先従隗始・温故知新

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日本が今後、「各国メーカー平等条件の」グローバル競争に絶対に生き残れない理由


無理だろう、どう考えたって…国際グローバルで今後、日本が落ちぶれないのも、生き残るのも…
常日頃から、躍進する新興国の社会実態を目の当たりにするたびに実感する。


日本メーカーが世界を席巻した時代は、日本ぐらいしかすごい技術がなかった。そういう「独占的な」時代しか日本は輝けない。


各国が委託生産などで技術ノウハウを得ると、次第に横並び感が強まって日本は一兵卒へ近づいてしまう。
日本がバブルの頃、中国は計画経済でソ連と一緒にぼろいものばかり作り、国民服を着て、大衆はみんな自転車で通勤していた。それが中国だった。中国といえば天安門前の無数の通勤自転車だねえ、国民服だねえ、と日本人もみんな知っていた。


 ◆


MXTVで、世界中学生サッカーエリートの招待試合(代々木、有明)を紹介していた。
アルゼンチン代表ボカは、9軍まであって小学生の頃から実質プロである…中学生チームはマラドーナも在籍歴がある名門。
彼らは貧しい。「プロになって貧しい家庭を、親を、ラクにさせる」という信念=強さを持っている。
彼らはすでにプロ=エリート候補生だ…何万人以上のなかの代表だというプライドがある。重荷を背負っている。


翻って日本はどうか…ただの地域のうまいやつの寄せ集めだ。岩手代表はおろか東京代表でさえも全然駄目だ。
エリートコースが無い。
貧しさが無いのでヒッシにならない、ひたすらに打ち込まない。サッカーは遊び。ほかに職業や趣味を持っている。サッカーで食う必要がない。


アルゼンチンなどサッカー名門国の中学生たちは、「小さいオトナ、小さなプロ」として精悍である。
サッカーテクにしてもまったく隙が無い…


日本の中学生は…子ども。
ダラダラしており、ニヤニヤと油断が現れており、任天堂DSでさっきまで遊んでた延長の態度。
サッカーで食えないと極貧に逆戻りという必死さが無い。
「おれは何万人もの中学生を蹴落としてきた代表だ」、というプライドが無い。


日本の高校サッカー優勝校でも無いと勝てなそうなアルゼンチンのボカ。
子どものお遊びが少しだけうまくなったような東京代表は、肩書は日本屈指でも、ぜんぜんボールさばきや身さばきがぎこちない…
オトナの世界代表が中学生になったようなアルゼンチンやブラジルの代表チームは、すべてが完璧だ…
まだ日本到着直後は時差や長旅で疲れていたが、翌日はもう水を得た魚で圧倒…
おそらく日本代表がブラジルへ遠征したら、10点取られてボロ負けだろうね。


東京代表の動き、作戦は、FIFA日本代表そのまんまだ。
鉄壁の守りで点は取らせないが、
とにかく攻めるのがへたくそ。つながらないし、パスワークや身さばきがぎこちなすぎてすぐブラジルやアルゼンチンの側にボールをとられ、阻まれる。


日本人で、ブラジル的な身さばきができるのはカズとヒデぐらいだろう…まだ10人いないと思う。
本田らがことさら輝いて見えるのはすべてこの「完璧なモーションであるか否か」
そういう逸材がチームに1〜2名しかいないから点が取れない。南米代表は半数以上だ。


ドーハの悲劇以来、日本代表が決勝進出できるように影で尽力してきた身分である。
言うべきことは言わせてもらった。


同時に10年来、日本のみならず各国の経済政治軍事をサポートもしてきた。
だから言おう。「サッカーは世界経済政治の縮図…日本は今後のグローバル社会では、いっさい勝てないだろう…」
ごく一部のハイテクやクルマだけでは、戦後から今ままでふくれあがってきた日本経済の規模を維持できない…
日本という風船はしぼみつづけるしかない…維持できない。価格競争の点から製造拠点はどんどん海外へ出て行く。


日本の優秀な農民と一緒にキャベツ収穫作業をやった。嬬恋村で。
まぁ、無理すれば追いつけるが勝てないなあと、感心した。繊細な器用な農業エリートだった。


中国から研修の名目で出稼ぎに来ている若い中国人と一緒に白菜の収穫作業をやった。長野で。
「こいつらには永久に勝てない!」思い知った。あいつらはおそらく水だけ飲んでいても何年でも重荷を背負う力仕事が可能だ…
日本人は白菜6個入りのケースをえっちらおっちら歩いて運ぶ。中国の彼らは楽しそうに走っていく。
長野の農家のほうが遙かに貧しくてメシはまずいし少ない…へたすりゃ冷や飯だ。
群馬嬬恋農家のぜいたくなあたたかい食事でどうにかキャベツ収穫をやれていた自分は早々にリタイアした。


勝てない勝てない。みなさんもあきらめは早いほうがいいよ。


技術優位が崩れてくるにつれ「人と人の勝負」となるから、
バイタリティあふれる貧困国の連中に勝てる根拠は一つも無くなる。
時給百円で3人分働く方が勝つ。


相手のほうが頭一つデカイからね…手足が長いとサッカーはおろか大型オートバイレースでも俄然有利。細身だとクルリ転身が力学的に簡単になる。しかも町中で自然と躍って演奏するラテン系…サッカーはダンス…タップダンスに近い。

http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/representative/news/20130617-OYT1T00147.htm
ブラジルに完敗、「中学生とプロの差」と長友


 サッカー・コンフェデレーションズ杯ブラジル大会で8か月ぶりに胸を借りたブラジルは、日本に厳しい現実を突きつけた。

 0―4で敗れた昨年10月の前回対戦から成長した姿を見せるはずが、長友は吐き捨てた。「何も変わっていない。むしろ、差は広がっている」

 個の力でブラジルが上回るのは百も承知。気迫、激しさ、リスク覚悟の思い切ったプレーで対抗するはずだった。だが、開始3分、ネイマールに鮮やかなミドルシュートで出はなをくじかれると、「ビビってしまった」とザッケローニ監督。

 前半のパス成功率は50%ほど。余裕を持った相手が悠然と回すボールを奪い、仕掛けようとしても、つなぎのパスをミスして奪い返されるから、リズムが生まれなかった。遠藤ですら何でもないパスを焦って失敗し、何度も天を仰いだ。

 不得手のアウェーとはいえ、そもそもカナリア色のユニホームを恐れ過ぎてはいなかったか。内田は「相手が1、2メートル近くに感じる、見えないプレッシャーがあった」と言った。アジア王者のプライドを見せるどころか、ブラジルを本気にさせることすらできなかった。

 長友は「悔しさを通り越している。中学生とプロの差。W杯優勝とか言ってきたが、腹を抱えて笑われてしまう」といら立った。長谷部は「最後の精度、1対1の差を感じた」と前回と同じ課題を口にした。W杯本番まで残り1年。サッカー王国が教えてくれたのは、やはり「世界」は甘くないということだ。(風間徹也)
(2013年6月17日08時05分 読売新聞)



http://homepage1.nifty.com/long-life/ieshige/040829.htm
外国人が見た日本人の体力/生活習慣病食養生…その7
千葉市 家重                     2004.08.29


ドイツの医学者ベルツ博士(1849−1913)は1876 年(明治 9)東京医学校教師として来日,1905 年帰国。その間日本に約30年滞在、近代医学の発展に貢献しまた。さらに、脚気の研究や温泉療法とともに草津温泉を広く紹介し、あかきれ、しもやけの薬“ベルツ水は今も市販されています。著書「ベルツの日記」に、当時の日本人の体力に驚いたとエピソードに書かれています。
ベルツ博士は、東京から110km離れた日光に旅することになり、馬を6回取り替え、14時間かけやっとたどり着きました。もうひとりの人は人力車を使って日光に行きました。馬と人力車はどちらが早く着いたと思いますか?
人力車はなんと30分遅れるだけで、それも交代なしで日光に到着しているのです。

馬の力と書いて馬力です。馬力と言う言葉から精力、活力、体力をイメージします。また、スタミナの代名詞に使われているように馬の力の方が優っていると思いがちです。
[参考 1 馬力とは、工業上用いられる仕事率の単位。国によって定義が異なり,日本では0.750kW(キロワット)を いう]
ベルツ博士は、人力車の車夫の食事を調べると、玄米のおにぎりと梅干し、味噌大根の千切りと沢庵だったのです。日常食も米・麦・粟・ジャガイモなどの低蛋白質、低脂肪の粗食でした。肉も食べずにこれだけの力が出ることに驚き、そこで、ドイツ栄養学を適用すればより一層の力が出るであろうと、ベルツ博士は食事の実験を行いました。

22歳と25歳の車夫を2人雇い、1人におにぎりの食事他の1人に肉の食事摂らせ、80kgの荷物を積み、40km距離を走らせ、どちらが長く続けられるかを試したのです。結果を見ますと肉料理を加えた車夫には、疲労が甚だしく募り3日でダウンし、もとの食事にもどしました。では、おにぎりは3週間走り続けることが出来ました。肉の食事の車夫も、食べ物を元に戻すと元気に走れるようになったそうです。
この経験からベルツ博士は、帰国後ドイツ国民に菜食を訴えたと言います。
外国人が見た文献に、フランシスコザビエルは天文18年(1549)に「彼らは時々魚を食膳に供し米や麦も食べるが少量である。ただし野菜や山菜は豊富だ。それでいてこの国の人達は不思議なほど達者であり、まれに高齢に達するものも多数いる」といっていた。
大森貝塚の発見者であるモースも、明治10年(1877)横浜に到着、日本人のすごい体力に驚いている。『日本その日その日』の中で、人力車を引く人がおよそ50kmも休みなしに走りつづけること、また利根川を船でおよそ100km下った時、一人がずっと櫓を操っていたことなどを紹介しています。
現在の栄養学から見れば、戦前の日本食は粗食と見なされますが、日本人の唾液量、胃腸の長さに適応していた食事だからこそ外国人のビックリした体力を持っていたのではないでしょうか。今の日本人にこのようなパワーがありますでしょうか。
日本人の適応食「和食」を今一度見直すことが生活習慣病改善の近道でないでしょうか。