先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

いくらボスをすげ替えても、口だけ達者でも、やらなきゃダメ


・しかも、職業政治家ほど保身的で臆病で、従来通りの流れをまたやってしまう生き物はない
・しかも、いま日本のメーカーの大半の内部体質・実態は、官僚化、政治化している…


ゆえに、日本はもう政官財に頼る意味が無い。
あれらは亡霊のようにいくばくかの役割は果たすが、きわめて霧のように密度の低い存在だ。


政治を政党政治家や役所に頼れず
商売を財界産業界に頼れず


ジレンマの時代になった。個人個人がヨコのネットワークや、孤軍奮闘で、世の中に変化をもたらすしかない。


ほんとう、武家政治がかんぜんに通用しなくなった時代にソックリだ。
政党政治家が臆病になって旧来の慣例に逃げてしまう=尊皇による攘夷だのと…できもしない旧態依然無敵願望に逃げ込んだ武家衆そのものだ。

【NBO IT革新】経営スピードの欠落が業績不振企業の共通項だった(6/26)


 今年3月期、過去最悪の決算を計上したパナソニックソニー、シャープの3社の
社長が、明日で全員交代したことになります。印象的なのは、新任となる3社長から
異口同音に飛び出している


「経営にスピードが足りない」という敗因分析の言葉です。


 適切なタイミングで正しい経営判断をくだせなかった、あるいは分かっていても
くだせる状態になかった、と言い換えても問題はないでしょう。

 であれば、経営のスピード化には迅速な情報の収集、分析、伝達が欠かせないこと
になります。これまでの延長線上にない、新たな業務の進め方、アイデア、製品につ
いてのイノベーションが経営にスピードをもたらすことは論をまちません。

 IT・イノベーションの重要性は日々、高まっています。新時代の経営を切り開くIT
イノベーションに関連する情報をお届けしていきます。

                    (中村建助、IT・イノベーション担当)


◆小沢元代表「党に残って再生に力」
 民主党小沢一郎元代表は26日、自身を支持する議員との会合で「民主党に残って
再生に力を尽くそう」と述べ、当面は党内に残留する意向を示した。元代表は「この
党を正す最後の努力をしよう」とも語った。


おれが、国政や、大メーカーなど、日本の中枢を補佐するイレギュラーポジションから身を引いて隠居したのは
どいつもこいつも
・言っても聞かない、できないなどと言い訳ばかりする
・とにかくのろい…オマエラはナマケモノか!


ほんの1〜2年前まで、各政党の大物政治家、財界の面々、各メーカーのトップらに、おれはしつこいぐらい説教を重ねた・・・まさに中野求馬のごとく。だが彼らは節目になるか、空気読めよ的に、イイワケをくりかえすか、話を聞こうとしなかった。あれはもう末期病である。


いやになってしまったのだ。おれはエンドレステープのリピート再生になるつもりはない。無駄なことはしない信条だから、身を引いてもうすぐ3年目にかかる。案の定、いまごろになって「日本のメーカーはスロー」「震災復興、原発事故補償、まるで進まず」などといった報道が毎日毎日…学習能力も、ヤル気も、なにひとつない伏し目がちの老人(その老人を先生と呼んで付き従う中年・若者もふくめ)たちに任せた国はこういう姿になった。


因果応報で、日本はこれからどんどん没落する。しかも自助努力するべく危機感がまるでない…貧困や侵略などで大慌てする頃に重い腰を上げても遅いのだが…


重ねて言うが、中央政界や財界や省庁の空気…現地にいる人々のものの考え方にある程度通じているおれが断言する。
「政治を政界・霞ヶ関に頼るだけムダ」
「日本の基幹産業を、従来のメーカーなりグループ企業に頼るだけムダ」


80年代の漫才師たちは、漫才しかできないから、ブームが終わるとみんな消えていった。
おなじことだ。
バカの一つ覚えが通用しなくなってきた人々、業界に、何を言うだけムダだし、彼らは今後も永久に成果など出せないし、永久には存続できないから消えていく宿命。


きょうの小沢一郎の腰砕けを非難するわけではないが
結局、あんだけ大きなことを担っている中央政治家は『職業』だから、責任回避とか、大嘘つきとか、集団保身とか、そんなことしかやれない。


小沢に、いやすべての政治家や政党に、そして霞ヶ関に、何を期待するだけもうムダなのだ。目を背けて別のほうを見ないとダメだ。


気合いすべきはむしろ、真逆の存在だ。身が軽く、責任を負わず、機動性と才能だけで動ける存在…存在として認知すらされない存在たち。
…わかんないでしょ?わかんないということはつまり次世代型なのだ。
この存在が犯罪勢力や、旧来の利権屋権力に、ゼッタイに取り込まれないことが大前提となる。だって旧来のヤクザや政官財宗教に、取り込まれたら旧態依然の一員だから。


これから、本気で政治家を目指す、ちゃんと日本を言い宝庫植え替えてゆこうと思う若者たちへ告げる…


「政治をマジメに高効率でやりたければ、政治家や役人になるな」


なってもいいが、2〜3年の勉強と思って、とっとと抜けてこい。どのみち、優秀で、抜本改革な、ことばかりやってれば居場所がなくなる。組織の根っこに大きな影響を与えるようなことであればあるほど、敵視し、危険視され、追い出される。トコトンやって、追い出されてきたらいい。その後はゼッタイに政治家も役人もやるな。


 ◇


おれは、小泉改革政権交代も仕切ったし、
任天堂DSからホンダ四輪二輪のラインナップから入れ知恵してヒット商品を市場に増やしたし(ホンダの人気車+アドレスV+ninja250+Z1000、ぐらいと思ってくれ)、無数の番組制作に関与してきて数年来いまも放映されている長寿人気シリーズもある。


やりたい放題、やりまくって、成果もいやと言うほど出した。
30代のうちに、偉人70代100人分の仕事は終えてしまった。


よく言えば達観、わるくいえば欲がもうない。そういう若年寄隠居からの忠告である。エイジの「地球は狙われている」的な先んじた警告である。


 ◇


とにかくいま気に入らないのは


・実力・成果が全く伴わない無能どもが
・権力・政治のみに固執して、権力や影響力だけをもって世間を振り回している実態


これは民主党時代になってから急速に悪化したが、似たような時代は官僚化以来政権の福田政権でも同じであった。福田野田はコピーのようにソックリだ…違うのは福田は親中でルートがあるぐらいか。



バカ者が、自分がバカだという自覚もなく
たとえば番組制作の才能もないのに、役人だとか、与党政治家だとか、あるいはヤクザだとか言って、現場に乗り込んでいくと、あれこれよけいな指示をし、「権力に逆らうのか」みたいな態度で、成果をめちゃくちゃにしていく…


あいつらは、番組を乗っ取ることに快感を覚える奴らもいる。かつての政敵がヒットさせた番組を乗っ取ると、わざと続編を売れない作品にめちゃくちゃに改変してしまうのだ。んで「ザマアミロ」などと喜んでいる…そこまで最低のクズをやるのは権力クズの手下の右翼左翼(底辺の実行部隊)ではあるが。
そんな「妖怪政治ゴロ」としてのスキルと、自覚しかない、阿呆どもであるから、あらゆる番組を「政治の伝言役、政治ネタで世間を洗脳していく道具」としか思っていない。ものすごくつまらない番組が増えつつ、しかも中身が右翼一色、左翼一色、公権力賛美三昧、だったりする。番組制作現場は、そいつらに脅されたり命令されたりで士気はがた落ち…楽しみながら楽しい番組をつくる連中が、おっかない役人や右翼左翼ヤクザに脅されながら、おもしろくねえ政治ネタを多数盛り込まされたポンコツ番組を作らされたら…


 ◇


暇も体力ももてあました自由人が、やくざ宗教権力いずれにも属さない孤立無援が、国を仕切る必要性とは、端的には以下だ。そういう最も脆弱で自由な因子が、世界最強のチームを揃えつつ従えなくてはならない(パワハラの意味ではなく知性やノーリッジの意味でも)。年中暇なら一人や数名で、けっこうなんだってこなせてしまう…いわばメモリやCPUの残量が潤沢なパソコンみたいなものだから。
経産省の官僚すら、多忙を極めた帰り際に門の外で教えてもらって、やっと現実を知ることができる。個人的には原発が憎いし子供が心配だろうが、経産省としては推進だの再稼働をやる。ダブルスタンダードの狭間で忸怩たる思いの役人が多数いる。(昨日のエントリー記事http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120625/1340566443テント村と経産省の役人個人)

http://diamond.jp/articles/-/20681
国民会議は偏りのない人選に
全体の半分は「大学の先生」か?


 では、委員にはどのような人たちが選ばれるか。

 全体の半分くらいは、学者(日本では学者とは、ほぼ「大学の先生」のことだ。現在、学術論文を書いているかどうかは問われまい)ではないだろうか。

 ところで、年金は「制度」「数理」「運用」の三部門がわからないと十分な議論ができない。「有識者」には、歴史も含めて内外の「制度」に詳しい人が必要だし、年金数理の専門家も要るし(「原発ムラ」ほどではないが、アクチュアリー=年金数理人の世界もムラ的だ)、運用の専門家もいた方がいい。かなり大規模な会議になるだろう。

 また、「仕掛け」としての国民会議の役割を考えると、民主党の政治的スポンサーである労働組合関係者(たぶん、連合の誰か)、そして、労働者がいるなら財界関係者、さらには「生活者」兼「女性代表」的な役回りの女性論客なども1〜2名必要だろう。加えて、年金・社会保障分野の現場経験者や評論家などにも、2〜3名は声がかかるのではないか。


思うままにコントロール
会議の急所は「事務局」!


 この社会保障に関する国民会議は、座長が議事を進行するが、座長が実際に行なうことは、要所要所で事務局が用意した原稿を読みながら議事を進行し、会議時間に応じて委員に発言機会を与えることだ。座長として会議を進行することだけなら、普通のビジネスマンでもできるはずだ。

 会議のスケジュール自体にも、個々の出席者にも、「時間の制約」がある。仮に、国民会議の委員に、それなりに名のある有識者を任命した場合、彼(彼女)は、この会議以外にも多数の用事を抱えているはずであり、たとえば、毎回自分でデータを収集・分析して、独自の意見を言うための準備などできるはずがない。傾向として、有能・有名な識者ほど、会議に割くことができる時間とエネルギーは限られている。

 まして、テーマは年金だ。具体的な議論のためのデータや、内外の事例、加えて年金に関わる学説などを消化して会議に臨むことは簡単ではない。会議では、複数の意見がプレゼンテーションされることになると予想できるが、毎回、毎回、参加者のマジョリティーは、事務局の事前の「ご説明」に基づいて話題に付いていくくらいが精一杯だろう。はじめは勇ましい参加者も、会議の回数を重ねると、だんだん疲れておとなしくなる……。

 勘のいい読者は、すでにおわかりだろう。社会保障制度改革国民会議は、事務局が思うままにコントロールできるものになるはずだ。この種の会議は、内容が難しくて、重要なテーマであればあるほど、そうなることが容易に想像できよう。