先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

若い人はおさらいしておこう


当方はもうこんなの7,8年前からたくさん読んでるんだけど
未読の人がいて、そんなひとが国家や大組織を動かす権限を持っては、


たまらないんで。


早川創業者は奉公に出てやっと飢餓から脱出して三度ご飯が食べられてうれしかったと…おこげしかもらえなくても。
松下も本田もみんなそう。貧しくて当然、なんにも無いけどないなりにつくる。本田の最初は自転車にくっつけるまさに原動機だった。


みんな貧しくて、みんな悲惨だからこそ、松下も本田もかっこつけて「みなさんのくらしのため、豊かになってもらうため」と言っていたわけで


つまり豊かになりすぎてしまってタダ同然でなんでも手に入るようにまでなった現代日本はもう、
会社は伸びないし
人間も戦う場がない。
鍛造される環境がゼロと言うことだ。
この環境は貧しさがないから変えようがない。デッドエンドだ。


欧州は違うじゃないかって?
あそこはお隣同士がいっぱいあるからなんとかなる。
日本は、欧州の飛び地のような「ほかに例がない先進化した国」なのが致命傷…欧州のとなりへ引っ越せたらだいぶ違うけど不可能だ。日本は日本だけでモンローでガラパゴスで突っ走るしかなく、やがて自滅するしかない。敗戦みたいなガラガラガッシャーンを待つしか無い。日本円も日本語も日本独自で日本でしか使えないし。

http://agora-web.jp/archives/1537216.html
組織に高学歴者が増えるとなぜダメになるのか --- うさみ のりや

 
だから「就活のためにジョブズの伝記を読め」なんていう意味不明な広告が高田馬場駅に貼られたりするわけです。普通に考えりゃジョブズが就活なんてするはずねぇよと思うんですが。早稲田の学生はあれを見てどう思ってるのかな。

そんな訳で同じ最高学府でもアメリカのハーバードなんかとは違って、東大生で起業して成功している奴ってのはほとんどいません。皆さん多くはどこかの会社の正社員として勤めていらっしゃいます。

じゃそんな高学歴な人材がわんさか集まっている大企業は調子が良いのかというと、そこは皆さんご存知の通りで、グローバルに見ると(少なくとも最終消費材分野は)韓国企業なんかに押されがちで、国内で何とか儲けを担保する企業が多い現状です。

さらに世間一般では「新卒に高学歴者が増えるとその会社は衰退期に入る前兆を迎えている」なんて言われる始末です。
学歴が優秀さの一種のシンボルになっていると仮定すれば(この仮定自体が間違っているのかもしれませんが)、一応はポテンシャルを持った優秀な人が集まって来ているはずなのに、なんでそうなるかっていうのは結構難しい問題だと思うんですが、僕はその理由は

「高学歴者の多くは守りの人材になってしまう」

ってとこにあると思うんですよね。

今の日本は残念ながら身分制みたいなものができてしまってて、「いい学校入って、いい大学入って、新卒でいい会社に安定した立場で入る」ような正社員族と、その正社員にいいように使われる派遣族と、そういう道からどこかで外れてしまって地べたを這いずり回っていつ飢えるともわからない中で自分の伸し上がる道を探す起業家族がいるようなイメージを僕は持っています。

高学歴の方々のほとんどは正社員族で、そういう人は既存の秩序を壊されて自分の立ち位置が不安定になってはたまったものではありませんから、派遣族を使い倒し、起業家族を飼いならすことにその能力を使うことになります。

つまりは守りに入ってしまうわけで、こうして日本社会からはながらくダイナミズムが失われています。ただこういう内向きな理屈は国外に通じないですから、ハングリーな国の新進気鋭な企業にどんどんシェアを奪われてしまっているのが現状なのかなと思っています。


http://agora-web.jp/archives/1536961.html
経済成長の終わり
辻 元


欧州では経済成長の終わりが公の場で議論されるようになっている。2010年、イギリスでは政府委員会が、経済成長を前提としない「定常型経済」を目指す計画をまとめた。持続可能な社会のために今後の経済成長は諦め、労働時間を減らし、大量消費を抑えるためにテレビ広告を禁じるという。


ところが、日本では異次元の金融緩和が行われ、不可能と思われる高い経済成長を目指そうとしているし、FRB,ECBも金融緩和を行い、経済成長の促進を目指している。これはなぜだろうか。   

資本主義というトレッドミル

その理由は、資本主義自由経済の構造にある。 資本主義は一種のトレッドミルだ。つまり、資本主義自由経済は持続的に拡張を続けないと維持できない。つまり、資本に対して一定の割合の利益が出ていないと維持できない。

だから、ユニクロ柳井正会長が、Grow or die と言うのは、理解できる。ファーストリテイリングは2020年までに売上を5兆円に拡大するという計画を公表しているが、こういった強気の計画が、ファーストリテイリングの業績の拡大を予想させ、株価を押し上げる。成長期待がなくなれば、株価は暴落し、柳井氏の資産は大きく目減りするだろう。柳井氏は、このことを十分に理解しているから、Grow or die と言うのだ。 

だが、こういった持続的な成長を実現するのは、先進国においては、既に困難になりつつある。つまり、エネルギーを始めとする資源の減耗と、新興国の台頭による要素価格均等化圧力が、現在、先進国経済の成長を困難にしている。

先進国の国民は、現在の経済成長に満足していない。なぜなら、現在の社会制度、経済システムが、一定程度の経済成長を前提に作られているために、先進国の国民は絶え間ないストレスに晒されているからだ。


 ◇


こちらはすこし高級…大計とか歴史観というロングスパンで、上級者向け。このへんをきちんと頭に入れてしまうとキャリアとして国政を動かせる人材にはなれるが、しかし嫉妬大国日本では逆につぶされる宿命…現状維持のままでは。


厳密には、武家日本社会は、幕府ができるとしばらく息苦しい社会主義となり、戦国的になると流動性自由市場的になることのループだった。
社会主義徳川政権が倒れたから、列強をまねして自由市場政治経済をやってみていた明治大正期。当時は軍事がグローバル・トレンディ産業だったために江戸武家が復古してきてアメリカにケンカ売っておだぶつ。


最近の日米もじつは見えないところで戦闘を散発しており、端的には「魔法戦争」いわばほんとうに相手先にハリケーンやサイクロンを撃ち込んだり、反撃とばかりに大津波をよこしてきたりと。きのうもCNNほかで竜巻大惨事が報じられたが非常に怪しいタイミング。

http://ch.nicovideo.jp/ch711/blomaga/ar235455
【無料公開】田中良紹岸信介を裏切るアベノミクス
2013-05-20 19:52


円安・株高をもてはやす昨今のメディアは、アベノミクスに水を差すと「日本の希望が失われる」とでも言いたげである。しかし「巡り巡って格差社会」でも書いたように、アベノミクスは国民の格差を広げ、さらに日本を経済大国に押し上げた過去の成功要因をことごとく破壊していく。かつて岸信介らによって生み出された日本型資本主義の破壊にアベノミクスの本質がある。

大正から昭和初期の日本は現代のアメリカと瓜二つであった。企業は簡単に社員を解雇し労働者も頻繁に職を変える。つまり労働力はアメリカ並みに流動化していた。一方、株主の力もアメリカ並みに強く、株主は経営者に高い株価と配当を求めた。企業が銀行からの借り入れに頼らず、株式市場から資金調達を行っていたからである。

そのため経営者は目先の利益を追求する事が第一で、それが出来なければすぐに首を切られた。株主は目的に適う経営者を社外から送り込み、企業には終身雇用制も年功序列賃金もなかった。日本は不労所得を占有する一部富裕層と職を転々とする勤労層とに分かれ、誰も貯蓄などせず、金はもっぱら消費につぎ込まれた。当時のGDPに占める消費の割合は8割を超えたと言われ、日本はアメリカと同様の消費大国であった。さらに官僚が経済に介入する事もなく日本は市場原理の国だったのである。

この経済構造を大きく変えたのが岸信介らの「革新官僚」と軍部である。1929年の大恐慌で失業と貧困と飢餓が世界に蔓延し、各国が保護主義に走った時、資源のない日本は自給自足体制を目指す必要に迫られた。この時に軍部や「革新官僚」が目を付けたのが大恐慌の影響を受けなかったソ連の計画経済である。彼らは金融、財政、労働の三分野にわたる抜本的な改革に取り組んだ。

出来上がったのが「1940年体制」と呼ばれる経済構造である。利潤追求に走る株主の力を抑え、企業を経営者と従業員の手に取り戻すところに眼目があった。企業の資金調達を株式市場から銀行融資に転換させ、メインバンク制によって銀行が企業を管理し、さらに銀行を大蔵省の管理下に入れて、国家が企業を間接的にコントロールできるようにした。

経営者を社内から昇進させ、終身雇用制と年功序列賃金を導入して従業員に企業との一体感を植え付けた。産業別であった労働組合も企業別に振り分けられ、株主の支配権を削ぐ方法として配当の制限や企業同士による株の持ち合いが進められた。こうして企業利益は株主よりも、設備投資や従業員の給与と賞与、また経営者の報酬に振り向けられるようになる。また経営者と従業員には様々な福祉制度が導入され、健康保険制度や労働者年金制度が出来上がった。そして政府は国民に「貯蓄奨励」を呼びかけ、日本は消費大国から貯蓄大国へと変貌を遂げたのである。

この「1940年体制」は日本が戦争を遂行するための経済体制だったが、それが威力を発揮したのは戦時下ではなく、敗戦後の冷戦時代においてであった。アメリカが「反共の防波堤」として日本を利用するのに乗じ、日本は官僚を司令塔とし、それに自民党と経済界が協力する「輸出主導型」の「戦時経済体制」を展開したのである。

戦時下の兵隊に代わる「企業戦士」が世界を駆け回って製品輸出に力を入れ、その成果は瞬くうちにアメリカを恐怖させるほどの経済成長を成し遂げた。しかもその成長は国民の格差を極小化する中で実現した。社員の初任給と社長の給与との差が10倍程度しかなかった日本の賃金体系は、中国やソ連に「社会主義の理想」と言わしめたほどである。

その結果、日本は1985年に世界一の金貸し国となり、アメリカは世界一の借金国に転落した。第二次大戦の勝者と敗者が40年を経て入れ替わったのである。日本は軍事でアメリカに負け、しかし経済でアメリカに勝利した。アメリカは屈辱を晴らすことを心に誓う。

アメリカは1945年に武装解除した日本を今度は経済で武装解除する必要に迫られた。冷戦末期にアメリカ議会が議論していたのはソ連ではなく日本の解体についてである。アメリカは日本の経済力の強さの秘密を徹底的に分析した。その秘密こそ戦前に岸信介らによって作られた「1940年体制」であった。「1940年体制」にルーツを持つ日本型資本主義の解体がアメリカの課題となった。

アメリカの逆襲」は1980年代半ばから始まった。中曽根政権以降、歴代政権はアメリカの脅しに屈服し、プラザ合意による為替政策、その後の超低金利政策など次々にアメリカの要求を飲まされ、「構造協議」や「年次改革要望書」ではまさに「1940年体制」によって生み出された日本型資本主義の解体が露骨に進められた。それに最も迎合したのが小泉政権だが、アベノミクスはその再現に過ぎない。

株式市場に国民の目を引き付け、貯蓄よりも投資を奨励し、労働力の流動化が成長戦略の柱と言われるなど、あたかも昭和初期の日本を再現する事が日本の進むべき針路だと言わんばかりである。アメリカは表では日本の産業政策や規制政策を批判するが、腹の中では一目も二目も置いて日本のやり方を評価している。だから日本がアメリカの言いなりに日本型資本主義を解体する様を馬鹿にしながら眺めている。

このところ安倍政権の歴史認識が問題にされているが、敗戦国がアンフェアな立場に置かれる事は国連安保理を見るまでもなく厳然とした事実である。それに異を唱えるだけでは子供じみた反発に過ぎない。失地回復は戦略的に図っていかなければならないのだが、戦後の高度成長を実現させた日本型資本主義を容易に解体させられていく様は、失地回復への逆行としか私には見えない。岸信介らが作り上げた構造を孫が裏切る構図のどこに希望があるのか、アベノミクスをもてはやす連中の歴史認識がまっとうであるとは到底思えない。