先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

過熱して内容液が飛び散ったバッテリーを「安全」とか…あんたなに言ってんだ???? 国際政治都合の匂い…


原発は対策すればまた安全で必要なんだから再稼働とか…
ああいう「先進各国のおつきあい的な都合」しか感じ取れない。
アメリカポチ自民党なればこそ…

http://www.asahi.com/articles/ASG1K4564G1KUTIL12C.html
B787型機から煙「安全運航に支障ない」 太田国交相

 今後、運輸安全委員会などを交え、東京都三鷹市宇宙航空研究開発機構JAXA)のCTスキャンで調べた上で、バッテリー製造元のGSユアサ(京都市)で分解調査する。

安全なものをなんであわてて分解するんだ…
健康な人を患者と呼んで手術するのか????


おれは今後、自民党公明党の、全員を、永久に、信用しない。
概念を勝手な拡大解釈でコロコロ変える、その理由は政治都合…そういう政治家は一切。
こと日本では右側の政党や政治かというだけでやたらに優遇チヤホヤされ治外法権ぶりに拍車がかかるので、なおさらに。


 ◇



アベノミクス、安倍政権は、今年から必ずこういうふうに崩壊する。
テンプレートが似通いすぎている。
・ザルすぎる計画、不勉強
・生粋の詐欺師が幾人も政権ブレーン

http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm001040112000c.html
ストーリー:「復興」掛け声の陰で(その1) 山肌に欲望の爪痕


山肌があらわになった伐採現場。地権者がたたずむ足元には切り株が痛々しい姿を見せている=福島県相馬市の坪田地区で、町田徳丈撮影山肌があらわになった伐採現場。地権者がたたずむ足元には切り株が痛々しい姿を見せている=福島県相馬市の坪田地区で、町田徳丈撮影

 見えるはずのなかった海原がかなたに望める。福島県相馬市坪田地区の山林。視線を遮っていたスギは伐採されて乱雑に転がり、周囲には切り株が広がる。

 地権者の住民、佐原敏夫さん(92)は辺りを眺め「こんなざまに終わっとは思わねかった」とつぶやく。妻トシさん(83)は「元の姿を想像できない」と眉間(みけん)にしわを寄せた。若いころ植林して手塩にかけた山に、鳥のさえずりだけが響く。

 あれは東日本大震災から1年3カ月が過ぎようとしていた2012年6月8日のことだった。夕闇が迫る中、菓子折りを手にした中年の男が家の前に立った。東京に本社を置くゴルフ場開発会社の社長。同社は1970年代の列島改造ブームや、80年代後半からのバブル期にゴルフ場造成を計画し、坪田地区の山林を買いあさっていた。だが、計画は頓挫したままだった。

 社長はトシさんに「今度、太陽光発電をやりたいんです」と切り出した。東京電力福島第1原発事故後、再生可能エネルギーとして太陽光発電ブームの兆しがあった。事業にはパネルを設置するための広大な敷地が必要だ。「所々に個人の山が残っているんで買いたい」。そう求められたトシさんが返答しかねていると、社長は「今日はあいさつだけです」と帰った。

 それっきりだった。秋になり、トシさんが森林組合に間伐を依頼した。時期を同じくして木を満載したトラックが山からの一本道を下り始めた。間伐かと思ったが、「いや、それにしては大きすぎる」。胸騒ぎがした。軽トラックで林道を駆け上った。山の姿は変わり果てていた。「地主に話がない。盗伐だ」。トシさんが怒りをぶつけると、伐採した業者は書類を見せて説明した。「市長が認めています」。訳が分からなくなった。

 無断で伐採されたのは、4・38ヘクタール、サッカー場6面分にのぼった。いま、太陽光発電事業は暗礁に乗り上げている。開発業者たちの強引な計画と、ずさんな行政対応が原因だった。

 上空から見ると、荒れた山林は「復興」の名の下にうごめいた業者の欲望の「爪痕」のように見える。翻弄(ほんろう)されたのは住民たちだ。震災から間もなく3年がたつ。福島第1原発から北に約40キロ。美しかった山林はどうして無残な山肌をさらすようになったのか。




http://sp.mainichi.jp/shimen/news/20140119ddm010040120000c.html
ストーリー:「復興」掛け声の陰で(その2止) 太陽光バブルに踊る


 ◇相馬市、頓挫した発電事業計画
 ◇「名誉と名声、貸して」

 むき出しになった山肌。荒涼とした風景が広がる。所有者に無断で伐採された福島県相馬市坪田地区の山林。

 伐採事業を市に届け出たのは、菓子折りを持って地権者を回ったゴルフ場開発会社の社長ではなかった。東京の土地ブローカー、山田登氏(66)だった。

 東日本大震災のあった2011年の初冬。山田氏の姿は東京都江東区木場の居酒屋にあった。向かい合ったのは、木場に本社がある測量設計会社「八州(はっしゅう)」社長(現顧問)の溜水(たまりみず)義久氏(72)だった。阪神大震災直後に兵庫県副知事に就いた元建設省技術審議官。八州は古巣の国土交通省などを主な取引先とし、復興事業にも深く関わっていた。山田氏は熱かんを酌み交わしながら、復興工事に伴う土砂や石の調達について熱っぽく語った。商機到来だと。そして、こう持ちかけた。「溜水さんの名誉と名声を貸してもらえませんか」「一向に構わんよ」

 山田氏は12月、休眠会社を買い取って開発会社「八州緑化産業」(東京都中央区)を設立した。社名には溜水氏の会社名を冠し、役員には溜水氏も就任した。設立資金は山田氏が用立てた。溜水氏の「名誉と名声」を前面に押し出した。

 同じ頃、「絶好のタイミングだ」と思った業者は別にもいた。バブル期に坪田地区の土地を買いあさっていたゴルフ場開発会社「相馬パレスカントリー」(東京都新宿区)だった。バブル崩壊で土地は塩漬けになっていた。「震災で局面ががらっと変わった。太陽光発電でいろいろな事業ができる」。そう考えた岩佐真(まこと)社長(60)は、太陽光発電のため、坪田地区の山林を造成する計画を立てた。

 当時、福島第1原発事故を受けて、エネルギー政策見直しの機運が高まっていた。その一環として再生可能エネルギー事業への参入を促すため、固定価格買い取り制度が始まろうとしていた。それまで太陽光発電などはコスト高のため普及しなかったことを踏まえ、太陽光や風力で発電した電気を、電力会社が一定の高値で10〜20年間買い取るというものだった。導入は12年7月。新規事業者でも利益を出せる「太陽光バブル」の到来だった。

 12年春、岩佐氏が現地に足を運び始めた。私有林を伐採された佐原トシさん(83)を訪ねたのも岩佐氏だった。その動きを耳にした山田氏にひらめくものがあった。造成工事で出る土砂だった。

 山田氏は岩佐氏と会い、「復興工事の防潮堤用に土砂を売れば、造成費用にも充てられる。土を出したらどうや」と持ちかけ、「具体的に話を進めるには土砂売買権利の委任状がほしい」と水を向けた。岩佐氏は委任状を山田氏に託した。

 委任状に記された土地144ヘクタールのうち、パレスの完全所有分は46%だけ。太陽光発電の予定地は地上げが済んでいない「虫食い」状態だった。「岩佐社長から『地元の人に5000万円ぐらい入れれば、すぐに(買い上げの)同意が下りる』と言われた」(山田氏)。だが現実は違った。

 震災から2度目の夏を迎えても、被災地ではかさ上げ用の土砂が不足していた。需要があるうちに土砂を調達しなければ−−。山田氏は急いだ。福島県白河市内の伐採業者を坪田地区の山林に案内した。業者は山田氏から「一緒に事業をしているパレスの山だ」と聞かされた。

 買収が完了していないことに加え、別の問題があった。伐採については市に造林届け出書を出す必要がある。この手続きだけでは伐採後に再び植林して「造林」しなければならない。1ヘクタールを超える開発行為をする場合には別途、県の林地開発許可も求められる。土砂採取、太陽光発電事業は開発行為に当たる。

 山田氏の八州緑化を届け出人とする造林届け出書が市に提出されたのはこの年、12年の9月12日のことだった。樹齢50年のスギを5・14ヘクタール伐採して植林するという内容だ。だが、山田氏がパレスに出させた委任状には「土砂売却」「土砂採取」といった、「植林」とは正反対のことが明記されていた。しかも、山田氏が県と協議した形跡はない。

 届け出書自体、地権者名などが完全にそろっていない不備のある内容だった。にもかかわらず1週間後、市は伐採を認めた。八州緑化から伐採を請け負った白河市内の業者は周辺もパレスの所有と信じ、申請地以外の山林も次々と切り倒した。佐原さんの所有林もあった。

 造林届け出書を担当した市職員(37)は当時、被災した農地の復旧に追われていた。「片手間で処理し、所有者の確認を見落とした」と肩を落とした。

 「盗伐」とも非難される事態に至った当時の心境を、山田氏はこう述懐する。

 「ちょっとでも伐採して既成事実をつくり、(土砂売却で)早くお金をつくって沿岸部の復興の砂を全部押さえようと焦ったんや」

 山田氏が目を付けたのは坪田地区だけではなかった。坪田から西に約9キロ、市西部の山上地区の山林にも食指を動かしていた。

 山田氏側は震災直後、復興関連事業への参画をにらみ、この山林の売買取引にかかわる権利を取得するため、所有者側に預け金として1000万円を渡していた。パレスの岩佐氏との付き合いで知った太陽光発電を念頭に、「事業用地として市に買うてもらうわけにはいかんかな」と考え、市に近づく道を模索した。

 接触したのは、仙台市の建設会社社長(61)。相馬市の立谷(たちや)秀清市長(62)とは高校の同級生だった。

 坪田地区での造林届け出書を相馬市に提出した前後だった。12年秋、山田氏は仙台に社長を訪ね、事業計画を説明した。社長によると、旧通商産業省(現経済産業省)出身の衆院議員が会長を務める太陽光発電関連の一般社団法人が支援する触れ込みだった。事業を進めるために設立する新会社について官僚OBが並ぶ役員リストを見せながら、「溜水さんという元建設省の官僚がメインでやる」と語り、「相馬市の誰かを紹介してほしい」と頼んだという。役員就任も要請された。

 建設会社社長は、国交省から出向していた相馬市の小山健一建設部長(36)=13年に同省復帰=と山田氏とを引き合わせた。山田氏は坪田、山上両地区での太陽光発電事業に市の理解を求め、「役所(国交省)の先輩の溜水さんや、仲介してくれた社長も役員に就任します」と力説した。

 山上地区は市にとっても懸案の場所だった。10年ほど前から産業廃棄物処分場建設の計画が浮上し、水源地近くのため住民の反対運動に呼応して市も反対していた。クリーンエネルギーの開発計画は「渡りに船」だった。小山部長は立谷市長や担当の吉野光一産業部長(60)らに山田氏の計画を伝えた。

 ◇住民の心もえぐられ

 市役所3階の市長室で山田氏側と市側が会談したのは、12年11月7日だった。山田氏は溜水氏と並んで座り、立谷市長や吉野部長らと向き合った。「山上地区で太陽光発電を手がける新会社を作る」。溜水氏の説明に、立谷市長は「土地を市で買うのもいいかな。企業立地協定を結びながら進めましょう」と応じた。

 市長室での会談から半月もたたないうちに新会社「国際自然エネルギー推進」(東京都中央区)が設立された。だが船出から波乱含みだった。1週間後、市は坪田地区での「盗伐」騒動を知る。造林届け出書の不備を見落としていたことから、市は住民説明会で謝罪した。

 月が変わった12月1日、山田氏と相馬市をつないだ仙台市の建設会社社長が「国際自然」の役員を辞任した。山田氏への不信感が理由だったという。複数の官僚OBが名を連ねるはずだった役員は蓋(ふた)を開けると溜水氏だけ。5000万円のはずの資本金は25万円だった。建設会社社長は「最初の話と違った。市にも『ちょっとおかしいよ。やめた方がいいよ』と助言したほどだ」と振り返った。

 それでも山上地区での計画は止まらなかった。山田氏による伐採騒ぎを把握しながら、協定締結に向かって突き進んだ事情について、産業部長の吉野氏は「話を持ってきたのが山田氏だけだったら多分やらなかった。溜水さんとかがいたからやったわけで……」と、溜水氏への信頼を理由に挙げた。

 市は前のめりだった。12月18日、山上地区の山林66ヘクタールを1億2000万円で所有者側から買い上げた。「太陽光で町おこし」は、予算付けの大義名分となった。この売買契約が成立したことで、山田氏側は、預け金の1000万円を利息付きで回収できた。

 25日のクリスマス。太陽光発電事業を進めることで新会社と企業立地協定を結んだ立谷市長は、調印式で「市の象徴的事業」と胸を張った。ところがその5日後、溜水氏が役員を辞任した。

 その理由について、溜水氏は「太陽光発電の予定地近くにあった送電線は電圧が高くてつなげないと聞いた。誰も事前に調査しておらず、できないものをやろうとしても仕方ない」と語った。

 結局、新会社は再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度の認定申請すらできず、事業化のメドは立たなくなった。協定締結から1年後の昨年12月、市は協定を解約した。

 立谷市長は「山上地区の土地はそれまでも処分場阻止のために買おうとしていたができず、今回は千載一遇のチャンスだった。山田氏とは3回ぐらい会ったが、段々話が大きくなる人で、相手にはしたくなかった。変な人だと分かっていながら、そのような人でないとあの土地を押さえられないと考え、話を進めたんだよ」と心情を吐露した。

 事業を太陽光発電関連の一般社団法人が支援するというのも事実と違った。山田氏は「一般社団法人の理事に近々なるという人物から『基本的には(一般社団法人の)メンバーが応援してくれる』と聞いて信用した」と話す。だが、その人物はいまも理事に就いていない。この団体の会長を務める衆院議員は「具体的な打診はない。太陽光発電はうまい商売だと言われて過熱気味で、この種の話は他にもある。非常に迷惑だ」と憤慨する。

 溜水氏は山田氏について「私の名前を使おうという気があったのかもしれない」と言いつつ、非難めいたことは言わない。ブローカーと元官僚という縁遠いはずの2人の奇妙な協調……。2人は金銭の貸借面で持ちつ持たれつの関係にあるという。「もう一緒には何もしませんよ」と溜水氏は決別を口にするが、携帯電話で近況を伝え合う仲はまだ続いている。

 坪田地区の集会所を冷たい雨が打ち付けていた。昨年10月20日午後。伐採に伴う補償の住民説明会が開かれた。中央に座った山田氏に、無断で伐採された個人の地権者13人のうち住民8人の厳しい視線が注がれた。「最初から盗むべと思って切ったんだべ」。追及の声に、山田氏は「責任は私にある。(補償金として住民に)3000万円ほど払おうと一生懸命やっている」と伏し目がちに答えた。

 「盗伐」なら森林法違反だが、住民は刑事告訴ではなく、慰謝料も含め補償を求める。原発依存を脱するために太陽光発電事業に協力したいと考える地権者もいるが、ずさんな開発に住民の感情はこじれる。「いまの相場でなんぼかなんて関係しねえ。山がぺろっとねえんだから、3倍もらうんだ」とまくし立てる人もいた。地域の何かがずたずたに断ち切られたようだった。

 この日は数十年前から坪田地区で地上げを手がけてきた相馬パレスカントリーの社長、岩佐氏も姿を見せた。盟友だった山田氏と離れたところに座った。計画が頓挫した山田氏とは違って、パレスは坪田地区で県内有数の39・6メガワットの太陽光発電の認定を国から取得していた。

 説明会の終盤だった。「カネにならなかった山をカネにするのが今の時代。うまく話をつける」。岩佐氏と一緒に、東京から来た新顔のブローカーがそう言いながら名刺を配った。佐原トシさんの表情がこわ張ったように見えた。

 岩佐氏は「伐採に間接的な責任はあるかもしれないが、私は被害者。山田氏にお願いしていないこと(伐採)をされてしまった」と話し、「土地を再生して地元の雇用を生み出せれば」と事業に意欲を見せている。

 「復興につけ込むやつらがいる。おらえ(わたし)のじさま(おじいさん)だの、その上のじさまだのがみんなして植えた木だ。そいつも切りやがったんだ」。坪田地区で行政区長を務める荒川孝之さん(77)は、怒りで体を震わせた。

 「爪痕」が刻まれたのは山だけではない。住民の心も深々とえぐっていた。

何十年も百年もつづくような大手は、
カネに目が眩んだりしない。
利益の拡大を視野にはするが、あくまで安定的な事業継続が主眼だ。


カネ主導はあぶない…
長年の強者はむしろカネカネ言わない…三菱商事だろうがロックフェラーだろうが計画性や大計の大事を心得ておりノブレスかつ紳士的だ。


場末の零細とかベンチャー気取りに任せると
そういう吹き溜まりのようなところにはヤクザがらみな人物や資本が多いのもあり
今回のようになってしまう。
安部総理に集まってくるのはヤクザばかり…
かつての小泉政権はそんな狭いものではなかった…
それはつまり「中国も朝鮮もアメリカもとにかく許せない」と断交や挑発を繰り返す強硬姿勢の安部総理に以前からの態度で明白…
小泉はうまく話をまとめて数十名を連れ帰ってきた。


けっきょく、落ち着いたベテランはラブライブを成功させるが
ヤマカンなどというあやしい人材に任せるようなあやしいヤクザまがいベンチャー気取りの連中はせいぜい、Wake Up,Girls!の失敗がせいぜいだ。
もしくはミクひとつで無理に10年も引っ張り続けたり、キルラキルだのズヴィズダーだのガルパンだのと何でもかんでも組織暴力や戦争のネタでしか作品を作れない引き出しの少なさ…「まーた、あいつらか…バカの一つ覚えが…」
勝とう勝とうと、カネカネと、あせるからむしろ、その好戦的で短気な部分が失敗ばかり次々に呼び込んでしまう愚かさ。