先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

ミャンマーが垂涎とかもう資本主義は末期


要するに、極貧国にタカらないともう、製造も商売もできやしない。
世界各国が豊かになり始め、富と生産の再分配により、多くの途上国が製造メーカーになってきてるからだ。


ミャンマーほどの僻地まで待望する構図は、ちょっと俯瞰視点で考えたらおかしい。


もはや行き詰まりを向かえたと言ってよい。そろそろなどという悠長な時点ではない。


・無限成長時代の終わり
・欧米式の旧来資本主義の終わり(植民地搾取をアテにした欧米オンリー豊か時代の旧システム…いくらでも世界各地に無尽蔵にある富の収奪強盗が常態化)


・これからは江戸幕府 パックスロマーナ システム…低成長、一時的ゼロ成長マイナス成長
・ガマンし合って、妥協し合って、260年でも生き延びられる、当然に質素倹約の精神もこれまでより促進する時代(富と成長をつづけるかぎり破綻が早まる…すでに現時点でも”極貧の地=エサ”は欠乏している)


げんに中国がインフレ抑制に余念が無いことがその証明。
あれは一国で国際社会にひとしいようなもので、大規模な生産成長が可能になると、本気を出してしまえばあっという間に燃え尽きて、大やけどすることを意味している。


もはや必要なのは、フェラーリの全開走行ではない。リミッターやコントローラーのような制御抑制装置なのだ。
なかには、希有な、いつもフェラーリをすっ飛ばしていても事故らずむしろ安全確保できるマイノリティ変人もいるだろうが、万人がそんな天才的な所行を維持はできないから。


原発事故と、その後の再稼働大慌てにしても同じことだ。もうそんな、核爆弾を常に小爆発させながら多量のお湯を沸かす必要は無いのである…原発という物騒で巨大過ぎるやっかいな代物を資産としてしまった電力業が破綻を恐れている…たったそれだけの理由で再稼働テロが試行されているだけのこと。


あるいはネズミ講のライト版=宝くじ的な考え方もある。世界同時で儲からずに、談合みたいに順番で「大当たりの国や地域」を決めておくというものだ。持ち寄り賞金だからふだんは積み立てのぶん損をする。日本でも一部の山村に風習が残る。

http://ameblo.jp/berg-act/entry-10882200902.html
江戸時代が300年近く続いたのは、超低成長だったからだ、とありました。


うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」 (ちくま文庫)/杉浦 日向子

徹底した中央集権と、地方諸侯への恐怖政治統制いじめ抜き…も主要因。ながらくアメリカがその役割だったが…あすこはとにかく「贅沢三昧」だから…しかも核爆弾と原発の生みの親でセールスマン。
だから英米主導ではもはや限界で、よりパックスロマーナや江戸幕府の手法を得意とする国々が助力・主導に加わっていくしかない。G8がG20になったように。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7481136.html
「治る病気なのに治療が受けられない」人の立場から見れば、「有効な治療法が発見されていなかった」時代よりかえって不幸になっているとも言えます。また進んだ科学技術は地雷や核兵器などにも利用され、昔はなかった多数の人間を簡単に殺傷できる技術も人類は手にしてしまいました。


外国、とくに途上国から見れば日本は天国の
ように思えるそうです。
しかし、当の日本人は天国に住んでいるとは
感じていないでしょう。


昔は、政府による生活保護などは少なかったですが、
その代わり、家族、一族、隣近所が助け合って、なんとか
やってきたのです。それが現代では政府に代わっただけです。
国民負負担率などは、江戸時代の方が今よりも少ないですよ。
江戸時代では、負担は実質3公7民、ないし2公8民に
なっていました。


http://www5d.biglobe.ne.jp/~ezawa/newpage6.htm
2. 「パックスアメリカーナ」  『税務経理』(時事通信社 2002.2.1.号)の巻頭言「フォーラム」から転載 

パックスロマーナは数百年間続いた。そして、19世紀はパックスブリタニカ、20世紀はパックスアメリカーナの時代といわれている。第一次世界大戦で疲弊したイギリスに代わって、アメリカが20世紀の世界をリードしたのである。 


 さて、前回の本欄でパックスアメリカーナの時代が、1989年の冷戦構造の崩壊から20世紀の終わりまでの束の間の10年間であると述べたが、パックスロマーナの数百年間、パックスブリタニカの百年間に比べれば極端に短い「天下」である。20世紀はアメリカの時代という一般的な見方にも反する。