先従隗始・温故知新

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吉田所長の遺産…政府事故調『吉田調書』


ご当人は入院末期になると気弱になられたのか、非公開を希望する方にマルをつけたようだけど


これほど、後世に残すべき価値レベルの高い資料も、いまさら珍しい。


随時、追記していく。


参考 以前のエントリー
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20130709/1373363574
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20130311/1362922788
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20121207/1354840338
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120807/1344266652
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120731/1343660438
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120517/1337184090
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120427/1335452568

http://www.asahi.com/special/yoshida_report/
プロローグ
 政府事故調の最終報告の欠点は、原発の暴走を止めるのは人であり、原発被害から住民を救うのも人であるのに、当時のそれぞれの組織の長、首相、経済産業大臣原子力安全・保安院長、原子力安全委員会委員長、東電社長、そして福島第一原発の所長の行動・判断を一つひとつ検証しなかったことだ。772人もの関係者から聴き取りをおこなったのに、「個人の責任を追及しない」との方針を掲げたため、事故の本質に深く切りこめなかった。政府や電力会社がいま、再稼働に向け、防潮堤のかさ上げやフィルターベントの取り付けなど設備の増強に走るのは、政府事故調が分析・検証を現象面にとどめたからと言っても過言でない。


http://www.asahi.com/special/yoshida_report/1-1.html
第一章
 暴走する原発を止める責務はいったい誰が負っているのか。その人間はいよいよ原発が破裂しそうになったときは逃げてもよいのか。原発の挙動を知ることができない都道府県知事任せで住民はうまく避難できるのか。そもそも人間に暴走を始めた原発を止める能力はあるのか。事故収束作業における自らの行動、判断を反省も交えて語った福島第一原発の事故時の所長、吉田昌郎。吉田の言葉を知ると、ことの真相を知ろうとせず、大事なことを決めず、再び原発を動かそうとすることがいかに大きな過ちであるかに気付く。


要するに、パラメーターがゼロになったという情報と、ぽんという音がしたという情報が入ってきたんですね。免震重要棟の本部席に」
 「私がまず思ったのは、そのときはまだドライウェル圧力はあったんです。ドライウェル圧力が残っていたから、普通で考えますと、ドライウェル圧力がまだ残っていて、サプチャンがゼロというのは考えられないんです。ただ、最悪、ドライウェルの圧力が全然信用できないとすると、サプチャンの圧力がゼロになっているということは、格納容器が破壊された可能性があるわけです。ですから保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性があるということで、ぼんという音が何がしかの破壊をされたのかということで、確認は不十分だったんですが、それを前提に非常事態だと私は判断して、これまた退避命令を出して、運転にかかわる人間と保修の主要な人間だけ残して一回退避しろという命令を出した」


「炉への注水はできてないと推測している」。1、2号機の中央制御室「中操」で運転員を束ねる当直長からだった。
 炉に水が入らない状態が続くと、中の核燃料が、自ら発する高熱でどろどろになって溶け落ちる。さらに手をこまねいていると、原子炉圧力容器の鋼鉄製の壁を、続いて格納容器のやはり鋼鉄製の分厚い壁を突き破り、我々の生活環境に出てきてしまう。

「保守的に考えて、これは格納容器が破損した可能性がある」

 そんな懸念が持ち上がる状況のもとに飛び込んできた圧力ゼロと爆発音という二つの重大報告。これらが、2号機の格納容器が破壊されたのではないかという話に結びつけられるのは当然の成りゆきだった。
 格納容器が破れると、目と鼻の先にいる福島第一原発の所員720人の大量被曝はさけられない。「2F」すなわち福島第二原発へ行こうという話が飛び出した。
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http://www.asahi.com/articles/ASG5L51KCG5LUEHF003.html
 東京電力福島第一原発所長で事故対応の責任者だった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)が、政府事故調査・検証委員会の調べに答えた「聴取結果書」(吉田調書)を朝日新聞は入手した。それによると、東日本大震災4日後の11年3月15日朝、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた。その後、放射線量は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。東電はこの命令違反による現場離脱を3年以上伏せてきた。

■所員9割、震災4日後に福島第二へ

 吉田調書や東電の内部資料によると、15日午前6時15分ごろ、吉田氏が指揮をとる第一原発免震重要棟2階の緊急時対策室に重大な報告が届いた。2号機方向から衝撃音がし、原子炉圧力抑制室の圧力がゼロになったというものだ。2号機の格納容器が破壊され、所員約720人が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。

 とはいえ、緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していなかった。この時点で格納容器は破損していないと吉田氏は判断した。

 午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した「第二原発への撤退」ではなく、「高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機」を社内のテレビ会議で命令した。「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」

 待機場所は「南側でも北側でも線量が落ち着いているところ」と調書には記録されている。安全を確認次第、現場に戻って事故対応を続けると決断したのだ。

 東電が12年に開示したテレビ会議の録画には、緊急時対策室で吉田氏の命令を聞く大勢の所員が映り、幹部社員の姿もあった。しかし、東電はこの場面を「録音していなかった」としており、吉田氏の命令内容はこれまで知ることができなかった。

 吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「第二原発に行け」と指示し、午前7時ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。

 その中には事故対応を指揮するはずのGM(グループマネジャー)と呼ばれる部課長級の社員もいた。過酷事故発生時に原子炉の運転や制御を支援するGMらの役割を定めた東電の内規に違反する可能性がある。

 吉田氏は政府事故調の聴取でこう語っている。

 「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。」

 第一原発にとどまったのは吉田氏ら69人。第二原発から所員が戻り始めたのは同日昼ごろだ。この間、第一原発では2号機で白い湯気状のものが噴出し、4号機で火災が発生。放射線量は正門付近で最高値を記録した。
http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-1m.html
「ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をした」

 外国メディアは残った数十人を「フクシマ・フィフティー」、すなわち福島第一原発に最後まで残った50人の英雄たち、と褒めたたえた。
 しかし、吉田自身も含め69人が福島第一原発にとどまったのは、所員らが所長の命令に反して福島第二原発に行ってしまった結果に過ぎない。


 まず、爆発は、2号機でなく、無警戒の4号機で起きていたことがわかった。
 定期検査中で、核燃料が原子炉内でなく燃料プールに入っている4号機の爆発は、原発の仕組みを知る世界の人を驚かせた。


 吉田は部下が福島第二原発に行く方が正しいと思ったことに一定の理解を示すが、放射線量の推移、2号機の白煙やゆげの出現状況とを重ね合わせると、所員が大挙して所長の命令に反して福島第二原発に撤退し、ほとんど作業という作業ができなかったときに、福島第一原発に本当の危機的事象が起きた可能性がある。
「帰りに見たら、4号機がぐずぐずになっていて、富田と斎藤が同じだったかどうか、私は覚えていないんだけれども、富田と斎藤から後で話を聞いたら、ぼんと爆風を感じた時間と、2号機のサプチャンのゼロの時間がたまたま同じぐらいなので、どちらか判断できないというのが私がそのときに思った話で。だけれども、2号機はサプチャンがゼロになっているわけですから、これはかなり危ない。ブレークしているとすると放射能が出てくるし、かなり危険な状態になるから、避難できる人は極力退避させておけという判断で退避させた」


http://digital.asahi.com/articles/ASG5N5JY6G5NUUPI004.html
2011年3月14日午前7時49分。福島第一原発には東電のテレビ会議システムを通して本店の官庁連絡班からそんな報告が届いた。3号機の原子炉圧力が急上昇している事態について、当時の原子力安全・保安院が報道機関に発表してはならないという情報統制を敷いているというのだ。

 政府事故調の報告書などによると、その数分後、原子炉の圧力が設計上の最高使用圧力を超えたとの連絡があった。原子炉の危機が高まっていた。

また、福島県も住民へ周知するため報道発表をしたいと要請していたが、保安院は「絶対にだめだ」と返事をした。

 保安院は圧力が下がり原子炉に冷却水が注入できるようになることを期待していた。

 企業統治に詳しい久保利英明弁護士は「ドライベントのような重大な決断は検討段階から住民に知らされるべきだ。深刻な事態では、企業は住民に対する安全保護義務を負っている。3年以上たっても東電も国も責任を明確にしない中で再稼働の議論には入れない」と語った。

 原発事故当時、国にはどのような状況でベントの実施が許されるのかというルールがなく、電力会社に任せていた。

 原発事故を受け、原子力規制委員会は13年、原発を運転する前提となる新しい規制基準を作った。新たにフィルター付きベント設備の設置が義務づけられるなど設備面の強化策は打ち出された。

 しかし、どのような状況でベントの実施が許されるかという運用については相変わらず、自治体と電力会社が結ぶ「安全協定」という法律に基づかない協定に委ねられたままだ。このため、福島第一原発の事故のように一刻を争う中で緊急避難的に実施される場合は、住民が避難する時間的余裕がなくなってしまうことが今後も起きうる。



http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-2m.html
 午後4時15分に原子力安全委員会委員長の班目春樹から直接電話があり、ベントができないなら原子炉圧力容器のSR弁をすぐに開けろと言われた。が、これも作業を始めてから1時間たったが開かなかった。
 ベントの弁と同様、平素は簡単な操作で開くのだが、125ボルトの直流電源を供給するバッテリーが上がってしまったのか、うんともすんとも言わなかった。
 福島第一原発では、所員の自家用車からはずしてきたり、福島県内のカー用品店で買ってきたりして、12ボルトの自動車用バッテリーをかき集めていた。東電本店や、新潟県柏崎刈羽原発などほかの発電所からも送ってもらった。それらを10個直列につないで120ボルトのバッテリーにして装着してみたがうまくいかない。
 10個では電圧が定格より5ボルト足りないからと11個つなぎにすれば良いのではないか、いや、これは電圧でなく電流が足りないから120ボルトのバッテリーをもう1セットつくり、2セットを並列つなぎにしたほうがいいのではないか、と試行錯誤を繰り返したがなかなか開かなかった。


 退避命令に関しては、実は吉田は今回の福島原発事故の収束作業中、何度か発している。爆発や放射線被曝から所員を守らなければいけないと考えたときだ。
 例えば3月14日朝に3号機の格納容器の圧力が急激に上昇したとき、吉田はテレビ会議システムを使って、「何もできなくなっちゃうんですけども、現場の作業員、うちの社員、一回こちらに退避させてよろしいですか」と了解を求めたうえで、退避命令を出している。
 それが、今回の局面では、携帯電話で東電本店と官邸にこっそり伝えた。吉田の不安は極限にあったと言っていい。
 「その状況については、細野さんに、退避するのかどうかは別にして、要するに、2号機については危機的状態だと。これで水が入らないと大変なことになってしまうという話はして、その場合は、現場の人間はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。ここで言うと、たくさん聞いている人間がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなことをやった記憶があります。ここは私が一番思い出したくないところです。はっきり言って」


 午後6時、2号機のSR弁がようやく開き、しばらくして炉の圧力が下がり始めた。これで消防車による注水が可能になると所員は安堵の雰囲気に包まれた。が、喜びは束の間だった。
 午後6時28分、こともあろうに、消防車が燃料切れを起こして注水できていないとの報告が入った。SR弁が1時間半の格闘の末にようやく開き、炉が減圧し始めたのに、これでは燃料の軽油を補給するまで炉に水は一滴も入らない。
 所内には「最後これかい、って感じだなあ」との声が飛んだ。おまけに軽油を消防車への補給のため運ぼうとした小型タンクローリーがパンクで動けないとの情報も入った。
 緊迫の度合いを深めた福島第一原発で吉田は、官邸と東電本店に2号機の状況を報告した後、下請けの協力会社の人たちに福島第一原発から離れるよう勧め始めた。


 午後8時17分、福島第二原発の所長、増田尚宏は次のように知らせてきた。
 「2Fのほうは、えっと、1Fからの避難者のけが人は正門の脇のビジターズホールで全部受け入れます。そして、それ以外の方は全部、体育館に案内します」
 「緊対を我々の2Fの4プラント緊対と、えっと、1Fから来た方が使える旧の緊対と、緊対を二つに分けて用意しておきますんで、そこだけ、本店側は、その両方の使い分けをしてください」
 しかし、東電は結局、3月14日夜は福島第二原発行きを実行しなかった。


 危機に立ち向かって原発事故を抑え込む、原子力災害抑止隊と呼べるような組織は存在しない。自衛隊は、国の平和と安全に重要な影響を与える事態や大規模な災害に対し、迅速かつ的確に対処し得るような即応態勢を維持、向上させているというが、関連機関との連携が前提で、自分たちは原発を制御する技術や知識を持っていない。
 原子炉を制御して事故を収束にもっていける者は、電力会社員以外にはいない。だが、福島第一原発が起きる前も今も、彼らの行動をしばる規定はない。


http://digital.asahi.com/articles/ASG5M5RS6G5MUUPI00R.html
吉田調書には、第一原発所長だった吉田昌郎氏が第1回聴取で「お話しいただいた言葉はほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と通告され、「結構でございます」と即答したことが記録されている。吉田氏は自らの発言が公になることを覚悟していたのだ。

電話の先は、細野豪志首相補佐官だった。
 吉田氏は続けた。

 「水が入るか入らないか賭けるしかないですけども、やります。ただ、関係ない人は退避させる必要があると私は考えています」

 「1号、3号と水がなくなる。同じようなプラントが三つでき、すさまじい惨事ですよ」

 細野氏は「所長の言う緊急事態というのはよく分かりました。ただ、まだあきらめないで頑張って下さい」と言った。

 吉田氏は「退避を考えた方がいい」と東電本店にも電話で伝えた。

 「2号機はこのままメルト(炉心溶融)する」

 「放射能が第二原発に流れ、作業できなくなる」

 吉田氏からの深刻な報告に、東電本店は撤退準備を急いだ。福島第二原発への撤退のタイミングなどを盛り込んだ「退避基準」の作成や、緊急時対策室を第二原発へ移す検討を始めた。

 吉田氏は聴取で「清水(正孝)社長が撤退させてくれと菅(直人)さんに言ったという話も聞いている」と証言している。

 吉田氏も事故対応とかかわりの少ない人の撤退には動いた。下請け作業員を帰らせ、第二原発に移動するバスを手配した。「樋口君という総務の人員」を呼び、「運転手は大丈夫か」「燃料入っているか」「(バスを)表に待機させろ」と指示したという証言が吉田調書にある。

 福島第二への撤退準備は着実に進んでいた。後はタイミングだった。


様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した。

 ところが、その待機命令に反して所員の9割が第二原発へ撤退した。吉田氏は「次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(第二原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないな」と思ったとも聴取で語っている。

 吉田氏が驚いたのは、第二原発に離れた中にGMと呼ばれる幹部社員がいたことだ。東電の社内規則は過酷事故発生時に原発の運転員を束ねる当直長に助言する支援組織を立ち上げ、部長級の所員やGMがメンバーに入るとしている。そのメンバーが離脱していれば規則違反だ。

 吉田氏は連絡を入れ、こう命じた。

 「まずGMから帰ってきてくれ」


 吉田調書に基づく当時の再現は、東電の公式見解が都合の悪い事実に触れていないことを示している。

 朝日新聞が入手した東電の内部資料には「6:42 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう(所長)」と記載がある。吉田調書と同じ内容だ。

 東電は自らの事故調査報告書で、同じ内部資料から「一旦(いったん)退避してパラメーターを確認する(吉田所長)」「最低限の人間を除き、退避すること(清水社長)」「必要な人間は班長が指名(吉田所長)」という部分だけを引用し、次のような公式見解を示した。

 《吉田氏が一部退避を決断→清水社長が確認・了解→約650人が第二原発へ退避し、約70人が残留》

 これは、適正な手続きで第二原発へ撤退したという印象を与えるものだ。

 しかし、吉田氏が最終的に「すぐに現場に戻れる第一原発構内へ一時退避して待機する」よう命じたことを、東電は報告書に記さなかった。幹部社員を含む所員9割の「命令違反」の事実は葬られたのだ。


 吉田調書が残した教訓は、過酷事故のもとでは原子炉を制御する電力会社の社員が現場からいなくなる事態が十分に起こりうるということだ。

吉田クシャナ殿下が「足軽ぐらいは帰らせてもいいか」と言ったのだけど
参謀クロトワも将兵の9割も足軽と一緒にワーーっと逃げてしまった感じかな。当時は本当に日本中が終わる恐怖だったから無理もないが…と自分は感じていたが、所長も似た思いで諦めはしたようだ。


当時、週刊誌かなんかの記事でも似たインタビュー返答が書いてあった。「逃げてしまう下請け作業員もいたが、しょうがないと思って残ったメンバーで対応した」と。ゲートで色々スクリーニングしたり着替えたりとチェックするんだけどそれもかいくぐって防護服のまま一目散で車で帰宅してしまったり…大行列だったからね。


もし日本で、チェルノブイリ原発と同じく原子炉の蓋が吹っ飛ぶ原発事故が起きたら
誰か大勢何万人で、重機とか一輪車で
「何百シーベルトの=放射能浴びて数日で死亡の」
核燃料の破片を運び出すしか無いんだぞ…


ソ連では軍隊がやらされた。拒否権はないし、なんにも教えなかった。
日本では、誰がやるんだ?


むろん、安全安心と叫び、再稼働万歳だった全員が最優先であるのは間違いない。
手錠で拘束し護送車で現地まで運べ。部落右翼ゴロだろうが大臣や官僚だろうが。


吉田「逆に被害妄想になっているんですよ。結果として誰も助けに来なかったではないかということなんです。すみません。自分の感情を言っておきますけれども、本店にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な、効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」

吉田はサイト、すなわち発電所のみんなの声を代弁し、午後0時41分、テレビ会議システムを使って、涙声で東電本店に次のように訴えた。
 「こんな時になんなんだけども、やっぱり、この……、この二つ爆発があってですね、非常にサイトもこう、かなりショックっていうか、まあ、いろんな状態あってですね」
 社長の清水正孝の答えは、実質ゼロ回答だった。
 「あの、職員のみなさま、大変、大変な思いで対応していただいていると思います。それで、確かに要員の問題があるんで、継続につき検討してますが、可能な範囲で対処方針、対処しますので、なんとか、今しばらくはちょっと頑張っていただく」

テレビ会議が報道とネットで公開された時
東電本店の重役たちはもう…こりゃ小便漏らしてるだろうなというほどに消えそうな小声の、震え声になっていた…
平時に威張るだけの”俳優たち”が、いきなり原発爆発の非常事態に直面ですから…

 福島第一原発では、いまや原子炉の冷却の主軸である消防車のポンプを回すための軽油も、中央制御室の計器を動かすのに必要な電気を発電するためのガソリンも、ベントなどの弁を開けるのに必要なバッテリーも足りなかった。
 所員はこれらの必要物資を、10km離れた福島第二原発、20km南のスポーツ施設Jヴィレッジ、場合によっては60km南の福島県いわき市小名浜コールセンターまで取りに行っていた。
 東電本店は福島第一原発まで運ぶよう運送業者に委託するのだが、3月12日に1号機が爆発し、避難指示の区域が拡大してくると、トラックがその手前までしか運んでくれなくなったのだ。
 トラック業者だけでない。福島第一原発は、同じ東電の福島第二原発からガソリン入りのドラム缶をもらうときも、中間地点にあるコンビニエンスストア、通称「三角屋のローソン」や、ホームセンター「ダイユーエイト」の駐車場にそれぞれが運搬車で乗り付けて、引き渡してもらっていた。
 福島第二原発としては、福島第一原発に直接行ってしまうと、運搬車が放射性物質に汚染され、除染しないと乗って帰れなくなるからだった。


吉田「最初は協力してくれる」

 途中からは。

吉田「線量が出てから」

 線量が上がり過ぎて、その人たちの作業はできなくなったと。それ以降は、東電の。

吉田「自衛で」

 その自衛消防隊の方だけでやっていたんですか。

吉田「はい。何人か奇特な方がいて、手伝ってくれたようなことは聞いているんですけれども」

 それは。

吉田「南明さんとかですね。ほとんど会社としては退避されたような形で、個人的に手伝ってといったらおかしいんですけれども、そういうことは聞いております」 (中略)

 3月16日以降とかは、がれきの整理などのために、例えば、がれき撤去のための作業用の車両みたいなもの、ブルドーザーなり何なり、そういうものは届いていたんですか。


吉田「バックホーが数台もともとこちらにあったのと、間組さんがどこかから持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけれども、間組さんが線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」

 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。
 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」
 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンターが原発から50km離れた福島市へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。


 最も大変な事態が進行しているときに、原発を操作できる唯一の組織である電力会社が収束作業態勢を著しく縮小し、作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。

だから民間の流通網も、福島県内すらいかなくなってしまったので
赤ん坊のおむつやミルクなどを自腹で満載にしたレンタルトラックでエガちゃんがいわきへ…しかもサラ金で借りて。


日本は、有事になると腰が引けておしっこちびっちゃう国だ。これは認めるしか無い。平和ボケの意味。


たかが原発事故でこれだから、
他国にミサイル撃ち込まれる戦争になったらもう…パニックで泣き叫びながら逃げ惑う『群衆』しか残るまい…役人も政治家もいなくなる。


人間、経験があることは練度が上がるし慣れてくる。
日本が原発事故を重ねて経験することはまず無い…あっても十年単位で間があく。
まして戦争は…先進国中、ワースト2にはいるほど下手くそで未経験だろう。


追いつかない認識…平和ボケから戦時なみの危機へ…


だがこれはだれでも、いきなり火災や地震や事件事故にあえば遭遇する状況ではある。
つまりトラブルが数十年ない原発は、実験や訓練で放射能を漏らしたり、たとえ小型でも原子炉を破壊するわけには行かず…
ミニチュアによる実験や訓練ができない「特殊性」はプラントのなかでは原発のみであるため…
「日本で運用するには危険すぎる。」


また大地震原発事故になれば、
また大慌てや不慣れのオペミス判断ミスが続発する。へたすればそれで都心も大阪圏も住めないほど汚染される。

http://digital.asahi.com/articles/ASG5Q7GJPG5QUUPI005.html

吉田氏、非常冷却で誤った対応 「思い込みがあった」
2014年5月23日05時25分


 吉田氏の聴取を記録した「吉田調書」によると、中央制御室の運転員が11日夕にICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。

 だが、吉田氏はICの仕組みを理解していなかったため、「水の補給」が機能低下のサインと認識できず、ICが機能している間に行う「原子炉への注水準備の継続」という指示しか出さなかった。

 吉田氏はICが実際に作動したのはこの20年間で今回の事故が初めてだったと聴取で証言。政府事故調の報告書は「訓練、検査も含めICの作動を長年にわたって経験した者は発電所内にはいなかった」とした。

 吉田氏は「ICそのもののコントロールの仕方はほとんど分かりません」「ICというのは特殊なシステムで、はっきり私もよく分かりません」とも述べ、「中操(中央制御室)との意思疎通ができていなかった」と反省した。

 吉田氏は「日本を救った男」と評されたが、調書には「反省の言葉」が多くある。「私は今、猛烈に反省している」「現場側からのSOS発信がこちらに届いていなかった」などだ。

 吉田氏は本店の対応にも言及し、「サゼスチョン(助言)というものは本店から一切なかった」とも証言。本店が適切に指示しなかったことを指摘する発言で、東電の危機管理体制の問題点を示すものだ。

 1号機は11日午後3時37分に全交流電源が喪失。高い所から重力で原子炉に水を注ぎ込むICが極めて重要な局面だった。全電源を失っても原子炉を制御できる切り札だ。後にICが作動しなかった可能性が指摘されたが、この時の現場からの指摘でICの機能不全に気付いていれば、ベント(排気)やICの復旧など他の対応策に早く移り、被害拡大を抑えられた可能性がある。

 吉田氏は午後10時ごろ、1号機原子炉建屋の放射線量上昇を聞き、やっとICが動いていないと疑い始めたが、事態はすでに深刻さを増していた。国の解析では1号機は午後6時に炉心損傷し、その2時間後に炉心溶融した。

■切迫した場面、対応には限界

 《解説》福島第一には原発が6基あった。異変はあちこちで同時多発し、情報は交錯した。原発のプロも緊迫した場面で「勘違い」や「思い込み」から逃れるのは難しい。それを防ぐ東電全体の支援体制も不十分だった。吉田氏が自らのミスを率直に認めた「吉田調書」が残す重大な教訓だ。

 調書にはもう一つ、吉田氏がミスを認めた箇所がある。原子炉から漏れ建物にたまった水素が爆発したとされる12日の1号機爆発。吉田氏は水素を抜く装置が稼働していると勘違いし、「水素がたまっているという発想になかなか切り替えられなかった」と述べた。


所長というか、東電全体をも超えて、
もはや政府レベルの
クニの原子力村の体質、としか…

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-1m.html
第二章 住民は避難できるか
1.真水か海水か


 1号機への海水注入を、官邸に詰めていた東電フェロー武黒一郎の中止指示を無視し、廃炉も恐れず続行したことで、一躍英雄視された福島第一原発所長の吉田昌郎。その吉田が、3号機への海水注入について、廃炉を避けるため極力淡水を使え、という官邸のある者の指示を受け入れ、無理して淡水に切り替え、危険性を増大させていた事実は意外に知られていない。


吉田「ここは申し訳ないけれども、この前も話したように、私の記憶はまったく欠落していたので、ビデオを見て、ああそうだったかなと逆に思い出しているぐらいなんで、本当に誰と電話したかも完全に欠落しているんです。ですから、そこは可能性だけの話しかないです」


 東日本大震災発生2日後の2011年3月13日未明、福島第一原発3号機は最初の危機を迎えていた。
 運転員が午前2時42分に、原子炉への次の注水手段がうまくいくのか十分確認しないまま、それまで炉に水を注ぎ込んでいた高圧注水系と呼ばれるポンプを手動で止めたことで危機は生じた。吉田に知らせず行われた操作だった。
 注水が止まった3号機は、炉の水位がぐんぐん下がった。午前5時14分、福島第一原発技術班は、午前7時半ごろに核燃料が損傷し始め、午前9時半ごろには炉心溶融するとの1回目の予測を報告した。


 福島第一原発は原子炉への新たな注水方法を検討した。高圧注水系ポンプの再起動は、必要なバッテリーが調達できず断念した。
 代わりに吉田が選んだ方策は二つ。炉が高圧でも注入できるホウ酸水注入系のポンプで注水する方法と、原子炉圧力容器についているSR弁という弁を開けて炉を減圧したうえで消防車のポンプで注水する方法だった。
 ホウ酸水注入系は高圧で水を入れられる切り札的存在だが、ポンプを動かすには480ボルトの交流電源が必要だ。
 福島第一原発地震で鉄塔が倒れ、外部からの交流電源が失われている。そのため、福島第一原発にかけつけた電源車が発電した6900ボルトの電気を、被災を免れた4号機の配電装置につないで480ボルトに降圧し、3号機までケーブルで引っ張ってくることにした。
 一方、消防車を使った減圧注水のほうは、SR弁が開き次第、消防車で海水を入れると、吉田は決めていた。午前5時42分、消火栓につながるタンクがすべて空だとの報告があり、淡水は足りないと考え、決断した。


 「本店、緊急です、緊急です、緊急割り込み!」。午前6時43分、吉田あてに電話が入った。武黒とともに官邸に詰めている東電の原子力・品質安全部長の川俣晋からだった。


??? まず優先的には真水ということになっているんですが、そういう発言に至った理由なんですけれども、そこは何が一番。

吉田「やはり官邸です」

??? それがやはり一番ですか。

吉田「一番です。当初言っていたように、私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います。その後に官邸から電話があって、何とかしろという話があったんで、頑張れるだけ水を手配しながらやりましょうと。ただ、水の手配はうちだけではできないんで、自衛隊も含めてお願いしますよという形で動いているというのがこの時点なんですね。ある程度自衛隊が動いてくれれば水の補給は可能であるかなというところ、まだ期待があった時点なんで、海水に切り替えるというか、そこまでは思っていないというところ、非常に微妙なところだと思います」


??? (前略)水という観念では海水にしたほうがなどということを言われて、要するに、消防庁とか、仙台消防署とか、来てくれるという話はいっぱいあるんだけれども、結局、いま、情報があるのは千葉支店の1台で、現実に動いているのはそれしかないではないかというようなところから、これで2号だ、3号だ、両方面倒見られるわけがないということで、海水という発言になったんでしょうけれども、今度来る千葉支店の消防車の車は、2号のほうの水源にとりあえずはして、というようなことで、このときはおっしゃっているわけですね。所長の腹としては、それでもう何もないとうことになれば、海水もやむなしということになっているんですか。

吉田「はい」


 「官邸」からの電話の趣旨は、海水を使う判断は早過ぎる。廃炉につながるから極力、ろ過水なり真水を使うことを考えてくれ、というものだった。
 吉田が政府事故調の聴き取り調査において「記憶はまったく欠落している」と主張するのが、この東電原子力・品質安全部長の川俣晋からの電話の部分だ。電話の相手が、川俣から誰かに代わったというが、それが誰かは覚えていないというのだ。
 吉田はいったん、東電フェローの武黒一郎、原子力安全・保安院付の安井正也の名前を挙げた。しかし、記憶が完全に欠落していると主張して、逆にこの二人ではないことを強くにおわせた。


 解せないのは、1号機で武黒の指示を聞かず海水注入を続行したあの吉田が、今回はいとも簡単に電話の主の要求をのんだことだ。
 その瞬間、福島第一原発の現場からは、「水がねえんだから」との声が飛んだ。

 その後も、まず福島オフサイトセンターに詰めている東電原子力担当副社長の武藤栄が「もう海水を考えないといけないんじゃないの? これ官邸とご相談ですか」と疑問を示した。東電本店に詰めているフェローの高橋明男も、「吉田所長、水はどこから持ってくるの。手当てのめどは立っているんですか」と心配した。
 電話の主はどれほど強い要求をしたのだろう。吉田はそんな周囲の心配に耳を貸さず、淡水注入に切り替えた。
 その結果、福島第一原発の現場は苦労の連続となった。すぐに使える淡水は、消防車による注入で使えるのが80トン、ディーゼル駆動消火ポンプで使えるのが800トンしかない。それぞれ2時間、20時間で費えてしまう量だ。
 技能訓練棟のプールの水など所内のあらゆる淡水を集めてくることになったが、急なことでなかなかうまくいかない。応援に来るはずの消防車もなかなか来ない。自衛隊の水もこの日は届かなかった。
 切り札のホウ酸水注入系のポンプも、4号機の配電装置から電気を引っ張ってくるケーブルが1号機の爆発で損傷し、使えないことが判明した。

欠落じゃなくて、言えないんだろう…
東電が「ここは録音してません」とウソをついた録画部分を提示したように…
任意の操作で、音だけを録音しない時間帯を作れる、映像記録システムは聞いたことがない。防犯とかTV会議の製品において。
たぶんこのへんが真相の一部…
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120731/1343660438


淡水を切望するのは、東電本店の、経営陣だけだ。
すぐそこに爆発が迫ってる認識が薄く
なんとか適当な淡水注水だけで済ませてまた原子炉を使いたいと…


菅総理原子力専攻で大学卒業してるから慎重な立場の側で、まず本店側にはなびかない。


TV会議の公開部分を全部見ても、
爆発の瞬間まで、本店側の様子はかなりのんきなもんだ。
爆発の報告を受けた瞬間から一気に縮み上がって声がか細くなった老人たち…

 そうこうしているうちに3号機の炉の圧力が上昇してきた。そうなると、ディーゼル駆動消火ポンプは水を吐き出す圧力が低いので、炉の圧力が高いと水を注ぎ込めない。結局、淡水注入は、消防車を使う分の80トンしかできず、午後0時20分ごろ終わった。

 吉田は「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」と海水注入を指示した。吉田はものの10分もあれば段取り替えを終え、海水注入が始まると見込んでいた。しかし、実際に始まったのは午後1時12分。52分間もの間、3号機にはまったく水が注ぎ込まれなかった。
 目の前の炉の挙動、淡水の確保の見通し、こうしたものを一切無視して、廃炉を防ぎたいという、遠く離れた東京の「官邸」からの要求を受け入れた結果、吉田は危機を拡大させてしまった。


52分間、水が注ぎ込まれなかった3号機は、炉の状態が悪化の一途をたどった。
 炉水位は回復せず、午後1時23分には原子炉建屋の二重扉の内側で毎時300ミリシーベルトという極めて高い放射線量を観測したとの報告が入った。内側はもやもやしていたといい、爆発性のある水素を含む水蒸気が原子炉格納容器から漏れ出していた可能性もある。


 しかし、東電内では、こんな痛い目に遭った後でさえ、なんとか廃炉を回避するため海水を使わないでいこう、という考え方はなくならなかった。
 例えば本店の復旧班長は、吉田の2号機海水注入宣言から7時間たった時点でも、廃炉回避のため、淡水でいくべきだと主張した。
「言いたいのは真水でやっといた方が、要するに塩にやられないから後で使えるということでしょ」と主張しても、「はい、そういうことです」と引こうとしない。

いいじゃないか
権力経産省様や経営者清水様の、ご要望通りに動いたんだから。


どのみち、旺盛に海水を使っていようが、爆発は防ぎようがなかった。
物資が届かない。震災後の交通インフラの破損や破綻、あっちもこっちも自衛隊警察消防てんてこ舞いの状況…
少々延命策を出来ても、もう1日〜3日もすれば爆発してた。


震災前の最後の最後まで、見通しが甘すぎた原発経営者。
爆発事故の直線直後まで、見通しが甘すぎた原発経営者。


ものごとにはラグや不慮のトラブルがつきもの。
いじったり切り替えると動かなくなる、復旧にえらく時間がかかる…オートバイやパソコンで多いトラブル。
だから東海第二原発は、交流電源復旧後もすぐには発電機から交流に切り替えなかった。福島の恐怖を目の当たりにしていたから。




見殺しにされた福島県と避難民。

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/2-2m.html
2.広報などは知りません


この時点では目の前に無尽蔵にある太平洋の水を入れているわけではなかった。3号機の海側にある逆洗弁ピットと呼ばれるくぼみが津波をかぶり、たまたま海水がたまったので、消防車のポンプでくみ上げて使っていた。そのピットの海水がほとんどなくなり、原子炉に注ぎ込めなくなってしまったのだ。
 注水が止まった3号機では、原子炉の水位が見る見るうちに低下した。核燃料は完全に水からむき出しの状態になり、自ら発する高熱で、前日に続き、損傷し始めた。出てくるガンマ線の量から、午前4時20分には核燃料の25%がすでに損傷していると評価された。



 しかし、ウエットベントは効かず、格納容器の圧力は逆に上がってしまった。仕方なく、放射性ヨウ素を大量に出してしまうドライベントの準備を始めた。午前6時23分ごろの話だ。
 東電本店保安班はこれを受け、「カムズ」と呼ばれる装置で、ドライベントをやると放射性ヨウ素がどれくらい拡散するか予測を始めた。文部科学省が結果を公表せず問題になった放射能拡散予測装置スピーディに似た装置だ。
 結果は、原発の北方20kmの地点、福島県相馬郡あたりが、3時間で250ミリシーベルトになるというものだった。
 このように人為的に放射性物質をまき散らすこともあり得る状況なってきたときに、東電本店も耳を疑うことを言ってきた組織がある。原子力安全・保安院だった。

吉田「プレス発表?」

??? ようするに、これをご覧になって、何の場面かというところを思い出していただきたいんですが、3号機の状況に関する情報について、今、プレスを止めているんだというような。

 原子力安全・保安院が言い出したのはプレスを止める、すなわち情報統制を敷くということだった。
 水源の水の枯渇から3号機が冷却不能となり、格納容器の圧力が異常に上昇、福島第一原発では所員が一時退避する事態になっている。こうした3号機の危機をテレビ局や新聞社に一切伝えないで隠そうというのだ。
 東電は、監督官庁による情報統制を、少しとまどいながらも受け入れた。それを、東電本店の官庁連絡班長が午前7時49分、福島第一原発と福島オフサイトセンターに伝えた。
 しかし、経緯を詳しく説明せず「保安院からも官邸に向かって、共同で処理していますが、いまプレスをとめてるそうです。それでいまプレスにはとめてるんです」と言うものだから、吉田は「はい、了解」と言うだけで中身はきちんと聞いてなかった。

??「そんな話は初耳でございまして」

 吉田はそのころ、水源の逆洗弁ピットに水を補給する手立てを四つ同時に走らせていて、それぞれの担当者とのやりとりにてんてこ舞いだった。
 オフサイトセンターにいた東電原子力担当副社長の武藤栄も「ごめん、なんだって?」「何をとめているの?」「3号機の状況を?」と、何を言われているのかわからずじまい。最後は「了解」、と言って会話をやめた。


 一方、福島県保安院の暴挙に反旗をひるがえした。午前9時に関係部長会議をマスコミに公開する形で開き、その場で3号機の異常を国に代わって公表する、と言い出した。
 しかし、保安院は「絶対にプレス発表はだめだ」と強い態度に出て、県の公表を押しとどめた。3号機の核燃料はすでに30パーセント壊
れており、格納容器の気体には大量の放射性物質が含まれる状態になっていると考えられる。このままいくと、人為的に放射性物質をまき散らすドライベントが、住民に何の知らせもないままおこなわれる恐れがある。


基本的には本店対応ということになるんですかね。ここは。

吉田「なります。ここは私はほとんど記憶ないです。広報がどうしようが、プレスをするか、しないか、勝手にやってくれと。こっちは、現場は手いっぱいなんだからというポジションですから、しゃべっていることも、ほとんど耳に入っていないと思います」

というか双葉町民は、最初の1号機爆発寸前のドライベントの汚染空気を吸ったんだけど…


NHKスペシャルが取材したとおり、1号機はウェットベントをしたんだけど、
これは通常の範囲内であれば原子炉のみずは沸騰せず、プールに原子炉の気体を通せば汚染物質はかなり水に混じってくれる。
しかし原子炉が数千度の金属だらけであまりに高熱だったので
水は沸騰状態で泡だらけになってしまい、ドライベントと変わらなかったというのが、
公設モニタリングポストに残ってた観測データで裏付けられている。


水にかぎらず、なんにも備蓄してないから、
いわば借金まみれになってから金策に走るような自転車操業


だが日本で大震災および大津波が起きるたび、震源側の原発はこういう状況に陥るのだ。
そりゃあね、すぐ観念してすぐ海水注水する、ぐらいには迅速になるだろうけどね。それで爆発が防げるわけじゃないけどね…
震災直後で補給物資や送電復旧作業が当てに出来ない状況のSBOはそれぐらいに怖い。

 吉田は、3号機の海側にある原子炉に注ぎ込む水の水源、逆洗弁ピットへの水の補給に全力を挙げていた。暴れる3号機をなんとか冷却しなければならなかった。
 ピットに水を補給する四つの手立てのうち、ろ過水タンクの2000トンの水を移す方策はタンクがいつの間にか空っぽになっており失敗した。成功していたら30時間注水できただけに痛かった。
 4号機のタービン建屋の地下にたまった水をくみ上げる方策も、水が引けていたことがわかり失敗に終わった。
 一方、1号機の近くの物揚場という岸壁から、2台の消防車をホースで直列つなぎしてポンプの力を増して海水をくみ上げる方策は、午前9時20分に成功したとの知らせが入った。これで毎時30トンの海水が確保できる。
 自衛隊給水車福島第一原発に向かわせ、水を補給してくれることになった。
 しかし、3号機の格納容器の圧力上昇のほうは依然気が抜けなかった。午前10時10分、いったん上がった炉水位がまた下がり、核燃料が再び水面から顔を出した。


 しかし、情報統制は解かれない。NHKが午前9時半ごろ、3号機の格納容器の異常上昇と作業員の一時退避の話をスクープして伝えても、情報統制はまだ解かれないでいた。
 結局、午前11時1分、3号機が爆発。吉田によるとその際、原子炉の圧力は下がり、ドライベントの必要性はなくなった。
 住民に何も知らせないまま人為的に大量の放射性物質をまき散らす愚は避けられたが、3号機の危機を詳しく聞かされず水の補給に向かった自衛隊員は、ちょうど水を補給し始めたところで爆発に遭った。上空に噴き上げられたコンクリートの塊が真上からたたきつけるように落ちてきて、あやうく命を落とすところだった。


 吉田の言葉から、暴走する原発を止めようとする第一線の者には、住民のことを考える余裕がないことがわかる。だが、原子炉の刻一刻の状況を理解できるのは一線に立つ現場の者をおいてほかにない。
 現場が発信する情報でもって住民避難を呼びかける思想・仕組みをつくらずに、周辺住民を原発災害から適切に逃がすことなど不可能に近い。監督官庁や電力会社が危機情報を隠すことを是とする国においては絶望的だ。


原発にいた自衛隊ジープのフロントガラス脇に、落下してきた破片が『刺さった』と、もう数十cmずれてたら運転手が死んでたとかで
話が違うってんですぐさま撤退してしまったという週刊誌報道があった。自衛隊すら情報過疎であった。


爆発直後、原発の方へ向かって逃げていた避難民の車列と、逆方向から来た自衛隊車両が
「向かうなーーーーーー!!」
とだけ拡声器で叫びながらも、速度は落とさず逃走したとも。


避難中の現地民が一番情報がほしいのに
そこに肝心なスクープ情報が行かなかった政府情報統制…

http://digital.asahi.com/articles/ASG5Z4VLKG5ZUUPI001.html
 細野氏の証言が一段落した時点で、取材班は吉田調書の該当部分を示し、自身の記憶と合致するかどうかを尋ねた。言葉遣いは多少違うが、細野氏は「違和感はない」と述べた。

 細野氏は吉田氏からの電話を切り、首相執務室にいた菅直人首相に対し、2号機に水が入らずに厳しい状況にあると伝えた。菅氏は長く沈黙していたという。

 10分ほどたって細野氏の携帯が再び鳴った。吉田氏からだった。ここは吉田調書にない場面だ。

 吉田氏は「何とか水が入った。頑張れます」と言った。細野氏はその言葉を菅首相枝野幸男官房長官に伝えた。だが、2号機原子炉の圧力は高いままで、翌日の朝を迎えた。

■待機命令を記憶

 15日午前5時35分、細野氏は菅首相と一緒に東電本店2階の対策本部に乗り込んだ。菅首相は第一原発からの撤退に傾く東電幹部を「撤退したら東電は必ず潰れる」と激しく叱責(しっせき)した。

 細野氏は菅氏とともに同じ階の小部屋に移った。そこにはテレビ会議の映像が流れ、吉田氏がいる現場の様子を知ることができた。

 午前6時42分。吉田氏が発言する様子が映った。前夜に想定した福島第二への撤退ではなく、すぐに現場に戻れる第一原発構内やその近くの場所での待機を命令した瞬間だ。

 東電がのちに開示したこの時の映像には音声がない。菅氏とともに画像を見つめる青い防災服姿の細野氏の様子が映っている。

 吉田氏はこの時を自分の調書でこう振り返っている。

 「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです」

 細野氏は吉田調書を見て「思い出しました。確かにそういうやりとりはあった」と語った。前夜に吉田氏から「頑張ります」という強い言葉を聞いていたため、「退避」という言葉遣いに少し引っかかったが、「吉田さんが言っているから現場が回る(対応できる)ということだろう」と受け止めたという。

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/3-1m.html
3月12日午前4時45分ごろ、福島第一原発の1・2号機の運転員が詰める中央制御室に、ある装備品が届けられた。顔をすっぽり覆うマスクと、限度いっぱいの100ミリシーベルト放射線量を浴びるまで作業が続けられるよう、80ミリシーベルトになるまで警報音がならないよう調整された「APD」すなわち警報付きポケット線量計だった。


――― この白いもやもやというのは、聞いたときに何だと。

吉田「蒸気だと思いました」


 格納容器からすでに分子の小さい水素や水蒸気が漏れ出しているのか、原子炉建屋の中は白いもやに覆われていた。圧力が限界近くまで上がっていることを示す現象だ。
 格納容器破壊を免れるには、中の気体を抜くベントを実行するしかない。ベントは通常なら、中央制御室に居ながらにして、ごく簡単な操作で実行できる。しかし、強い地震の揺れと津波に見舞われ、電源をすべて失ってしまった1号機においては、それは至難の業だった。
 ベントは、開け方の違う二つの弁を開けなければならない。二つの弁が開いた状態で、格納容器の圧力があらかじめ設定した水準に達したら「ラプチャーディスク」と呼ばれる円盤が破れ、実行される。
 二つの弁のうち「AO弁」と呼ばれる弁は、中央制御室からのスイッチ操作で電磁弁を開け、「アキュムレーター」すなわち蓄圧装置にためられた圧縮空気を弁に送り込み、弁を開ける。したがって、電磁弁を開ける電源が枯渇している現状では開かない。
 もう一方の「MO弁」と呼ばれる弁は、単純に電気モーターの力で開ける弁だから、これも電源が枯渇しているため、開かない。
 なんとかならないかと、壊れた事務本館から持ってきた図面などをもとに弁の構造を調べたところ、MO弁は1〜3号機すべてに手で回せば弁を開けられるハンドルがついていることがわかった。そして、AO弁も、1号機に限り「小弁」と呼ばれる予備弁の方には同様のハンドルが付いていることがわかった。これなら弁のところまで人が行けば開けられる。
 しかし、言うはやすし、行うは難しだった。
吉田 「ここが、今の議論の中で、みんなベントと言えば、すぐできると思っている人たちは、この我々の苦労が全然わかっておられない。ここはいら立たしいところはあるんですが、実態的には、もっと私よりも現場でやっていた人間の苦労の方がものすごく大変なんですけれども、本当にここで100に近い被曝をした人間もいますし」


現場では毎時300ミリシーベルトもの高い放射線量が観測されていた。

 3班態勢としたのは、作業に小一時間かかるとみられたからだ。80ミリシーベルトを浴びたら作業を終えるようにしないと限度の100ミリを突破してしまう。そう考えると作業時間は16〜17分が限界で、1班態勢では作業を完遂できない。
 続いて第2班の2人がAO弁の小弁を開けに出発した。が、そこへ行く途中で携行型放射線量計が鳴り出しやむなく引き返した。
 第3班はそもそも行くのを断念した。


 福島第一原発所長の吉田昌郎は午後0時37分、2度の爆発で落ち込む所員に対し、「悪いけどよ、こんな時に悪いけどよ」と言い、所員に注水量変更、ホースの点検、水源としている逆洗弁ピットに降り積もったがれきの撤去作業に行くよう命じた。がれきはただのがれきではない。高い放射線を放つものも含まれていた。
 吉田はさらに午後2時13分、「特別にチームを編成して」という言い方で、高放射線がれきの片付けにあたる人員の増強を命じた。通信状態が悪いためか、先発隊からなかなか連絡が来ずあせっていた。ただ、片付けておかないと後の原子炉への注水に重大な支障を来すと考えた。


いちばん逃げ出しちゃいけない連中は逃げ出して職責を放棄し、しかし今だって彼らの実名はさらされずバッシング袋叩きにもなってない。


唯一、脱原発を掲げた菅総理やヤツコ委員長らが次々にクビになっていっただけだ。しかも盛大にバッシングを仕組まれて。

http://www.asahi.com/articles/ASG61664PG61UEHF009.html
 細野氏は事故から3年が経過し「記憶の限界に来ている。そろそろ話さなければいけない」と考えていた矢先に「吉田調書」報道が出て、証言を決心したという。
細野「政府事故調ですか。ちょっと記憶してないけど、私はいつか、公開されるべきだと思っていたので、そういうふうに答えていると思います」
細野「一つはやはり記憶は薄れるので、3年というのは限界なんですよね。そろそろタイムリミットかなというふうに思ったのはあります」


http://webronza.asahi.com/science/2014052800002.html
772人の証言が闇に埋もれる 「吉田調書」問題が問うもの


http://digital.asahi.com/articles/DA3S11169679.html
 事故に際しては、対応にあたるはずだった経済産業省原子力安全・保安院の保安検査官も、事故直後に第一原発から撤退した。検査官は原発から5キロ離れたオフサイトセンター(大熊町)内に設置された国の現地対策本部に退き、さらに2011年3月15日には、現地対策本部ごと福島市に移った。

 政府の職員が第一原発所員より早く現場を撤退したことなどから、国は原発の状況を直接把握する手段を失った。国と東電との意思疎通がうまくいかない混乱状態の中で菅直人元首相が東電本店に直接乗り込み、政府と東電との対策統合本部を立ち上げるに至った。


http://www.asahi.com/articles/ASG643F24G64UUPI001.html
吉田調書など開示求め提訴へ 東電株主訴訟の原告ら
2014年6月5日05時03分
 原告代理人になる海渡雄一弁護士は「吉田調書の報道によれば、東電の指揮命令系統は崩壊していたといわざるをえない。吉田調書だけでなく、関係者の調書は事故原因の解明と責任の追及に欠かせない。政府は個人情報の処理など開示のルールを定め、原則としてすべて公開すべきだ」と指摘


スタントマンが、死ぬスレスレのスタントを何十年もやって
引退間際で死んでしまったりする。昨年も米国の複葉機スタントで死亡事故があった。
たまたま不可避原因であったり、満身が伴っていたり千差万別ながら…

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/3-2m.html
――― 電源喪失ですと、電源融通を受ける先である隣も一緒にべしゃっとつぶれるということは考えていないという状況がどうもあったようなんです。その点に関しては、所長におかれては

吉田「一言で言うと、設計ベースの議論がされていたのはわかっていますけれども、設計の中でも、今、言ったみたいに、定説としてという言い方はおかしいんですけれども、我々の基本的な考え方は内部事象優先で考えていたということです。私は入社してから今まで、あまりタッチしていないんですけれども、ようするに、原子力の設計の考え方はそういう考え方だということは承知していた。今度、運用側に回った際に、運用側で同時に今回のような事象が起こるかということをあなたは考えていましたかという質問に対して言うと、残念ながら、3月11日までは私も考えていなかった」


吉田「柏崎の中越沖地震は同時にいったんです。同時にいったんですけれども、我々としては、プラントが止まって、えらい被害だったんですけれども、ようするに、無事に安全に止まってくれたわけですよ。安全屋から言うと、次のステップはどうあれ、安全に止まってくれればいいという観点からすると、あれだけの地震が来ても、ちゃんと止まったではないの、なおかつ、後で点検したら、設計の地震を大きく超えていたんですけれども、それでも安全機器はほとんど無傷でいたわけです。逆に言うと、地震は一気に来て、全プラントを止める力を持っているけれども、それは止まるまでの話であって、それ以上に、今回のように冷却源が全部なくなるだとか、そういうことには地震でもならなかった。設計用地震動を大きく何倍も超えている地震でそれがある意味で実証されたんで、やはり日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまったところがありますね」


吉田「だから、確率の問題だと思うんです。極論しますと、これは経験の範囲の議論になってしまうんです。ようするに、インターナショナルで、全世界で原子力発電所は400とか500とかありますね。実験炉は別にして、商業炉でも昭和四十数年ぐらいから動き始めまして、炉年で言えば、ものすごい、400基で平均で20年運転していれば、世界じゅうで8,000炉年ぐらいの運転経験があるわけです。そこでいろんなトラブルを経験しているわけですけれども、今、おっしゃったように、今回のような、電源が全部、あて先も涸れてしまうということが起こっていないわけです。そこが我々の一つの思い込みだったのかもわからないですけれども、逆に自信を持っていたというか」


吉田「今から思えばそうでしょうと思いますけれども、前の段階に返ったときに、AMのいろいろな仕組みを考えた人たちがそこまで考えていたかというと、まったく考えていなかっただろうと言いたいだけの話です。AMの連中は、後からがやがや言うんですよ。私はこの会社の安全屋は全然信用していない」


 消防車を使うこと、および海水を使うこと。吉田のこの二つの創意について、政府事故調はあまり評価していないことが、聴取の流れから読み取れる。
 事故調としてはやはりアクシデント・マネジメント策に従うことが最善で、それができないのはアクシデント・マネジメント策が不備だったからだという整理をしているように見える。
 しかし、実際、過酷事故と向き合った吉田にとっては、そんなことはどうでもよかったようだ。
 吉田は、アクシデント・マネジメント・ガイドを開いて見たとか参考にしたことはあるか、との質問に「まったくないです」「私は開いていません」と答え、逆に人による事前の想定などいかに役に立たないものであるかを説いた。


以下のとおりなら今頃は東京も死の都市となり、
日本列島の半分が壊滅的汚染の土地になっていた。
だが
それはどこの原発事故でも起き得ることだ。特別じゃない、たまたまだ。

http://digital.asahi.com/special/yoshida_report/epilogue-m.html
 東日本大震災発生3日後の2011年3月14日午後11時ごろ、在日米国大使館のジョン・ルース大使は枝野幸男官房長官との電話会談で「アメリカの原子力の専門家を官邸に常駐させてほしい」と申し入れた。米国が原発事故の収束作業の進め方に不信感を抱いている表れだった。
 米国は本国でも藤崎一郎駐米大使を何度も呼んで、懸念を伝えた。米国の懸念の中心は福島第一原発4号機の核燃料プールだった。
 在日米国大使館は2011年3月17日、福島第一原発から50マイル圏内の米国民への避難勧告を出した。50マイルはメートルに換算すると80キロメートルになる。日本政府が出していた避難指示の、距離で4倍、面積にすると16倍に及ぶ。
 日本の避難指示が不十分だと言わんばかりの勧告だが、根拠がないわけではなかった。米原子力規制委員会のグレゴリー・ヤツコ委員長が前日の16日に、プールの水は空だ、と発言していたことだ。
 4号機の核燃料プールには、新燃料204体と使用済み核燃料1331体が入っていた。うち548体はつい4カ月前まで原子炉内で使われていた。そのため、4号機のプールの核燃料の崩壊熱は、例えば3号機のプールの核燃料より4倍も高かった。
 プールの核燃料は、原子炉装着中と違って、鋼鉄製の圧力容器および格納容器に守られていない。さらに、外側の原子炉建屋は3月15日に水素爆発で吹き飛んでいるため、冷却が止まって発火し燃え上がると、プルトニウムウラニウムなど猛毒の放射性物質をそのまま外部環境に放出してしまう。
 そうなると福島第一原発はもとより、わずか10キロメートルしか離れていない福島第二原発も人が近づけなくなり、2つの原発にある核燃料入りの原子炉と核燃料プールがすべて制御不能になると恐れられた。


 日本政府は3月25日になって、近藤駿介原子力委員会委員長に、原発が人の手で制御できなくなれば強制移転区域は半径170キロ以上、希望者の移転を認める区域が東京都を含む半径250キロに及ぶ可能性があるという最悪シナリオを描かせた。


神さはまちゃんと色々と助けてくれた。
だが安倍政権のような破廉恥で無反省なガキのようなやりたい放題を重ねていると
次は神さまは少しも助けないだろう…容赦の無い原発事故となろう。


次に土下座するのは安倍総理か…

 当初の計画では、原子炉ウェルを水のない状態に戻す日は2011年3月7日。 超巨大地震発生の4日前だった。

予定通りなら東京は死の都市となり立ち入りすら制限され、
これによって日本経済は壊滅していた。


 ◇


ツイッターより

TS さん @sunnysunnynismo 5月20日

はっきり言おう。朝日新聞、2011年3月15日におまえんとこは福島第一に居たか?マスコミなんかみんなビビッて福島から撤収してたろう。1Fを目指したのはごくごく一部だけだ。あの状況で爆発によって各自で撤収論が出るのは当然。それでも残ったからフクシマ50は凄いのだ。

The 2nd ‏@ka2nd
@sunnysunnynismoそれは論点のすり替え 吉田調書は多分に「吉田随筆」性が高い つまり吉田さんはこう感じていたってことだ。それを事故調が聴取し、朝日は暴露したに過ぎない 今回のTSの怒り方=パフォーマンスはなんというか 美味しんぼ騒動の鼻血発狂連中に似てるぞ
11:38 - 2014年5月21日


The 2nd @ka2nd · 5月21日
@sunnysunnynismo 吉田「本当は私2Fに行けと言ってないんですよ。ここがまた伝言ゲームのところで、行くとしたら2Fかという話をやってて、退避して車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第二に行けという指示をhttp://digital.asahi.com/special/yoshida_report/1-1m.html


The 2nd @ka2nd · 5月21日

@sunnysunnynismo じゃあおまえらプレスや要人が来たら防護服やチャコールマスク貸したのかよ。そんな余裕ないだろ物資的にも。 オフィスが寝る場所になってる状況で、じゃまになるだけじゃないか。 こないだ言ってたじゃないか、消防も警察も役立たずで邪魔だったとハッピーが


The 2nd @ka2nd · 5月21日

そんなこと吉田さんは応答してないよ。君自身の妄想を語っては駄目だ、それは科学でも議事録でもないし「吉田調書」という報道記事にも即してない。@sunnysunnynismo 2Fで体制を整えるのは当然。残線量も考慮の上


The 2nd @ka2nd · 5月21日

いや合法よ…盗むか殺して奪ったのでなければ…反論は反論したい人が記事を書いてもらうのが鉄則@sunnysunnynismo 今度書くならきちんとその場にいた人間の話もきちんと書け。だから朝日は「上から目線の現場知らず」なんだ。こんなん非合法に入手した吉田調書を一方的に書いてるだけ



The 2nd @ka2nd · 5月21日

いや…政府事故調が隠していたし、だからこそ官房長官がそれを認めた上で「今後も公開はしない」と公言したわけで… 田舎の人は激昂するとボロが出やすいからもっとそこは注意しないとダメ@sunnysunnynismo 隠してはいない。報道も知ってる。原発作業員に配慮し@ken500d


The 2nd @ka2nd · 5月21日

正直もう原発事故問題をすっ飛ばしてまで日本経済を守らなくてもいいだろう…それは震災直後の至上命題で今なお続けなくてもいい 日本の役所権力はいつまでも同じ命題で走りたがる 除染も今はやり方を変えないといけないが震災直後の方法で今もやってるhttp://d.hatena.ne.jp/geasszero/20140517/1400241176


Ishimaru Jiro @ishimarujiro 20 時間

朝日の「吉田調書」について、「3/15、いったい朝日はどこにいた?」という、原発作業員の痛烈な批判読む。(TS さん @sunnysunnynismo) もちろん「逃げた」というトーンへの反発です。

TS さん @sunnysunnynismo 8 時間

@ishimarujiro 福島第一を目指した、クレイジーな人ら(最大限の誉め言葉)もいましたけどね。ごく一部。いや、数人。

The 2nd @ka2nd

@sunnysunnynismo どこが痛烈なのか意味不明。調書って警察みたいな担当部署が行う公的な審問議事録よ?読売だろうが朝日だろうが、今回の報道は単に調書=吉田さんが自白したことを丸写ししてるだけ。論点のすり替えでは勝敗で言えば負けちゃうよ?@ishimarujiro
18:21 - 2014年5月22日
@sunnysunnynismo @ishimarujiroさんへ返信


あさくら彩華堂(水筒にトマトジュース派) @arthurclaris 5月20日

所長が「残れ」と命令したのに皆で逃げた訳じゃなく、発電所経営層が、操作に関係ない人は一時退避する様に所内に司令を出した、というのが真相らしい。 そりゃそうだ。総務・経理等の事務屋、さらに言えば保修屋だって、操作に関係ない人にムダに被ばくさせる必要はない。

The 2nd@ka2nd

@arthurclaris らしい、ではデマだ。「福島で鼻血を出して死んだと聞いた」的なな伝聞手法と一緒 公的議事録への反論は同レベル公的文書で反論するしか無い 原発作業員は所詮は下っ端下請けなのだから、退避命令の真相はGMが公言するしか無い @sunnysunnynismo
18:27 - 2014年5月22日


The 2nd @ka2nd 3 時間
@sunnysunnynismo吉田さんの「命令無視された」という証言が不服なんだよね? 自分たちはそんなつもりじゃない、という論調にしたいんだよね? むろんステルス右翼の諸君は朝日ってだけで命令違反と書かれ気に食わず、美味しんぼは左翼ってだけで鼻血と書かれ立腹したのはわかるけど


The 2nd @ka2nd 3 時間

@sunnysunnynismo繰り返すが政府調書に不服があり「現地取材もしてないじゃないか」と抗議するということは 自白や関係者証言だけで作られたいかなる警察の供述調書も不服だ、という構図と同じなんだが… これが朝日が現地取材しただけのソースで命令違反と断言したらアウトだけど



The 2nd @ka2nd · 2 時間

@sunnysunnynismo吉田調書は、吉田さんの自白である。政府の公的調書の完成版である。 1吉田氏=ボスの自白内容に抗弁するには 2政府調書=オカミに正規手順で反論するには 正しい手続きを経なくては負けたも同然。喧嘩で勝たれても後世が困るだけ 本件について朝日ほぼ関係ない


The 2nd @ka2nd 2 時間

@sunnysunnynismo 以前も言ったが私はIBM富士通の書類書きおよびシステム屋だった 理詰めで正規手順を導かないと最終版と認定されるためのハンコがもらえない そういう実務経験者は陸運局だろうが警察捜査だろうが、あらゆる手続きが得意になる つまり政策策定にも秀でる


The 2nd @ka2nd 1 時間

@sunnysunnynismoせめて簡易には、GMを週刊誌レベルでもいいから直撃インタビューに応じてもらい、詳細に反論や説明をさせること 下っ端どもはボス本人じゃないから、ボスの真意や聞き間違いなどがわかるはずもない…神じゃねえんだから 「〜に違いないんだ!」とか言っても無駄


The 2nd @ka2nd 1 時間

指揮命令系統の、どこにバグが有ったか? 吉田所長の優柔不断な口調、過労による相互勘違い、GMの独断… これは調査対象であり、憶測で導き出せる難易度ではない 事故も調査対象だが、事故調査報告書の内容もまた調査対象足りえる


The 2nd @ka2nd 59 分

すでに政府与党の開示ムードは始まっている(カイジじゃねーぞ もうひと押しで全面開示…吉田さん遺族にかかっているが 自民も卑怯だな吉田さんを盾に http://www.asahi.com/articles/ASG5Q3T47G5QUTFK001.html … 吉田調書「遺族から申し出あれば開示検討」 菅官房長官 2014年5月22日15時10分

http://digital.asahi.com/articles/ASG5Q4TF9G5QUTFK003.html
吉田調書の閲覧請求へ 自民部会、国政調査権も視野
2014年5月22日23時46分


 自民党原子力規制に関するプロジェクトチーム(PT)は22日、経済産業部会などと合同部会を開き、政府事故調査・検証委員会が福島第一原発吉田昌郎元所長(故人)を聴取した「聴取結果書」(吉田調書)について、国政調査権も視野に政府に閲覧を求める方針を決めた。


 PT事務局長で福島県いわき市出身の吉野正芳衆院議員は会合後、記者団に「二度と起こしたくないが、事故は必ず起きる。PTが、(被害の)リスクをどれだけ軽減するかの役割を果たす。調書を見て、最初の対応がどうだったのか検討したい」と訴えた。


 吉田調書によると、福島第一原発3号機は、高濃度の放射性物質を人為的に外気に放出する「ドライベント」の準備を進めていたことが明らかになっている。吉野氏は「ドライベントする時に、どのように放射性物質が広がっていくのかを、東電独自でやっていた。公表すべきだった。吉田調書を見て事実を確かめたい」と当時の対応を批判した。

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/150411
安倍官邸が激怒! 福島原発「吉田調書」流出で“犯人捜し”
2014年5月23日


 朝日は、福島第1原発の所長だった故・吉田昌郎氏が、政府の事故調査・検証委員会に語った「調査報告書」(吉田調書)を入手。事故直後に所員の9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令を無視して“逃亡”したことや、住民が大量被曝(ひばく)するベントの準備を密かに進めていた事実を報道。あらためて東電の隠蔽体質を浮き彫りにした。

 この報道に安倍官邸がカンカンなのだ。
「官邸ではいま、『一体誰が朝日の記者に吉田調書を流したのか』と“犯人捜し”が始まっています。菅官房長官は『(調書は絶対に)公開しない』と憤然としている。とくに安倍周辺は、原発は過酷事故が起きれば、電力会社さえもコントロール不能に陥る――という解説部分が気に入らないらしい。原発再稼働に突き進む安倍政権にとって、少しでも反原発につながる動きは許せないのでしょう」(官邸事情通)


 原発はとても人間の手に負えるシロモノじゃない。「吉田調書」の生々しい証言はそれを物語っている。未曽有の大惨事にならなかったのは、たまたま「偶然」が重なっただけだ。


「菅官房長官は会見で『(吉田調書は)政府として情報公開制度に対する扱いは不開示としている』と明確に答えている。つまり、『特定秘密に当たる』ということです。年内がメドとされる秘密保護法が施行されていたら、吉田調書を入手した朝日の記者も、渡した役人も逮捕される事態になっていたでしょう」(司法ジャーナリスト)


 元外務省国際情報局長の孫崎享氏はこう言う。
「『吉田調書』であらためて分かったのは、福島原発事故の全容がきちんと検証されていないことです。驚くのは原子力規制委員会の田中俊一委員長も調書を『読んでいない』と答えていること。秘密保護法が施行されれば、国民にとって必要な情報はますます隠されることになる。大変、危惧します」

震災年秋の午前0時ごろ、経産省から出てきた職員かキャリアか…中年の。
多忙で色々自分で調べるヒマもなかろう、
原発テント村の左翼に色々情報をもらってるうちに
涙混じりに…家や家族のことを考えただろうか。(この時http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20111026/1319581243
公私は別だ。
美味しんぼとんでもないとか会見で言ってる大臣たちも内心は真逆だろう。大丈夫と会見では言いながら家族を遠くへ逃がすことは実際に横行した。


 ◇

http://digital.asahi.com/articles/ASG5R7D7XG5RUTFK01V.html
原発事故調、当初は開示方針 吉田調書など全772人分

2014年5月24日05時48分


 政府事故調査・検証委員会が福島第一原発事故の関係者772人から聞き取った聴取書(調書)を震災後の歴代政権が公開していない問題で、事故調が調査当初に「必要な範囲で開示する」と申し合わせていたことがわかった。


 朝日新聞はそのうちの吉田昌郎元所長の「聴取結果書」(吉田調書)を入手。吉田氏の命令に違反し、当時いた9割の所員が福島第二原発に撤退していたことなどが明らかになった。安倍政権は調書を非開示のままだ。ただ、菅義偉官房長官は23日の記者会見で「本人から(開示要求が)あれば、問題はなくなる」と語り、条件付きで、公開に応じる考えを明らかにした。公開されれば、原発再稼働など今後のエネルギー政策全般に大きな影響があるのは必至だ。

 政府事故調は聴取前の2011年7月8日に「ヒアリングは原則として非公開かつ少人数で行う。相手方が公開を了承している場合は、適宜の方法(マスコミへの公開またはこれを前提とした録画等)で行う」と申し合わせた。

 非公開で聴取した場合の調書の扱いについて、「供述者の特定につながる部分および供述者が非公開を希望している部分については開示しない。必要な範囲で開示する」としていた。

 実際には聴取も調書もすべて非公開。民主党政権下の事故調から調査を引き継いだ内閣官房原子力規制組織等改革推進室は「基本的には非公開を前提としているが、個々のすべての調書について公開、非公開の確認は取れない」とあいまいだ。

 聴取に応じた民主党関係者は朝日新聞の取材に「当時、公開でも非公開でもどちらでもいいと答えた。その後の(推進室からの)確認もない」と話した。本人への厳密な確認もなく、非公開となっている可能性が大きい。

 一方、自民党原子力規制に関するプロジェクトチーム(PT)と環境部会は23日、合同部会を開き、政府に対し、吉田調書の国会議員による閲覧を求める方針を改めて確認した。PT座長の塩崎恭久政調会長代理は「二度とああいう悲惨な事故が起きないようにするためにも、できる限り国民に還元すべきだ。ルール作りは国会議員に課せられた使命だ」と、政府に調書の公開を求める考えを示した。(関根慎一)

■吉田元所長の上申書公表

 安倍政権は23日、吉田氏が「公表されることを望みません。記憶の混同等によって事実を誤認している部分もあるのではないか」と記した上申書を公表。上申書は政府事故調が国会事故調の求めに応じ、吉田調書を提出する際、吉田氏が政府事故調に提出したものだ。吉田氏は政府事故調から「お話しいただいた言葉はほぼそのままの形で公にされる可能性がある」と通告され、「結構でございます」と即答したことが吉田調書に記録されている。

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ふろく
最近拾った画像とか







すげえたのもしい日本の原子力…(11/3/10まで)