先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

ニコごときが天下とった気でいるような日本のITは情けない

はっきりいって原発内部レポートの時といい「ジャーナリズムの域に達していない。」
ヤマカンが王様気取りのアニメ業界のようだ。


おれはとっくにこの業界を去って久しいが、いた頃からなんというかイマイチ人材ばかりというか、アメリカの足下にも及ばないというか…日本人の没個性や引っ込み思案がこれほどネガティヴに作用してる業界もないのは感じていた。


ニコごときに代表顔されちゃうような日本のITであれば、
スマホにおいてアップルなど欧米勢に日本勢が総ナメにされても仕方あるまい。

読売
 野田首相民主党代表)と自民党の安倍総裁は29日、インターネットサイト「ニコニコ動画」番組の党首討論にそろって出席し、環太平洋経済連携協定(TPP)などの各政策を主張した。

 日本未来の党嘉田由紀子代表は、党首同士の論戦の現場に初めて登場した。

 番組には、3氏のほか、公明党の山口代表ら7人の計10党首が出席。日本維新の会石原慎太郎代表は欠席した。首相と安倍氏が一対一でやり取りする場面はなかった。

政権交代目前の民主党
政権奪取目前の自民、


いずれもニコに営業かけられて、まんまと出演にこぎ着けられている…
まだまだ政界の中高年はアナログで、ITどころかデジタルすら苦手で、他人任せだから、ニコの品質などわからず、いいものなのか悪いものなのかすらわかってない。


世の中には「ニコやミクを否定するの?ふるうー」などと本気で揶揄する若い奴がたまにいるが
つくづく、本質とかホンモノを見抜く眼力・リテラシーのない浅い人間が多くなってきたのかなと思う。
カタログやCMばかりに情報を吹き込まれ、すぐ信じてしまって、
自分自身で一人で疑って考えてみることが無い。
自分自身で高品質な逸品をこさえてみたこともない。
そういう連中は「テレビで放射能は安全って言ってたから大丈夫」と本気で信じてしまって、以後は危機感を持とうとしない。


 ◇


日本は単一民族で、2千年もおなじような国の中でやってきていて
メンタル、ムード、以心伝心テレパシーいわば鳥の群れのように原始的に連動するのみで動こうとするので、下位市民の品質はさして良くない。ボスだのオカミだのの顔色ばかりうかがっているスタンバイ・マシンである。
(おれは政権を通じてノーネクタイとクールビズを普及に邁進した張本人の一人だが、まだその初年度のころなんか、NECグループの本社にいくと「こいつがノーネクタイとか言い出したやろうか、だがおれたちは部長がノーネクタイになるまではテコでもやらないからな!反逆だ!」などと平社員たちに鼻息の荒い陰口をたたかれたりした。)


翻って多民族国家や、陸続き国境の大陸国家では、異なる民族や文化同士がコミュニケートあるいは衝突を繰り返すので、言語化=ロジカルでないと、はじまらない。孤立無援や求道における自己進化性も尊ばれる。


日本は元々野蛮民族のたぐいだったが、西洋文明の英知を模倣して、明治〜平成初期まではやってきた・・・
しかし、その模倣した西洋風日本システムが陳腐化や老朽化で限界を迎えて崩れ始めてきた昨今では、日本人らしく目配せで顔色伺いでは、西洋風の日本システムを建て直すことは出来ない。修理すら危うい。


西洋模倣学習を徹底した幕末明治と、昭和の敗戦までは、
それを担当する高官や民間人経営者らは、西洋人になりきることを徹底したのだ。


いまのサラリーマン甘ったれもやししかいない日本人たちのように、中途半端に日本人ぶりで過ごそうなどという甘えたことはいってられなかった。白人社会にどんどん溶け込み、吸収して、日本国内でカタチにしていって、成果を上げないと、日本国の命運が危なかったのだから・・・


今の日本人たちでは、海外勢に勝てない。食えない日本になってどんどん落ちぶれていくばかりだ。


あんたがたは、日本人ぶりというものを買いかぶりすぎているんだよ。
日本人らしく侍であり続けていたなら清朝のように植民地の一つとして終わっていた。


日本は居心地がいいからと、日本はいいとこなんだからと、外へ腹を空かせながら学習と吸収に飛んでいかない・・・
それじゃ、月給3万円でアフリカに単身赴任して現地の水食料で我慢しながら無線通信インフラを次々に構築整備していく中国人に、勝てるわけがない。日本のサッカーが今ひとつ強くなれないのもそういう点だ。

田嶋幸三『言語技術が日本のサッカーを変える』


※要旨


・「そのプレーの意図は?」と訊かれたとき、
監督の目を見て答えを探ろうとする日本人。
一方、世界の強国では子供でさえ自分の考えを明確に説明し、クリエイティブなプレーをしている。
日本サッカーに足りないのは自己決定力であり、その基盤となる論理力と言語力なのだ。


・ドイツと日本の練習風景を比べてみたとき、まずはっきりした違いとして私の目に映ったのは、
「自分の考えをことばにする表現力」だった。


・国やチームなど、自分が所属している何かを代表しているという立場とは、どのような意味を持つのか。
その重要性について考え、学び、自覚することはどうしたらできるのか。
いわゆる「帝王学」を欧州チームの若者たちは受けている。

日本チームの若者は、サッカーに対する基本的な姿勢や考え方だけでなく、言葉遣い、話し方、
服装、身だしなみ、礼儀作法、そうしたことをしっかり教わる「機会」が少ない。


・本当の意味での「エリート」とは、社会における各分野でのリーダーであり、
奉仕者である、という自覚と能力を持った者たちのこと。
エリートは、確固とした倫理観と社会奉仕の精神に基づいて、
社会的な平等が保たれていくような奉仕活動に従事する。
「エリート」とは特権階級のことではなく、
むしろ戦場などでは「持てる能力を先頭に立って発揮しに行く存在」のことである。


 ◇


要は、タイトルでは端的にニコニコ動画をやり玉に挙げたが・・・
要点は、「なんか最近の日本、中途半端なやつらでも簡単に玉座や壇上に、あがってきちゃうようになったね」と。


いわば一例では民主党政権だ。不勉強で、お題目倒れで、その意味ではいいところがなかった。彼らのだめっぷりがむしろ様々な日本国の問題点や欠点を浮き彫りにするという皮肉な顛末であった。

早坂茂三田中角栄・回想録』


・なぜ議員立法がそう簡単ではないかといえば、何よりもまず議員自身が猛烈な勉強家でなければならず、
そして、その猛勉強の成果をもとに官僚を使いこなさなければならないからだ。
田中は若手議員たちを「勉強もしないで政治家がつとまるか」と叱りつけ、
「どこの省にはどういう有能な役人がいるか、よく覚えておけ」とアドバイスした。
これが田中の政策立法の、いわばコツだった。


角栄は権力の頂点を極めた政治家になっても、猛烈な勉強家だった。
早寝早起きの彼は、夜9時すぎには床に就き、一眠りし、12時ごろ必ず起き出す。
そして夜中の3時まで勉強するのだ。
そこには大蔵省、通産省、日銀などをはじめとする各省庁から届けられた資料・文書、それに各種選挙関係のデータがドサッと積まれている。
それにじっくりと目を通し、読み込むのである。

とくに選挙関係のデータは名前、選挙区、得票数などを赤鉛筆を使って詳細にチェックする。
田中がその政治生活の中で瞬時の判断に迷うことがなかったのは、日常的な勉強を怠らなかったからだ。


・「指導者の必要条件の一つは、マネジメントできるということ。
それと仮に飛行機の操縦ができなくても、指導者たる者は少なくとも、その仕組みぐらいは知っていなければならない。
その飛行機がどんな仕組みでつくられていて、国民がどんな目的で、どれくらいそれを使っているのか。
その程度のことは絶えず頭に入れておくことだ。
そういうことをたくさん知っている政治家ほど、いろんな問題をタイムリーに解決できる」
「偉くなるには大将の懐に入ることだ。大将は権力そのものだ。その懐に入れば、あらゆる動きがすべて見える」
「わたしが大切にしているのは、なによりも、人との接し方だよ。それは戦略や戦術じゃない。
わたしは、雑学の大家だし、ものごとの仕組みや制度をよく知っているから、面白い知恵がすぐ出てくる。
それで相手は現実に助かるから、とても喜んでくれる。人との結びつきはそのようなものだ。」
田中角栄


角栄という人は、ことを為すに当たって常に大局観に立ち、問題の具体的な解決策を用意して、役人や仲間の政治家、スタッフに方針を示す政治家でもある。

鳩山や菅、枝野なんかもそうだが、何を掲げて、何を言うと、世間とか、財界産業界とか、なにより霞ヶ関が、どう動くか、どういう顛末になるか、全然知らなかった。
『不勉強の塊』の、鼻息だけのような人々だから、そりゃあうまくいくわけがない。


でも自民党にしても改革派などの非主流でないかぎり、お酒を酌み交わす談合的な悪代官的な手順ばかりが達者な、形骸化政党に成り下がっていたのはご存じの通り。


 ◇

こういう、今や手空きの「かつて辣腕ぶりを発揮した」連中こそ、どんどん国会に上がっていけよ。

東国原・中田氏、維新から比例単独で出馬


世間では「だめな日本人ぶり」の発言が世論とかいって幅をきかせてるが
比例代表、もっともっと増やせ
・兼業国会議員を創設し、議席の半分にせよ
・民間登用を増やせ、閣僚経験者を増やしていけ
・第三者検討委、監視委など、横の目を増やしていけ
参院衆院は機能分化せよ(かつての貴族院衆院や、米の上院と下院など。ドイツもそんな感じだったかと)


使い物にならん形骸化したシステムはいらんのだから、とっとと撤廃するなりリフォームして使いよくしたらいい。
ただ、「何が使い物になってて、何はなってないか」判断すらできない、頭を鍛えてない人たちが政官財の現場に増えてしまっただけのこと。マニュアル通り慣例通りに手だけ口だけ動かすので、そういった肝心な要点には気づきもしないし、気にしようとすらしないでスルーする。あげく「日々忙しくて」と弁明する。だったら民間からどんどん機能や人材を入れたらよかろうが。
きのうに引用した記事だって、元官僚自身が「民間の膨大なソースに、少数の官僚だけで互角になれるはずがないとわかった」とカミングアウトしていただろう。
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20121129/1354157620

宇佐美
私自身について言えば、東日本大震災をきっかけに振り切りました。それ以前はあくまで官僚組織の中で、組織が決めた台本どおりに動いていたんですけど、震災を機に、役所に求められる本当の役割は何かを問い直しました。そのとき思ったのは、もう役所は民間の知恵には適わないってことです。だからといって役所が不要だと思いませんでしたし、むしろリーダーシップを持って次世代に希望を持てるビジョンを提示することも求められていると強く感じていました。

それで、さんざん悩んだ末に、これからの役所には民間の知恵を思いっきり引き出す仕組みが必要になると思ったんです。面白い人がたくさん集まって、台本もなく、大きな目標は共有して、自由闊達に議論をできる環境を整えてみようと考えました。そうしたら予想もしない凄いものが生まれてくるんじゃないかって。

当時はよく、「役所もドリフからひょうきん族に変わらなきゃいけない!」と言っていました。変化の激しい時代だから、台本を一生懸命つくり込むよりも、人が集まる楽しい場をつくって、その場のコラボレーションを重視する、っていうことなんだと思います。