて自分の遊び道具を作った。

 遊びで使う刀を作った時のこと。木を鉋で削って刀を作ったが、どうしても日本刀の反りが出せない。いろいろ考えた勝重は野川の土手に生えていた低木に石をぶら下げた。石の重みで木がしならせるためだ。そして、ちょうどいい反りが出たところで木を切り、刀を仕上げた。絵を描くための墨がなかった時も、天文台で紙の燃えかすをもらって墨汁を作った。裏を返せば、自分の力で考え抜くという行動原理が見についたのは何もなかったため。モノがなければ考える――。人はそういう風にできている。

 だが、現実を見れば、遊びの中で創意工夫を発揮する場面はめっきり減った。何かを作ろうと刃物に触っても、「危ないのでやめなさい」と大人は止める。「無からモノを作る原点は子供の時の遊び。そう考えると、今の子供はかわいそうだね。だって、遊びまで大人が取り上げているからね。子供ほどの天才はいないのに」と勝重が嘆くように、遊びを通して何かを作るという機会は失われつつある。


きのうはヒマだったので、


落ちてる鉄モールハンガーをまげて、ベランダの遮光カーテンのペグにして岩石に巻き付け、地表面に固定した。
すぐ近くの駐車場のカラーコーンが壊れて寝伏していたんで、落ちてたナイロンバンドで縛って起こしてやった。


きょうは、リサイクルゴミになってたドリップコーヒーのアルミ包装を切り取って、金環日食をみるためのフィルターにした。


ゴミを活用して有効物にする錬金術師。


こういうことは、できるようでも、できない。
いまは子供〜老人までみんな、お店に買いに行くとか、ネットや偉い先生に聞くとか、それしかできないからね。団塊以降はみんな「お客様、王子様王女様」

 もちろん、勝重が幼少期を過ごした昭和20年代と今では時代が違う。だが、作りたい何かを思い描き、答のない中で知恵を絞って理想の形に近づける。この反復運動以外に、創造性を身につける術はない。教科書の知識を積み重ねただけでは、無から有を生む力は得られないということだ。

 そう信じているがゆえに、勝重は社員にものを教えない。


 新入社員に求めるのは、先輩社員の動作を見て覚えること。学歴がどれほど高くても、観察ができない人間はものづくりに向いていないと判断する。そして、実際に触らせる。ドリルやバイトなどの切削工具も使い方は教えるが、コツは教えない。材料も高価な材料を惜しげもなく与えている。

 当然、うまく削れず、ドリルやバイトが破断することも少なくない。結果として、工具や材料は無駄になる。それでも、勝重は気にしない。先輩と自分の違いを観察し、うまくいくように自分の頭で考える。それが、無から有を生む基礎になる、と考えるためだ。「板前が腐ったマグロで刺身の練習をしても意味がないでしょう」と勝重は笑う。


 こういった三鷹光器のやり方は古くさく、時間とカネが余計にかかる。だが、ここまでしなければ、三鷹光器のアイデンティティは維持できない。迂遠に感じるが、自分で解決策を考え抜く癖をつけない限り、無から有を生むことはできないということだ。現実を見れば、勝重が求める人材は減り続けている。人材育成の難しさは増しているが、愚直に人材を育てない限り、会社の未来が描けない。


ちなみに、普段プラモ製作記事で紹介しているミニチュア・マイクロ加工も、きほんは脳神経外科や心臓外科のオペと、加工してるサイズや精度は一緒。デザインナイフ一本で加工していくが、ナイフのサイズもナイフさばきもほぼ同一。0.1ミリづつ切りさばいたり、0.03ミリづつ削ったりする。ただ人体はやり直しがきかない一発勝負なのと(これは金属加工も同じ…一回でも失敗したらオシャカ、たとえ寸法公差より0.001ミリずれてもダメ)、医学薬学知識が膨大に必要であることかな。
プラモはプラモだからこそ「趣味」にできる、いくらでも失敗できる。削りすぎた部分も材をくっつけてまた加工できる。


三鷹近辺は何度か転々と住んだし、大沢や野川あたりでも新聞を配っていた。なるほどね、とは思う。ついぞ神代の温泉には行きそびれたが…
だが真なる三鷹の英雄こそは上連雀先生…
変なメーカーとかけっこうあっておもしろい地域だが



しかし、YSP三鷹では買わない方がいい。色眼鏡が激しすぎて、ちょっとでも貧乏人とか見下されるとまるで奴隷や賤民みたいな仕打ちを受ける(具体的には、新車で大型を買わないと客扱いされず、中古の中型の部品注文ばかりだと以下のような仕打ちを受けるようになる)。まるきり富裕層にしか眼中にないヒドイバイク店である。「クラッチ板なんか自分で交換できますよ、やってみませんか」ともちかけておいて、じつはこれは悪意ある仕打ちなのだ。「切り欠きの位置決めがあるじゃないか、整備マニュアル見ないとわからんだろ」と、作業後に怒鳴り込んでみれば「へ、貧乏人が…からかわれてんだと気付けよ」と陰口を言ってにやにや笑っていた。しかも店長がだ。
整備不良を、わざわざ客にさせるのだ、しかも嫌がらせのために。
人様に、しかもお客様に、いやがらせを重ねるとろくなことを書かれない。コワイ時代になったものだ。
駅前の薬局の店員が刺殺されたりとコワイところでもあるが、まあそこそこおもしろい地域ではあった。僻地の方に行くと農家が陣取っていておかげで道の拡張が遅々として進まない。警察署は建て替え前はまるで要塞…在日とか暴力団に頻繁に襲撃を受けていたんだろうかというような構造だったな。