先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

原発早期ゼロの実現にとって最大の味方はガス会社か

都市ガス会社の挨拶文より…

東電発表によると、電力消費ピークは夏冬の冷暖房。2000〜3000万kw増。
東電の原発による発電量…福島第一、第二、柏崎の合計1730万kw。

・家庭用冷房は電気やソーラーなどで
・家庭の暖房はガスや灯油、オフィスビルはガス空調やソーラーで


これで、原発はいらなくなります。
要は、電気で無くてもできることは、わざわざ電気を使うことは無いと。


すでに破綻してる東電が、また柏崎で事故起こして、補償できるわけ無いじゃん…そういうところに知恵が及ばないバカなんだな自治体レベルって…
汚染された福島の野菜が売れないなんてひどいから、強制で全国のスーパーに陳列させる法律を作ろうかな、と考えちゃう安倍内閣の大臣もバカを通り越してる…
「困ってんだから、買え」では、かつての押し売りと同じだ。

柏崎刈羽原発の安全協定、新潟の全市町村が東電と締結
 東京電力柏崎刈羽原発がある新潟県の28市町村が9日、原子力安全協定を東電と結んだ。立地自治体の柏崎市刈羽村はすでに、より権限の強い協定を東電と締結しており、県内の全30市町村が安全協定を結んだことになった。原発がある道県の全市町村がこうした協定を電力会社と締結するのは初めて。
 今回の協定で、28市町村は(1)事故時に原発内で現場確認する(2)東電と定期会合を開いて施設の情報を得る(3)事故で農林水産物風評被害が生じた場合に東電が補償する――などが可能になった。立地自治体や県の協定と違い、事故時に立ち入り調査をしたり、運転停止を求めたりできる権限はない。


http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2013/01/post_5878.html
 森雅子少子化担当相(参院本県選挙区)は2日までに福島民報社の新春インタビューに答え、東京電力福島第一原発事故による風評被害を払拭(ふっしょく)するため、県産品の販売促進を目的とした法律の制定を検討する考えを示した。小売店に対し、安全が確認された農産物や工業品の販売を促す内容で、店頭に県産品を陳列した店舗の優遇などを想定している。森氏は平成24年度補正予算風評被害対策の関連費用を拡充させ、課題解決に向けた取り組みを加速させることも強調した。
 風評被害対策に当たる消費者庁も担当する森氏は「県産品を店頭に並べて、買いたい人が購入できる環境を整備しないと対策は前進しない」と述べ、小売店対策を本格化させる意向を示した。
 風評被害に対する国の姿勢を明確に示すため、県産品の販売促進については法制化を目指す。今後、庁内や関係省庁と検討作業に入るとみられる。法案の概要については「本県を特区に指定し、国は小売店に対して、その地域の産品を扱うように命令したり、店頭で販売した店舗を優遇することができるようにする」と説明した。
 憲法で「営業の自由」が認められている売店に対する命令に、どの程度強制力を持たせられるかが今後の焦点の一つになりそうだ。


除染はムリ。すでに破綻している。最初からムリだとわかってたアリバイ工作。(事故直後の取り付け騒ぎや暴動の回避)
土地の開墾を、じゃあ街全部とか地方全部やれるのかと、ムリでしょうと。
すべてがムリでは無いが、ごく一部地区のみとか言った小規模が精一杯。ウクライナベラルーシでは立入禁止区域のうち重要な道路や建物周辺だけを除染して使っている。
除染がムリなんだから、原発はムリと言うことです。補償も、原状回復も、しようがないんだから。アメリカの安全保障に屈するぐらいなら原発に屈しましょう。

http://mainichi.jp/select/news/20130105k0000e040181000c.html
 作業員によると、集めた枝葉は本来なら「フレキシブルコンテナバッグ」と呼ばれるブルーの袋などに入れて仮置きする。「でも仮置き場の場所がなくなっていて、枝葉を袋に回収しないでその辺に捨てることもある。日常茶飯事です。早い話が『もう置くところがないから仕方ないべ』となる」と話す。

 洗浄後の汚染水も本来は回収する必要がある。作業員によると、建物などを水で洗浄する場合は通常、下にブルーシートを敷いて汚染した水を受け、ポンプでくみ取りタンクに入れ、浄化装置で処理する。しかし、「回収するのは環境省が管轄し、なおかつ環境省が見に来るモデル地区だけ。普段はそんなことやっていない。(汚染水は)流しっぱなし」という。
「(明らかになった)ここで何とかしないと、大変なことになる。税金なんかいくらあっても足りないですよ」と訴えた。


長泥の雨どい出口、330マイクロシーベルト…(バリケード封鎖前日)http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120715
自分で汚染野菜を食べて人体実験して、それを政府と東電へ見せつけることまでやる…もはや執念。

http://jisin.jp/news/2548/4439/
しかし、その孫たちとの飯舘村での暮らしぶりの話になると、夫婦の顔からスーッと笑みが消えた。

「孫たちも昨年の5月14日まで長泥にいました。原発事故から2カ月間の線量が高いときに、娘夫婦と孫5人とも長泥に住んでいたから、今後どういう影響が出てくるか、いちばん心配だな」

長泥地区は放射線量が周辺に比べても高いため、除染せず地区ごと封鎖される。汚染された地域に、住民の避難が終わる昨年6月下旬まで住んでいた鴫原さん。「ダメだと言っても夫は、今も長泥のワラビやフキを取ってきて食べるんです」という美佐江さんの言葉に、鴫原さんは福島県の現状についてこう語った。

放射能が怖いって人は福島県には、住めないね。体で実証するしかない。だから見ていてください」

4年もたってから避難開始、時すでに遅しのソ連対応…日本もこういう光景が見られる日が近づいている。
http://www.youtube.com/watch?v=6RgYpXH92ts
汚染地帯で何が起きているのか チェルノブイリ事故から4年 Nスペ


アメリカだって州政府はなにもしなかった。結局、学者や電力が言う安全神話に政府すら洗脳されていた。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36881
 私が驚いたのは、福島第一原発の周辺住民から聞いた話と一致する話が多いことだ。「事故後、金属の匂いや味がした」「体毛が抜けた」「鼻血が止まらなくなった」「健康被害は避難のストレスのせいだと言われた」。初対面なのに、似た話があまりに次々に出てくるので、オズボーンさんも驚いていた。そして住民の目には健康の異常は明らかなのに、行政や電力会社はもちろん、疫学調査も断定的な結論を避け続けている。ここでも、スリーマイル島原発周辺の話は「フクシマの33年後の姿」のようだった。


口の中で金属の味がした

──スリーマイル島原発メルトダウン事故が始まった1979年3月28日朝、どこで何をしていたのか教えてください。

オズボーンさん 「午前6時、出勤する夫にタマゴとトースト、コーヒーの朝食を用意して見送りました。すると夫が『おい、外に出て空気の匂いをかいでごらんよ』と言うのです。外に出てみると、ものすごい金属の匂いがしました。口の中にも金属の味(metalic taste)がしたのを覚えています」

──えっ! 福島第一原発事故で最大の放射能放出があった3月15日、風下の飯舘村にいた人も「金属が焦げるような匂いがした」と私に話してくれました。

 「(驚いて)やっぱりそうですか。ユタ州ネバダ州の核実験場の周辺でも爆発の直後には住民が金属味を感じたと聞きました」

──その後も金属の味や匂いは続きましたか。

 「午前8時、9歳だった娘を送り出したころには、金属味はしませんでした。登校する子供がたくさんいたのを覚えています」

──TMI原発方向から風が吹いていましたか。

 「天気のいい、温かい穏やかな日でした。春になったんだなと思いました。風はなかったと思います。鳥がまったく鳴いていないのが不思議でした」

──事前の避難計画などはあったのですか。

 「何もありませんでした。電力産業を信じきっていたようで、州政府は何もしなかった」

──避難はされたのですか。

 「しました。3日目の3月30日金曜日、だんだん心配になってきたのです。私は掃除が苦手なんですが、放射性物質が気になって屋内の掃除をしていた。すると午前8時半か9時ごろ、教会の鐘やサイレンが一斉に鳴ったんです。まるで空襲のようで怖かった。ラジオをつけると『uncontrolled radiation release(制御できない放射線漏れがあった)』とニュースが流れたんです。それで、子供を小学校に迎えに行った。教師も慌てていました。夫の職場に連絡を取ろうとしたのですが、電話回線がパンクしたようでつながらないのです。しかも当時はガソリンの給油制限があって(烏賀陽注:同年1月のイラン革命の影響による第2次石油ショック)車に給油することもできませんでした」

──福島県では住民の避難用のバスなどの用意がなく、避難方向の指示もなかったため、各自がばらばらに自家用車で避難しました。道路が大渋滞になりました。TMIではどうでしたか。


 「バスなど避難の手段の用意があったのは、高齢者や入院中の患者などだけでした。ほかは用意がありませんでした。どちらの方角に逃げろ、逃げてはいけないという政府の指示もなかった。非常に準備は悪かった」

──どんな手段でどこに避難しましたか。

 「60マイル(100キロ)北に住む友人の家に行きました」

──どれくらい避難していたのですか。

 「8日間です」

──なぜ家に戻られたのですか。「もう安全だ」と思う何かがあったのですか。

 「3歳だった息子が疲れてだんだんむずかりだしたのです。もう着替えもなかった。仕方なく、まず夫と2人で家に戻りました。街には人がいなかった。1台も車がありませんでした。上空をヘリがバタバタと飛び交っていました」

──サイレンの音が鳴ったのは避難の知らせではなかったのですか。

 「後から聞くと、州政府があまりに何もしないので、危機感を持った消防士の1人がハリスバーグ中の火災報知器を一斉に作動させたのだそうです。いまだに誰か分かりません。それで州政府もやっと避難を指示したのです。まさにヒーローですよね」

──どのような避難指示の内容でしたか。

 「TMI原発から半径5マイル(8キロ)以内の妊婦と就学年齢前の児童は退避せよ。10マイル(16キロ)以内は屋内にいろ。それだけでした」

──避難先とか、避難方向の指示はなかったのですか。

 「ありません。ただ『半径5マイルのエリアから出るように』それだけでした」

──どう思われましたか。

 「馬鹿げています。半径5マイルの線に沿って放射能を止める壁でも立っているのでしょうか(笑)。空気を止めることなどできませんよね」

──まったく同じことを私もフクシマで感じました。「半径20キロ以内は避難」「半径30キロ以内は屋内へ」とコンパスで線を地図に引いても、放射性物質はそんな人工的な線などまったくお構いなしに越えて流れていくはずです。

 「少しでも頭を使って考えれば分かることなんですけれどね(笑)。政府は国民を守ってくれるのだと思っていたのに、数日間何の避難指示もしなかったのです」
健康被害について政府はウソをつく

──何か健康に異常はありましたか。

 「家に帰ってきた前後、娘の髪をブラッシングしたら毛がごっそり抜けたんです。周囲にも毛が抜けた(hair-loss)、下痢が止まらなくなった人が多かった」

──水素爆発の降下物を浴びた福島第一原発の地元にある双葉町の井戸川克隆町長は「体中の体毛が抜けた」「鼻血が止まらなくなった」と私に話してくれました。

 「(目をつぶり頭を振って)あああ、まったくそれと同じです。事故後、体毛が抜けた。赤ちゃんが嘔吐するようになった。鼻血が止まらなくなった。そんな例がものすごくたくさんあります」

──住民が全員避難するほどの汚染になった飯舘村にいたある男性は、ホールボディカウンターの内部被曝調査で1700ベクレルのセシウムが検出されました。

 「全然驚きません。TMI事故もひどかったけど、フクシマはもっとひどかったと聞いています。少なくともTMIでメルトダウンしたのは原子炉1つですがフクシマは3つですよね」

──他にどんな症状がありましたか。

 「金属味、嘔吐、鼻血、脱毛。そのほか、顔が軽いやけどのように赤くなった。ひりひり痛んだ。事故直後はそんな症状が多数出ました」

──33年が経ってみて、どうなりましたか。

 「ペンシルベニア州は全米50州で一番がん死が多いのです。白血病や肺、乳がん。筋肉の腫瘍。がんでなくても、肝臓や卵巣、心臓の異常もあります。そのほか流産、死産など妊婦の異常も多い」

──フクシマでは若年層の甲状腺がんの可能性がよく議論になります。医療検査も定期的に行われています。

 「甲状腺がんに年齢は関係ありません。すべての年齢の人に起きます。20年、30年後に発症してもおかしくありません。最近、私の知っている42歳の女性が甲状腺がんになりました。事故の時は子供でした。TMI事故の後テキサスに引っ越して被曝とは関係のない生活を送っていたんです。ところがテキサスではほとんど例がない甲状腺がんが見つかったので、医者が不審に思って『被曝するような環境にいたか』と聞いたそうです」

──調査をいろいろ見たのですが、はっきりと原発事故が健康に被害を与えていると断定しているものはほとんどないですね。

 「疫学調査が行われると、いつも同じ内容になるのです。調査結果は『事故で健康被害が出るリスクは10倍になった』『実際に発生数は上がった』と『被害があった』と書く。ところが結論になるとなぜか『しかし影響は極めて小さい』『意味のある増加ではない』と言い出すのです。さっぱり意味が分かりません」

──地元住民は違う実感を持っているのですね。

 「政府が『健康に影響のない放射線量だった』と言う時のモデルは『健康な兵士』を想定しています。しかし、そんな完璧に健康な人はほとんどいません。みんなどこか弱いところがある。弱いところに病気が発生します。特に免疫系に作用して異常を起こします」

 「母娘2人が同時に卵巣がんにかかったとか、同じ集落で同じ筋肉腫瘍が複数見つかったとか、それまではなかった異常な話をよく聞くのです。政府や電力会社は『TMI原発事故では周辺住民の健康に影響を与えるような量の放射能は放出されなかった』と言っています。しかし、いくら否定しても、私たちの体はちゃんと放射性物質の影響を感じ取って、反応するのです」

──フクシマでは、体の異常を訴えた人が「それは避難のストレスのせいでしょう」と言われています。

 「(目を見開いて)何ですって! TMI事故のときも州政府は健康被害を訴える私たちに『ストレスのせいだ』とそっくり同じことを言いましたよ! (苦笑いしながら)33年経っても変わりませんね。政府はウソをつくのです」

──フクシマの人たちは小さな健康の異常にも「放射能の影響ではないか」と怯えています。そういう「心の平安が破壊されたこと」がすでに十分な被害なのではないかと思えます。

 「被曝した側にすれば、神経過敏になるのが当然ですよ。すべての小さな異常が心配なのです。起きたことすべてに怯えるのです」


 「私は正義(justice)と真実(truth)がほしいのです。どれほど原発が危険か分かりました。実際に人の命を奪ったのですから。原発はすべて閉鎖してほしい。TMI事故の頃は風力、太陽光、地熱といった安全な代替エネルギーはまだ高価すぎてとても使えませんでした。今ならできるはずです」

──30年以上が経って、どうなりましたか。

 「原発から5マイル以内に住んでいた人の半分は、5年以内に引っ越していきました。州の財政問題で、もう全員の追跡調査はできないと聞いています」

──原発監視などで活動している市民団体がもうほとんどないことに驚きました。

 「今も活動しているのはTMIAだけです。事故の後は3〜4団体があったのですが、みんな歳を取ったり引っ越していったりしていきました」
「何かがおかしい」周辺の草花

 3時間にも及ぶ長いインタビューが終わると、オズボーンさんは自宅の裏の牧草地を案内してくれた。引き戸を開けてテラスに出ると、雨を吸った土と植物の匂いが胸にすっと広がった。裏庭から続いて牧草地と森が広がる自然の豊かな家だった。
メアリー・オズボーンさん。自宅裏の牧草地にて(筆者撮影)

 自然を愛するオズボーンさんは、草花を育てることが趣味だった。そのせいか、事故後植物の奇形が目につくようになった。一つひとつ写真に撮って記録している。人間の手のひらのような巨大なタンポポの葉。1つの花が紫と黄色の2色にぱっくり分かれたヒナゲシ。科学的な因果関係は分からない。が、ずっと地元の草花に触れているオズボーンさんには「何かがおかしい」という確信がある。

 「奇形の植物を見るたびに胸が痛んで、園芸の趣味をあきらめました」

 オズボーンさんは疲れているように見えた。心の平穏を破壊されたまま33年が経ったからだろうか。疲れてませんかと聞くつもりで「大丈夫ですか」と尋ねると、彼女の顔が曇った。

 「胸のリンパ腺にしこりが見つかって、手術をすることになりました」

 それは悪性のものですか、と言いかけて止めた。彼女の目に怯えの色が見えたからだ。

http://mainichi.jp/select/news/20130110k0000m020113000c.html
中部電力:上越火力発電所 1号系列2号機営業運転を開始

毎日新聞 2013年01月10日 01時54分


 中部電力は9日、試運転中だった上越火力発電所新潟県上越市)1号系列の2号機(出力59.5万キロワット)の営業運転を開始したと発表した。液化天然ガス(LNG)を燃料にした最新鋭の発電方式で、従来より熱効率を高めている。

 1号系列1号機は昨年7月に運転を始めている。今年7月には2号系列1号機、14年5月には同2号機(ともに59.5万キロワット)の営業運転開始を予定している。