先従隗始・温故知新

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いまさらの東電発表… (朝日)注水、原子炉に十分届かず 炉心溶融の福島1〜3号機


こんな内容は、NHKが番組で取材し詳細に解説していた。
東電は、要調査を建前にして発表を先延ばしにしてきただけだ。


それに
『100%がFPラインで注水できたところで、水素爆発やメルトダウンは逃れられない』
そんな甘いもんじゃない。


計算上、メルトダウン完了〜水素爆発までは最短8時間だ。(元・佐賀大学長で元・原発設計技師)
一説ではメルトダウン完了まで4時間かからないとされる。
現地へ消防が来たのはもっとずっと後のこと。
モタモタ、オロオロしていたあの原発爆発直前の現場状況では
まず不可避だった。付け焼き刃だった。


まともに消防車が揃ったのは震災の翌々日以降…


人間側があまりに耐性不備すぎて、練度不足すぎて
自然物理側は「余裕ぶっこいて」水素をためこんでいき、爆発したのが実情。


無理なんだよ、あんなデカイ規模の原子力プラントは。
事故を起こしてそれに気づくまで半世紀かかったの。
見た目は普通の工業プラントだから慢心していたが、原子力が絡むと「決して冷めない」。
つまりドラえもんの『栗まんじゅう』とおなじ、無限増殖発熱。

じっさい、あの緊迫の原発事故前後においてはネット上で
宇宙に放り出せればいいのにと、本気で言う者が複数いた。これは映画スーパーマン4でも核爆弾を太陽へ放り込んで棄てる描写があったほどだ。

原子力は食べきれない…万一があったら最後。
原子力発電を行おうとする人類=のび太に他ならない。人は愚かな間違いを繰り返すものだ。


いまの事故後作業にしても、地下水脈だの、丘陵地帯だのと
大自然そのものを改変する」
不可能なオペレーションになってしまっている。


無理。
無理とわかってても当事者はやるしかない。やれる範囲の微々たることを。

http://www.asahi.com/articles/TKY201312130416.html
注水、原子炉に十分届かず 炉心溶融の福島1〜3号機

2013年12月13日22時47分



写真・図版事故時の福島第一原発の注水イメージ


 東京電力は13日、福島第一原発事故炉心溶融した1〜3号機について、事故時に消防車で原子炉内に冷却水を送り込む際に、十分な量を送り込めていなかったと発表した。消防車からは十分な水が出ていたが、別の配管に水が流れ込んでいた。別の配管に流れ込んでいなければ、炉心溶融が進むのを抑えられた可能性があるという。

 東電は昨年6月に事故調査報告書を公表したが、未解明なことが多く残っている。東電は未確認・未解明事項52項目を挙げ、2年以内に結論を出す予定にしている。今回、うち10件の分析結果を公表した。

 福島第一原発では震災直後、炉心冷却設備が壊れて使えなくなった。このため、消防車をホースで原発の配管とつなぎ原子炉へ注水して原子炉を冷やした。東電によると、2号機では冷却に必要な7倍以上の水量を送っていたという。しかし、原子炉を十分に冷やせず、1〜3号機で炉心溶融事故が起きた。

http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20130311/1362922788

http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0310/

NHKスペシャル


3.11 あの日から2年
メルトダウン
原子炉"冷却"の死角
http://www.dailymotion.com/video/xy4cg1


NHK取材はその後の専門家による再現実験や、東電の内部検証会議などを追って

・FP注水自体はうまくいっていたが、経路上に未確認の主復水器バイパス系統があったため、そこからFP送水の半分以上が主復水器にいってしまった

…ことを明かしている。


3号機に注水の半分以上漏出か
動画⇒http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130310/k10013096131000.html
3月10日 18時57分 NHK


東京電力福島第一原子力発電所の事故で、1号機に続いてメルトダウンした3号機について、当時、消防車から緊急に原子炉に向けて注入した水の半分以上が、別の装置に漏れ出し、冷却に必要な量の水が原子炉に入っていなかった可能性の高いことが、NHKが専門家と共に行った解析や実験で分かりました。

消防車は、事故のあと、安全対策の要として全国の原発に配備されていますが、原子炉に確実に水が入るのか、事故から2年になる今も十分な検証が進んでいない実態が浮かび上がりました。

おととし3月の福島第一原発の事故では、1号機から3号機まで次々にメルトダウンし、建屋が水素爆発するなどして、大量の放射性物質が外部に放出されました。

事故から2年、なぜメルトダウンを防げなかったのか、十分な解明が進まないなか、NHKは、当時緊急に行われた消防車からの原子炉への注水に注目し、なすすべなく最初に水素爆発した1号機のあとに危機を迎えた3号機で検証しました。

消防車による注水を巡っては、一部が原子炉以外のどこかに漏れているのではないかという指摘が専門家からあり、NHKは、独自に入手した3号機の配管の図面などを基に、専門家と共に詳しく分析しました。

その結果、消防車から原子炉までの配管ラインの途中に水の抜け道があり、ここを通って、原子炉とは別の装置に水が漏れ出る可能性のあることを見つけました。

この抜け道の先には、発電に使われた蒸気を再び水に戻す「復水器」と呼ばれる装置があり、通常はその途中にあるポンプが動いていて水がせき止められるため、復水器に水が流れ込むことはありません。

ところが、専門家の協力を得て実験すると、ポンプが止まった場合、素通りして水が先に流れることが分かり、すべての電源を失った福島の事故の際には復水器側に水が漏れ出る可能性が高いことが分かりました。

当時、3号機の復水器は通常ではあり得ない満水状態だったことが、事故直後に東京電力が行った記者会見で明らかにされていて、今回の実験結果を裏付けています。

さらに、消防注水した際の当時の3号機の水の流れを実験で再現し、その結果を基に専門家が解析すると、原子炉に入らずに漏れた量はおよそ55%に上り、この量ではメルトダウンを防げなかったという結果になりました。

一方、漏れた量が25%までなら、メルトダウンは防げるという結果になっています。
消防車は、事故のあと、安全対策の要として全国の原発に配備されましたが、原子炉に確実に水が入るのか、事故から2年になる今も十分な検証が進んでいない実態が浮かび上がりました。

法政大学の宮野廣客員教授は、「消防車を配備すれば終わりではなく、本当に核燃料を冷やすのに十分な量の水が入るのかを確かめなければ、意味がない。事故の検証は不十分だ」と指摘しています。

■「放射性物質漏らさない」構造が落とし穴に

原子炉に向けて注水した水がポンプから復水器に漏れ出した背景には、放射性物質を外に漏らしてはいけないという、原発特有の“落とし穴”がありました。

水が漏れる原因となった、「復水器」につながるポンプは、1時間に2500トン近くの水を送り出す能力があり、猛スピードで回転するため、通常、軸の部分に少量の水を送り込んで熱の発生を抑える工夫が凝らされています。

一般のポンプであれば、水は送り込んだあと、そのまま外に排出しますが、原発で使うポンプの場合、放射性物質を含む水を外に漏らしてはいけないため、水でふたをする「封水」と呼ばれる特殊な構造をしています。

「封水」は、ポンプの羽根が回転する際に発生する水の圧力によって、ポンプに流れ込む水をせき止めます。

ところが、福島の事故では、すべての電源が失われてポンプが止まってしまったため、ポンプを素通りして、復水器に水が流れました。

緊急時に原子炉に注水する際、本来、水の漏れがあってはいけません。

ポンプの構造に詳しい東京海洋大学の刑部真弘教授は、「原発のように汚染水を絶対に漏らしてはならない状況では非常によくできた仕組みだが、電源が失われた今回は、大きな盲点になった。似たようなケースはほかにもある可能性があり、どこに弱点が存在するのか、徹底的に検証すべきだ」と指摘しています。

原子力規制委はまだ検証できず

消防車を使った原子炉への注水の検証が十分進んでいないことについて、国の原子力規制委員会で、原発の新安全基準作りを担当している更田委員に聞きました。

更田委員は「当然、漏れることは考えられるし、消防車やポンプ車で期待した量がすべて原子炉にいくわけではないと考えてもらっていい。安全基準や注水の手順で足りないところを見つけることは、事業者と個別の原子炉を対象に図面を基に議論しようとしているが、今の時点ではほとんどやっていない」と述べ、現状では規制委員会としても検証ができていないことを認めました。

そのうえで、今後の対応について更田委員は、「弱点探しや、実際に事故が起きたときにどうしようかという議論は、基準とは別の話だ。消防車による代替注水で十分な能力なのか、十分な手順なのか、万一事故が起きたときに実際に対応する人たちと私たちが向かい合って議論することになると思う」と述べ、消防車による注水のように、事故が起きたときの対応については、安全基準とは別に、事業者と直接議論をして対応策を検討する考えを示しました。

 

http://www.fdma.go.jp/bn/higaihou/pdf/genshiryoku/19.pdf
福島原子力発電所に関連する消防の対応について(第19報) - 総務省


・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力要請し、合計4台の消防
ポンプ自動車を東京電力に貸与。
○郡山地方広域消防組合消防本部(2台)13日20時45分到着
いわき市消防本部(1台) 14日 0時45分到着
須賀川地方広域消防本部(1台) 14日 0時45分到着


・「官房長官指示」により、消防庁から下記の消防本部に協力要請し、合計8台(総計
12台)の消防ポンプ自動車を東京電力に貸与。
米沢市消防本部(1台) 14日21時45分到着
会津若松地方広域市町村圏整備組合消防本部(1台) 14日19時10分到着
宇都宮市消防本部(2台) 14日21時50分到着
さいたま市消防局(2台) 15日 1時15分到着
新潟市消防局(2台) 14日23時45分到着


http://blog.livedoor.jp/genpatsumerumaga/archives/24770481.html
3日目の朝、14日の朝になっても、東京電力の火力発電所の消防車の手配については、打診は行われていたものの、予定はたっていなかった。

そして、同じ14日の朝、再度火力部をせっついたところ、運ぶ人がいない、という答えが出てきた。「マンパワー」を用意することに手間取っていたのだ。

その後、時間を経て、千葉の3つの火力発電所から1台ずつで、計3台。神奈川から1台が出発した。

最初に出発した姉崎火力発電所の消防車は、14日12:26分に出発した。

12日深夜の打診から、12時間以上は経過していたことになる。

上記の計4台の消防車が、福島第一の南にある、福島第二発電所に到着したのは、3月13日の23:30分。

その後、この4台が福島第二を出発したのは、3月14日の午前4時32分。

福島第二に到着してから、5時間も経過していた。

大雑把に整理してみる。

打診から、約12時間後に、千葉から消防車が出発。
打診から、約24時間後に、福島第二に消防車4台が到着。
打診から、約29時間後に、福島第二から、消防車4台が出発。


 ◇

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/12/post_8827.html
原発事故関連死(49)ストレス 仮住まい 慣れない環境 入居後も体調戻らず 東の空に「古里」を思う


進さんの遺影の周りには、スナップ写真がにぎやかに並ぶ


 富岡町から郡山市南一丁目の仮設住宅に避難している無職関根富子さん(66)は夫の進さん=当時(72)=の遺影を見て、ある言葉を思い出した。「おい、とみ(富子さん)。俺が死んだときの写真を撮ってくれないか」。急性脳梗塞で倒れる平成23年12月の1カ月ほど前、突然切り出してきた。自らの死期を悟ったかのような口ぶりだった。
 居間の壁を背に、撮影した1枚を見た進さんは「何だか、さえねぇ顔だな」とつぶやいた。普段と違う自分が映っていた。くすんだ顔色に違和感があった。遺影には長女の結婚式で撮った10年前の写真が使われた。


 「避難所の生活は張り合いがなかった。体調が優れないんだ」。仮設住宅に移って5カ月ほど経過した23年11月、進さんは体力を回復させようとサイクリングを続けていた。
 東京電力福島第一原発事故の発生以降、進さんが一時帰宅したのは1度きりだった。自宅はJR夜ノ森駅のすぐ西側にある。広々とした居間で、のんびり過ごすのが好きだった。「山を何個越えたら、家に着くかな」。時折、自宅がある方角の東の空を眺め、寂しそうにつぶやいていた。
 望郷の念は日に日に増した。「古里と仮設住宅暮らしは違いが大きすぎる。ストレスがたまり、体が弱ってしまったのではないか」。富子さんは当時の夫の気持ちを推し量る。


 12月6日は冷たい風が強く吹いていた。昼ごろ、進さんはいわき市のおいに手紙を出すため外出し、帰り道で仮設住宅脇のスロープの手すりに倒れかかった。顔をぶつけた衝撃で右目の辺りが青黒く腫れ、歯は抜け落ちた。郡山市の病院に救急搬送された。入院当日、問い掛けにかすかに応じ、手を握り返す力もあった。しかし、次の日から意識がなくなった。 それから約5カ月が経過した24年5月。いつものように看病を終え、富子さんは仮設住宅に向かっていた。携帯電話に病院から連絡が入った。「すぐに来てください」。病院へと急いで戻ったが、既に息を引き取っていた。「あれほど古里に帰りたがっていたのに...」。長年連れ添った夫の思いを考えると悔しくて仕方がなかった。


 進さんの仏壇の周りには、写真がにぎやかに並ぶ。富子さんと両足が不自由な長男の進一郎さん(43)が、この1年半ほどの楽しかった思い出を収めたスナップばかりだ。仮設住宅の暮らしは自宅に比べれば、手狭で不便だ。
 しかし、2人にとって仮設住宅の仲間らとの触れ合いが支えになっている。つらい避難生活の中でも前を向かせてくれる。
 事故が起きた福島第一原発は、汚染水漏れなど問題が次々に発生し、心の中には不安が渦巻く。「元の暮らしを取り戻すことはできるのだろうか」
 同じ仮設住宅では望郷の念を抱きながら、年老いていく人がいる。最近、敷地内で救急車のサイレンが毎日のように聞こえる−。「こんな避難生活が長引けば、体調を崩す人は増えるばかりだ」。富子さんは感じている。

(2013/12/16 11:14カテゴリー:原発事故関連死)

政府も東電も、原発被災者を僻地へ隔離幽閉し続けておけば
補償がどんどん減って好都合であろう…


それを第一義にはしないが
国賠訴訟と同じく、国は平気でそれをやる。相手=原告団メンバーが年を取ったりバタバタ死んでいくのを待つ。
死人をどう美化しようが自由であれば…


「隙あらば風化を進める」


以下のように、ノスタルジィ気分だけで、元に戻ったつもりにだけはならないように。
ますます自民公明霞ヶ関原子力利権の、思うつぼ。
このミカン、ちゃんとベクレルカウンターにかけてるんだろうね…なんも書いてないけど。
そうやってナアナアで現地で取ったものを飲み食いしてたウクライナベラルーシの貧民たちは、あっちが腫れたりこっちが痛かったりと不定愁訴やガンを増加させていったんだ。
たとえ1万個にひとつだけベクレル測定したって、あくまでサンプルだからほかは同じではないしな…ロシアンルーレット

http://www.asahi.com/articles/ASF0TKY201312170330.html
福島県広野町で3年ぶりミカン狩り 「少しずつ元に」

2013年12月18日07時23分


写真・図版「みかんの丘」で、3年ぶりに再開されたミカン狩りを次男と一緒に楽しむ木幡尚子さん=17日午前10時22分、福島県広野町、福留庸友撮影


 【西堀岳路】福島県広野町の町役場横にある丘で17日、3年ぶりにミカン狩りがあった。東京電力福島第一原発の事故後初めて。町民ら約50人が黄色く色づいた実をはさみで切り取った。

 町は第一原発から30キロ圏内にあり、原発事故後、県の指示で自粛していた。今年4月に避難先の千葉県から町に帰った木幡尚子さん(30)は次男(3)を連れて参加。「町が少しずつ元に戻っていく感じがします」と話した。

 30年ほど前、町が温暖な気候をアピールしようと温州ミカンの苗木200本を丘に植えた。ミカン狩りは地元幼稚園児らの恒例行事だった。


福島かわいそうキャンペーン・政策である限り
・絶対に成功しない
・思惑通りにいくことはまずない


底値でも在庫整理に困る福島米と野菜…しまいには野菜は産地を書かないがそれでも売れない。
はじめは小売り側もためしに協力してみたが
安倍自民と公明と霞ヶ関が馬鹿だったので、成功するはずがなかった。もはや販売の現場では撤退ムードがちらつく…政治や行政の都合だけでは、市場は動かない…官民は一致しないから。http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20131218/1387333368


おれが軍師として参画しない自民公明は、非常に知能指数が低下し、昔から得意なパワハラしかできなくなる。
そうなるのがわかっていたので、あえて安倍に三行半を突きつけて絶縁したのだが、まんまと引っかかってくれた。


こういうのはね、政策と販促を兼ね備えたアルファプランナーは、まず提案しないの。
逆なのよ。「あえて、何も仕掛けない」


なにかを仕掛けてしまうのは、シビレを切らして何をするかわからん凡庸なプランナーや政策担当者なの。遅刻しそうで無謀運転を繰り返す運転手みたいな。


ただ客引きがうるさいだけの、魅力のない、あるいは害がある、そんな店先に人は近寄らないんだよ。


福島米は5kgで200円は安いが、1ヶ月200円のために健康をやすりで削りたくないわ。
福島は悪くない。避けたいのは福島じゃなくて原発が出した放射性物質なんだよ。

http://gendai.net/articles/view/geino/146758
 終わってみれば、低空飛行のまーんまだった。先週日曜に最終回を迎えたNHK大河「八重の桜」。全50話の年間平均視聴率14.6%(ビデオリサーチ調べ、関東地区=以下同)と大河史上4番目に低い数字で幕を閉じたのだ。

 結果が結果である。「平清盛」でワースト視聴率に終わった松山ケンイチは直後の主演舞台もパッとせず、痛手を被った。


 ◇


これが廃炉の現実。


核のゴミだけでなく
原子炉の鉄くずすら置く場所がいつまでも決まらない。廃炉がどんどん延びる、


だが東電に関してはまだ余裕が見込める。
つまり、福島第二も実質廃炉として=置き場にしてしまう。
各地の廃炉ゴミを柏崎刈羽で受け付ける。
使わない使えない原発は結局、オキバにするのが設備的にも最適である。

http://mainichi.jp/select/news/20131220k0000m040104000c.html
東海原発:廃炉5年遅れに 解体後の処分地なく

毎日新聞 2013年12月19日 21時48分


 日本原子力発電は19日、国内初の商業炉で廃炉作業中の東海原発茨城県東海村)について、来年度から始める予定だった原子炉の解体工事を5年間延期すると発表した。これに伴い、廃炉の完了期も2020年度から25年度に遅れる見込み。

 理由について、原電は「解体に必要な装置の導入に時間がかかっているため」と説明したが、解体後に出る放射性廃棄物の処分地が決まっていないことも背景にある。

 解体着手の延期は10年7月に続き2回目となる。

 原電によると、廃炉作業で出る放射性廃棄物は約2万7000トンで、すべて地中に埋設するが、処分地が決まっていない。この中でも、原子炉の解体によって生じる制御棒など放射線量が比較的高い約1600トンについて、国は地下50〜100メートルに埋める「余裕深度処分」を行うよう求めているが、施設の運用に関する国の基準は整備されていない。

 東海原発は1966年、国内の商業炉で初めて営業運転を始め、98年に運転を終了。01年に国内で最初に廃炉作業に入った。