先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

ものすごく深いプールの中にあるから、見えてるようで見えてないんだろう核燃料棒は


角度が変わっちゃうと、計算されたのとはちがう核分裂反応になるわけだから…
まあ集合体のケーシングが傾いたわけではないので、制御棒は集合体と集合体の間に挿入できるわけで。

http://www.asahi.com/national/update/1212/TKY201212120762.html
燃料棒、接触して使用か 柏崎刈羽原発、異常はなし


 東京電力は12日、新潟県柏崎刈羽原発5号機の使用済み核燃料プールに保管していた燃料集合体1体で燃料棒が曲がって接触していたと発表した。核燃料が損傷するなどの異常は見つかっていない。だが、接触したまま原子炉に入れて運転した可能性があり、燃料損傷事故になる恐れがあった。

 燃料集合体は燃料棒60本が束ねられている。その中央にある冷却水が通る管が変形していた。燃料プール内の燃料集合体18体で、この管が曲がって変形していた。詳しく調べたところ、このうち1体は曲がった管で燃料棒が押され、別の燃料棒と接触していた。

 同原発では以前、使用前の燃料集合体に金属製のカバーを取り付ける際にずさんな作業で過剰な力をかけていたという。その際に、燃料が接触した可能性があるという。この燃料は1994年にカバーが取り付けられ、95年から2000年まで原子炉で使われていた。


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https://twitter.com/Happy11311/status/278831452379021312
ハッピー ハッピー ‏@Happy11311

続き4:2号機が今でも一番放射性物質が放出されてるから一日も早く塞ぎたいんだろうけど、焦って工事で怪我やトラブルあったら大変だし工程も遅れるから、コツコツ確実に安全作業が一番の近道なので携わる作業員さんは気をつけて頑張って欲しいな。
2012年12月12日 - 3:59

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36750
格納容器の調査に5年、燃料棒の片づけに11年
スリーマイルからフクシマへの伝言(その1)


日本政府や電力会社は、スリーマイル島事故の教訓から何も学んでいなかった。今回から数回に分けてこの「スリーマイルからフクシマへの伝言」を報告する。
日本の原子力防災政策が学ぶべきだった教訓は、すべてそこにあった。30年も前からずっとそこにあったのだ。その意味でも原子力行政や報道の怠業がよく分かった。そして住民の健康被害疫学調査、裁判の結論など、フクシマがこれからたどるであろう、すべてがそこにあった。それはフクシマの32年後を示す「予知夢」のようだった。


TMI事故は「機械の故障」と「人間のミス」が原因と記録されている。表面的には「天変地異が原因」の「福島第一発電所事故」とは違うように見える。しかし仔細に見ると共通点がいくつもある。

(1)小さなミスや故障が重なり「雪だるま式」(Snow Ball Effect)に膨れ上がった。システム全体でそれが集積され大きな事故になった。

(2)状況を把握するはずの中央制御盤が役に立たなくなった(TMIでは警告ランプやアラームが無数に作動する「クリスマスツリー現象」が起きた。福島第一原発では停電)。その結果、何が不具合なのか制御室にいる運転員にも分からなくなった。

(3)原子炉自体が汚染されて人が近づけなくなり、事故の実態が分からなくなった。当初は「メルトダウンはなかった」と楽観的な報告が出たが、数年後に原子炉の内部を検査したところ燃料棒の50%が溶け落ちていたことが分かった。

(4)事態の把握が遅れ、地元政府や周辺住民が被曝の危険を知らないまま時間が過ぎた。周辺住民の避難が遅れた。

(5)電力会社も事態を把握できないか、過小に理解した。州政府(日本の国に該当する)にも情報が行き渡らないか、行っても理解されなかった。

(6)新聞テレビなど報道に原子力発電の知識はなく、断片的な情報を意味を理解しないまま流し、混乱に拍車をかけた。

(7)「原発は安全だ」という意識が電力会社や政府に強く、住民避難の準備がなかった

 事故が始まった3月28日朝、地元住民には何の知らせもなかった。大人たちはいつもどおり出勤した。春休みの子供たちは地域の催しに出かけたりした。電力会社は事態を過小に見た。報告を受けたペンシルベニア州政府も、何が起きているか、何をすべきか、意味が理解できなかった。避難や屋内退避の指示はなかった。


 燃料棒の抜き取りが始まったのは事故6年後の85年である。終了したのは89年の12月24日だった。それでも全体の1.1%にあたる1100キロの燃料は抜き取りができないまま、TMI2号炉の現場にそのまま残っている。抜き出された燃料棒の残骸がTMIから移送を終了したのは事故から11年後の90年4月15日だった。

 ちなみに、現場で発生した大量の汚染水は、処理方法がないまま残された。フィルターやイオン交換機を使っての浄水作業は行われたが、放射性物質は完全には除去できない。サスケハナ川に放水する案もあったが、地元の反対が強すぎてとても着手できないのだ。1060万リットルの汚染水が残った。うち840万リットルは気体にして大気に放出する方法で処理された。


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除染事業バブルの終わり、の始まりか。

https://twitter.com/NORKUROX/status/278662473266106368
ラクロX ノラクロX ‏@NORKUROX

飯舘村八和木前田にあるF工業で環境省とのやり取り。@52imoto: ある企業の除染が終わり除染しきれずに100から低下しても30マイクロのホットスポットが、他も所々あり。其処へは環境省が絶えず訪れる。そして此処では物は作れないですねと!言った!浸透も70cmに及んでいる。
2012年12月11日 - 16:48


https://twitter.com/A1271
10月30日
飯舘村避難民A:沼 惇 ‏@A1271

理解に苦しむこと4:肝心の除染も先に森林が除外され、農地も近隣のみと表現を変えた。周囲の森林も20M内の除染も水平距離でなく斜面距離。おまけに2CMの深さの落ち葉除去だけ。 正確な除染面積は知らぬが村の総面積(231KM2)の5%?に満たない除染でお茶を濁して帰れと言われてもね。


理解に苦しむこと5:全体に福島県の除染は仮置き場の設置遅れで本格化の目処が立たず大工事を当て込んだゼネコンが開店休業状態に陥った。 その救済目的で飯舘村が名乗りを上げて集中工事をする為の施策だとの解説を聞いたが、さもありなんと思えるから不思議。