先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

さすが日本は「特定の勢力・組織による、集団的”独裁”の国」


つまりベラルーシの、チェルノブイリ原発事故後の政策を、
日本政府はよーく真似ている。


安心安全を言わせて、危険を言いづらくさせるとか
北朝鮮の報道関係者視察みたいに、つねに役人が張り付いて発言を見張ってるとか(福島事故原発の吉田 前所長や飯舘村長らには、つねに省の見張り役が張り付いている、いた)


たださすがはずるいフェレンギな日本政府…
ベラルーシ政府は世間を黙らせる代わりに徹底した汚染防止政策を布いているが(検査環境の充実など)
日本政府はそこは面倒だからと、民間への補償額をどんどん削りたいからと、やらないでいる。やると補償額がふくれあがるのは、日本が東欧と違い経済大国で、かつ人口大国だからだ。
ベラルーシは小さな国。日本の半分ほどの国土に東京都民より少ない数が住んでいる。欧州はこういう県ぐらいの国が多いからEUが成り立つ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2012080901074&m=rss
スウェーデン外交官を全員追放=でも「断交ではない」−ベラルーシ

 【ストックホルムAFP=時事】「欧州最後の独裁国家」と呼ばれるベラルーシは8日、同国に駐在するスウェーデンの外交官全員に対し30日までに国外へ退去するよう命じた。また、スウェーデンに駐在するベラルーシ外交官は本国に引き揚げると発表した。
 スウェーデンの活動家が7月、航空機から熊の縫いぐるみ「テディベア」数百体を投下して行った人権キャンペーンを受け、ベラルーシは既にスウェーデン大使を追放しており、緊張が高まっている。ただ、ベラルーシ政府は8日の声明で「やむにやまれぬ対応だ」と述べ、外交関係断絶ではないと釈明した。(2012/08/09-20:23)


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こわっ
燃料だったら何百シーベルトだな…

https://twitter.com/Happy11311
2012
8月7日 ハッピー @Happy11311
続き1:一つは2号機の代替温度計設置工事。今日も作業をやったみたいだけど、どうやら第一候補の配管は配管内が詰まっててダメみたいでし。溶けた燃料が詰まってる可能性も考えられるでし。だとしたら他の配管内も同様な事象が考えられるよなぁ…。


8月9日 ハッピー @Happy11311

続き6:楢葉町警戒区域解除なんて早すぎるし本末転倒でし。除染してライフラインも復活して道路も治してから解除でしょ。今回も小高と同様に空き巣が相当出ると思うでし。現時点での解除は住民にも1F収束作業にも百害あって一利なしでし。利があるとしたら賠償額が減る事、きっとそれが目的でし。

「本当にやるべきこと」優先なら、とっくに飯舘村は棄村になってる。5〜7月に現地をくまなく調べて見聞してよくわかった。


南相馬市小高区も5月末にいってきたが、やはり空き巣じゃないかと勘ぐられてパトカーが何度か通過。
以下はネットニュースによる中心地の取材。
http://rocketnews24.com/2011/04/13/%E3%80%90%E5%8E%9F%E7%99%BA10%EF%BD%9E20%E3%82%AD%E3%83%AD%E5%9C%8F%E5%86%85%E5%8F%96%E6%9D%90%E3%80%91%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E5%B0%8F%E9%AB%98%E5%8C%BA%E3%81%AE%E6%9C%80%E6%96%B0/


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小泉政権の時に、右傾ファッショが激化。
左翼側とみなされた俺は、まだ14歳の弟を「殺気で集中放火され、暗殺された」


その後も福田政権の時に27歳の弟が暗殺を受けた。我が血筋はほぼ断絶確定となった。


家族全員が追い込みを受けたので、実家が維持できず抵当から取り壊しで更地になった。


まるでおれとおれの家族の人生の転落は、震災・津波原発事故汚染の3点セットにそっくりだった。
津波放射能に飲まれても、
やくざ右翼や創価や公安に包囲され襲撃されても
規模も似ていれば
結果も同じである。仮設住宅みたいな貧民窟で、追い込みが恒久的に続くので就労は絶望的、福島被災民のようにわずかなインカムでパチンコでもしているしかないような、そんな生活をもう10年間余儀なくされている。


おれが10年目で、今後の見通しも立たないのだ。
きっと福島の放射能汚染被災民も、10年間ずっと微々たる補償や生活保護でダラダラするしかない人々が大勢残っているだろう、いまから8年後でも。


やくざ右翼創価も公安(というか行政筋のいかなる追い込みや圧力の工作)もじつにしつっこい。
放射能セシウムの汚染もしつっこさは同じだ。200年間消えずにいくつもの町村を立ち入りもできない死の土地にし続ける。
日本は、とてもおそろしい「特定の勢力・組織による、集団的”独裁”の国」


証拠画像、墓碑(一族総出で相当怒ってるので、加害者側は開封注意!呪詛を受けてしまい君らの命が危なくなるぞ)
geocities.jp/psyonterra/1010sem.jpg




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静岡県浜岡原発は、爆発事故しやすいであろうワースト1候補だからね…早い話、びびってるんだろうけど無理もない。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120810/t10014184771000.html
原発の協議会から静岡県が脱退
8月10日 0時5分

原子力発電所が立地する全国の道県などで作る協議会から、浜岡原発を抱える静岡県が9日、脱退したことが分かりました。
原子力の推進を前提にこれまで一致して活動してきた協議会から脱退する自治体が出るのは初めてで、福島の事故を受けて、立地自治体の間でも足並みをそろえることの難しさが浮き彫りになっています。

原発を立地する道や県などで作る「原子力発電関係団体協議会」は、安全確保や防災の充実などを国や電力会社に求める目的で昭和49年に設立され、浜岡原発を抱える静岡県も設立当初から加入し、活動に協力してきました。
ところが、福島の事故のあと見直し作業が進む国のエネルギー計画に対して、協議会が原発を中長期的に重要な電源と位置づけるよう国に要望する方向で検討していることに、静岡県が「運転再開を前提にするような要望は問題だ」として反発していました。
協議会はこうした声を受けて最終的に国への要望を取りやめることにしましたが、静岡県は、「地域によって原子力への依存度が異なり意見も違うなかで、今後も足並みをそろえるのは困難だ」として協議会を脱退することを決め、9日、脱会届を提出しました。


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先日の過去エントリー記事でも言ったとおり、おれは元・日本屈指のインターネットデータセンターの監視チームにいて、監視セクションや監視チームの上長(チーフクラス)もやった。
プラントの監視やアクシデント対応はどの業界でも似たようなフローであり、以下のような「なんかいい知恵ないか」とか「今すぐ計算しろ」とか…
いきあたりばったりすぎて、オハナシにならん。システムやプラントの監視業務経験者は異口同音でそう告げるだろう。
これも前回の記事で言ったが
・「何十年も一度もトラブルがないような、しかし万一事故になると日本が吹っ飛ぶような、プラントが一番ヤバイ」
練度を磨けないので、不慣れになる。アドリブであれもこれも対応しなきゃならない=障害対応の精度は絶望的。頻繁に中小規模のトラブルが起きるシステムやプラントの方が、障害対応がうまくなるのである。


日本の原発はどこでもこのレベルか、それ以下である。しかも震災&大津波の頻度が世界屈指である。
いっこくもはやく全廃にすべきだ、日本国を滅亡させないために。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120807-OYT1T00261.htm
「賭けだな」「おい吉田、ベントすぐやれ」


 東電が公開したテレビ会議の録画には、事故への対応で一喜一憂を繰り返しながら格闘する現場の様子が記録されている。

 「炉圧(原子炉圧力)はちゃんと注水できるまで落ちるんだっけ。賭けだな、もう、賭け」。昨年3月13日午前の記録で、吉田所長がうめいた。3号機の冷却装置が停止し、炉心溶融の危機に直面していた。前日に爆発した1号機と同様、建屋に水素がたまっていく。本店の小森明生常務が漏らした。「すごいやばい状況」

 同日夜、圧力はいったん下がったが、14日朝に再上昇。吉田所長が言った。「急激だな。これほんと、要注意なんだよ。6時から6時20分の間に50キロ上がってるでしょ。7時前に設計圧力を超えちゃうよ。水位がダウンスケール(燃料棒が露出)しちゃったじゃん。うえ!小森さん!」

 午前11時1分、建屋が爆発。続いて2号機が危機に陥る。建屋の水素を外に出す手だてが見つからない中、建屋上部のパネルが1号機の爆発の影響で開いているという情報が入る。「おぉ、ラッキー」。本店社員が思わず弾んだ声を上げた。

 しかし2号機は注水や減圧ができず、事故発生以来、最も厳しい局面を迎える。格納容器が破裂すれば、建屋の爆発にとどまった1、3号機とは比べものにならないほど大量の放射性物質が放出される。

 午後9時過ぎ、突如、第一原発から大きな歓声と拍手が湧き上がった。「誰かのお誕生日ですか」。本店社員のとぼけた質問に、現場から「今、ようやく水位が出てきました!」と注水成功が伝えられた。「やったぁ」「おめでとう」。本店社員も喜んだ。

 だが、それもつかの間、放射線量が上昇する。「21時37分に正門で測定。3・2ミリ・シーベルト」。吉田所長は思わず、「ちょっと待ってくれ。ミリシーベルトなの?」と単位を問いただす。「それ大変だよ」。重苦しい空気に包まれた。

 午後11時頃、再び圧力が上昇。本店の顧問が「おい吉田、ベントできるんだったらすぐやれ」「格納容器ぶっ壊したらまずいからさぁ、早く弁を開けてくれよぉ」と迫る。吉田所長は「はい、はい、指示してます」と答えた。
(2012年8月7日13時42分 読売新聞)




http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20120807-OYT1T00260.htm
東電本店、吉田所長に「なんか知恵ないの?」


 東京電力が6日に公開した福島第一原子力発電所事故直後のテレビ会議映像には、2、3号機の初期注水の失敗に至った過程が生々しく描き出されていた。

 政府の事故調査・検証委員会が指摘した、後手後手に回った対応が詳細に浮かび上がった。(肩書は当時)

 ◆3号機

 大津波の襲来後ほとんど注水できず、昨年3月12日に水素爆発を起こした1号機と異なり、3号機は13日まで外部電源がなくても稼働する高圧の注水系(HPCI)で原子炉を冷やしていた。そのためビデオ映像からは緊迫感は伝わらない。

 設備損傷の恐れがあったため、現場の当直が同日午前2時42分にHPCIを手動停止し、その約1時間後に吉田昌郎第一原発所長が本店に報告。原子炉の生命線である注水が途切れる緊急事態だったが、本店は「いったん停止、了解」など淡々とした対応に終始した。第一原発、本店ともに積極的に対応策を議論した形跡はなかった。

 現場に緊張が走ったのは同5時58分。既に1時間半以上前に燃料が露出し始めていたという試算結果に、吉田所長が「えっ、そんなに前なの?」と驚いた。さらに、炉内の圧力が高すぎて消防車では注水できないことを認識するなど、対応は後手に回った。そして、減圧に必要な弁を開くために必要なバッテリーを作業員の車からかき集めようとしたが、敷地内の放射線量が上がり、防護マスクが足りず車にさえ近づけなかった。政府事故調が問題視する約6時間半の「注水の空白」の実態がうかがえた。

 ◆2号機

 2号機のかろうじて動いていた高圧の代替注水系(RCIC)の異変は14日昼頃に見え始める。吉田所長は同日午後1時過ぎに原子炉の水位低下を確認し、計器類の点検などを指示した。「(1、3号機と)同じ思いをしたくない」との気持ちがあった。しかし、現場の連絡体制は混乱。海水注入の準備状況がつかめない事態に、吉田所長が「ドアホ。ったく。訳のわかんないのに聞くな」と、罵声を響かせる場面もあった。ただ、現場は「焦るような状態じゃない」と楽観視する雰囲気も漂っていた。

 午後4時34分、事態の深刻化が決定的になる。

 3号機と同様に、消防車による注水に不可欠である原子炉の減圧作業に入るが、「圧力の低下が見られません」との報告が現場から上がる。吉田所長は「もっと真剣に対応してくれよ」といらだちを募らせた。減圧できない状況は想定しておらず、本店の高橋明男フェローが「なんか、知恵ないの?」と発言。八方ふさがりの行き詰まった状況が浮かび上がる。同8時過ぎに「5分くらい前から水が入り始めたようです」と吉田所長は話したが、すでに炉心損傷は深刻で、同9時18分には圧力容器の損傷に至ったとされる。
(2012年8月7日09時44分 読売新聞)

あれ、3号機のコアスプレイ停止の理由は、電源バッテリーが早く消耗するからじゃなかったっけ。高圧ポンプで多量の水をスプレーするからすぐ消耗しちゃうんだよね。だからFP系つまり消防ポンプ注水系統に切り替えようと言うんで止めたには止めたが、これがアダとなった…うまく切り替えできなくてそのままズルズルと内圧は上昇、水位はみるみる下がり続け…

福島3号機:現場独断で冷却停止…3月13日、高圧注水系
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20111216k0000m040125000c.html
毎日新聞 2011年12月16日 2時39分


 東京電力福島第1原発事故で、3号機の原子炉を冷やすための最後の要となる「高圧注水系(HPCI)」が3月13日に現場の独断で止められ、再起動できなくなっていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かった。3号機は翌日、水素爆発した。1号機でも冷却装置「非常用復水器(IC)」が止まったが、吉田昌郎前所長が稼働していると誤認して事故対応していたこともすでに判明している。指揮系統が機能していなかったことが重大事故につながった可能性がある。今月末に公表される中間報告書に、こうした対応が不適切だったと記載される模様だ。

 ◇政府事故調、中間報告へ

 東電が今月2日に公表した社内調査中間報告書などによると、3号機では東日本大震災が発生した3月11日、電源が喪失し、「原子炉隔離時冷却系(RCIC)」と呼ばれる別の冷却系が作動、原子炉に注水した。だが、12日午前11時36分には原因不明で停止。原子炉の水位が低下し同日午後0時35分にHPCIが自動起動したが、13日午前2時42分に停止した、としている。

 複数の関係者によると、事故調が経過を調べた結果、運転員がバッテリー切れを恐れ、吉田前所長の判断を仰がずHPCIを止めたことが分かった。その後、HPCI、RCICともに起動を試みたが再開しなかった。報告書は「HPCIを止めない方がよかった」と指摘する見通し。

 一方、報告書は津波対策にも言及するとみられる。東電は08年、想定していた高さ5・7メートルを上回る10メートル超の津波の可能性を試算したが、社内で「防潮堤のかさ上げは費用が高くなる」との意見が出された。当時原子力設備管理部長だった吉田前所長らが「学術的性格の強い試算で、そのような津波はこない」と主張したこともあり、具体的な対応は見送られたという。

 さらに、報告書は法律に基づいて設置された現地本部が十分機能しなかったことや、政府が「炉心溶融メルトダウン)」を軽微に感じさせる「炉心損傷」と修正した点にも触れる見込み。閣僚の具体的な関与では今月から聴取を始めており、来夏に作成する最終報告書に盛り込む。

 ◇高圧注水系◇

 非常時に原子炉内に注水するために備えられた緊急炉心冷却装置(ECCS)の一つで、原子炉内の水位が異常に下がった場合に働く。原子炉の余熱で発生する蒸気を利用してタービン駆動のポンプを動かし、復水貯蔵タンクなどの水を勢いよく炉内上部から炉心(核燃料)に注ぎ込む。停電時でもバッテリーで使用できるのが利点。

 ◇解説…有事の指揮系統、機能せず

 これまで東京電力は「原発事故防止のためにさまざまな取り組みをしてきた」「想定を上回る津波だった」などと主張してきた。しかし、政府の事故調査・検証委員会による関係者聴取から浮かぶのは、「不十分な備え」であり、「人災」という側面すらみえる。

 同委員会の調査で、福島第1原発3号機で「高圧注水系(HPCI)」を運転員が独断で止めたことが判明した。今夏までの調査でも1号機の非常用復水器(IC)の停止を吉田昌郎前所長が把握できていなかったことが判明している。重大事故時の備えがなく、運転員にこのような行動をさせた点こそ問題だ。

 また、東電の過酷事故時の手順書には、全電源喪失が長時間続くことを想定せず、格納容器を守るためのベント(排気)の手順なども盛り込まれていなかった。備えが不十分で現場の指揮系統が混乱し、最善策を取れなかったとうかがわせる。

 過酷事故対策は79年の米スリーマイル島原発事故を契機に、世界的に整備が進んだ。日本でも検討され、原子力安全委員会は92年、事業者に過酷事故対策を求めた。だが、事業者の自主性に委ね、それ以来、対策内容を見直してこなかった。あらゆる警告を謙虚に受け止めることが関係者に求められる。


(個人のまとめにつき参考程度に)
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-443.html
● HPCI(高圧注水系)

 HPCIとRCIC(原子炉隔離時冷却系)は、いくつかあるECCS(非常用炉心冷却系)のなかでも、運転停止後も崩壊熱で発生する原子炉の蒸気でタービンを回すことで原子炉に高圧で注水するという点で共通的構造を持っています。

 水源は、ともに、「復水貯蔵タンク」と「S/Cプール」です。構造的な理由で、まず「復水貯蔵タンク」、次に「S/Cプール」の順で利用します。

 高圧で送り出された水は、運転中に利用されている給水ラインで原子炉に送り込まれ、その水が崩壊熱で蒸気となり、再びタービンの駆動に使われることになります。
 そして、タービンを回した蒸気は、S/Cプールに流れ込むことで復水する仕組みになっています。
 この仕組みなので、先に「復水貯蔵タンク」を利用します。S/Cの水を先に使うと、S/C(圧力抑制室)としての機能が徐々に劣化し、最終的には2号機の破局のような事態に陥る可能性があります。

 二つの冷却装置で大きな違いは、HPCIのポンプ流量がRCICの10倍ほどあるということです。
 注水される流量が多いと原子炉の水位が瞬く間に高くなり、HPCIが一時停止します。これは、RCICでも共通の動作ですが、HPCIは「停止→作動→停止」のサイクルが短くなるためバッテリー消耗が早くなります。

 RCICも直流電源は必要ですが、電源がなくなっても開状態が保持される仕組みになっています。また、流量が少ないことから、バッテリー消耗は抑えられるようです。


中略


 1号機は、非常用冷却装置としてIC(非常用復水器)が作動したようですが、HPCIは直流電源喪失で作動できなかったといわれています。
 2号機は、RCICが14日の昼過ぎまで作動していました。その時点のバッテリー残容量はわかりませんが、おそらく、HPCIが作動できる状況ではなかったと思われます。

 いずれにしても、原子炉の冷却が、非常用の冷却装置で2日も3日も続くという想定はありません。原発プラントで全電源喪失が数時間を超えて続くという想定がないからです。
 2号機のRCICは60時間以上も作動を続けたのですから、おかしな言い方ですが、すごいと思っています。

 このようなことから、現在の時点で、HPCI(高圧注水系)が、あの時点の事故対応力としてRCIC(隔離時冷却系)より優れており、優先的に使うべきだったという判断はできません。


エア圧開閉弁なので圧縮空気系配管損傷によりほとんど開かなかったベント弁
http://takanosunotora.blogspot.jp/2012/04/blog-post_19.html

でもね、運転停止直後の原発が全電源うしなうと、どのみち爆発まで最長で1〜2日なんですよ…早急に交流電源が復帰しないと、どの設備も大型過ぎるからバッテリーだけじゃ動かし切れない…プリウスがバッテリーだけじゃすぐ走れなくなるのよりもっとひどいレベルで。
佐賀大学長だった原発設計者がいうには注水措置しないと最短で8時間で爆発と言うから、1〜2日で爆発というのは長くもたせた方ではある。


爆発まで1週間もたせるには=つねに冷温停止させとくしかない。長いこと臨界させてない燃料棒はすっかり冷めてるから水につけておけば1週間大丈夫。


結局、引用記事の文面でもわかるけども「あまりに仕様上の”想定”が甘すぎて、はるかに強大な”現象”の方にまったく歯が立たなかった。」地震も、大津波も、そして核反応も、すべては自然現象なのです。人工側の設備はどれも歯が立たなかった。


かつて日航ジャンボ墜落の時、いよいよ歯が立たないと言うときに機長が言いました。「これは、だめかもわからんね…」http://www.youtube.com/watch?v=bzwQO2TtXzw
飛行機事故はたった一回の事故としてすぐ忘却されるレベルですが、原発はクルマや飛行機のようにすぐ取り替えたり、仕様の変更改修したりはできない。飛行機は小さい部品の損傷に対策すればいいけど、原発の相手は大地震や大津波や、巨大な水素爆発の「連続攻撃」なのです…
そんなの、どうやって実験して、どうやって実証すればいいんだ。
改修するまでに10年、次の震災が起きてみて「大丈夫か」確認するまでに数年〜数十年、ダメだったらまたやり直し…
=非現実的、ばかばかしいんですよ。