先従隗始・温故知新

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知れば知るほど、福島放射能被害とダブる水俣病の実態

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1104.html
NHK ETV 水俣病


2012年11月4日(日) 夜10時
2012年11月11日(日) 午前0時50分 再放送
原田正純
水俣 未来への遺産

半世紀にわたって水俣病に向き合い続けた医師・原田正純さんが、今年6月、急性骨髄性白血病で亡くなった。77歳だった。今年7月、水俣病の特別措置法に基づく被害者救済の申請受付が締め切られた。公式確認から56年。最終解決を目指すとされる国の救済策が閉ざされる一方で、なお多くの潜在的な被害者が残るとみられている。こうした現状に一貫して警鐘を鳴らし続け、常に患者に寄り添い続けたその人生を通して、原田さんは私たちにさまざまなメッセージを残した。
原田さんは、昭和35年、熊本大学の大学院生だった時から水俣病に関わり始め、亡くなるまで50年以上、常に現場に足を運び、水俣病患者を診てきた。昭和37年には、母親の胎盤は毒物を通すことはないとされていた、当時の医学界の常識を覆して、母親の胎内で水銀に冒された「胎児性水俣病」を証明した。以降、胎児性患者の人たちとのつきあいは亡くなるまで続き、一番の相談相手であり続けた。1軒1軒、未認定患者宅訪ねて、掘り起こしにも取り組んだ。
水俣病以外にも食品公害・カネミ油症や三池炭鉱爆発事故による一酸化炭素中毒など全国各地へ足を運んだ。さらにはブラジルやカナダの水銀汚染、ベトナムの枯れ葉剤被害など、世界各地の現場にも向かった。見えたのは「加害者は圧倒的に大きな力を持つ企業や行政であり、被害者は弱い立場に置かれた住民」という社会のひずみだった。
平成21年に水俣病の特別措置法が成立すると、不知火海沿岸住民の大規模検診を呼びかけ、埋もれた被害者の存在を訴えた。原田さん自身、胃がん食道がん脳梗塞など、何度も重い病気を患ってきた。それでも現場に足を運び、患者と向き合い続けた。
番組では、NHKが長年にわたり記録してきた原田さんの映像と、その志を引き継ぎ、活動を続ける人たちへの取材を通して、医師・原田正純さんの人生とその言葉を振り返り、原田さんが問い続けたもの、私達に残したものを見つめ直す。


あまりに、福島放射能被害と、ダブっている。


・政府と医師会とでタッグを組んで、『低線量被曝』など下流側の被害を切り捨てる準備は万端
水俣病でも、「これとこれとこれにひとつでも該当しないと認定しません」で大勢が切り捨てられた。これの救済法案が通過したのはまだ2年前だ。


・昭和30年代当時の医学常識よりはるかに、汚染被害実態が超越しており、結果的に誤診となっていた「胎児性水俣病
母胎は大半の毒素をパージして胎児を保護するが、追いついてなかった。
当時の医学ではまだ、出生後に汚染魚を食べてない場合は脳性麻痺とされた。兄は水俣病なのに弟は違うと言うことになった。


おれも親があっちの出身なので、あちらの九州の農漁村部の極貧ぶりは、伝え聞いている。
タンパク源は、とってくる魚しかない。それでもそんなものが食べられるだけ恵まれていたと。
いっぱい食べる習慣だった。いっぱい内部取り込みした。


福島県では今でも一部で、ベクレル検査しない地物の魚を割り切って食べているが…


原田先生は、熊本学園大学水俣学研究センター長だった。
児玉教授も、東京大学アイソトープ総合センター長。


歴史は繰り返す…被曝病の政府認定を巡る争いは、まだ潜伏期間の事故後5年を経て、これからだ。


原発事故被曝と言えば、岡野氏。ちょうど年代的に原田氏とかぶっているし、手がけてきたこともチェルノブイリと福島の汚染分布を調査するなど、原田氏が医師として水俣病患者と現場で向き合ってきた経緯にそっくりだ。
(岡野眞治 元・独立行政法人理化学研究所 詳細はグーグル検索にて)


 ◇


いや大熊町長…逆でしょう。
すぐ帰してはダメなんだよ。どんな危険かは不明だが、確実に健康侵害の危険はある。40年後廃炉と建前で言うんだからそういうものが目の前にある以上は住ませちゃダメだよ…「また津波地震とかで電源が無くなっただけでもどういう事態になるか」…とは原発作業請負企業の管理職クラスが言うんだから。また慌ててバスで逃げたいのかと。事故原発の設備は仮設だらけなのでぜんぶ流れてしまうと…機材や核燃料など様々な流出を含め何が起きるかわからんと。
そうやって、追い詰められておぼれてわらをつかむような「何が何でもすぐ帰村ありき」の発想に陥ると、ほんとうはどんな危険が潜むかもわからないウチから、汚染された土地に住み、汚染食物を食べ汚染水を飲むと、そっちへながれてしまう…
ダム水没の集落だってよそで移住して暮らすのだから…そのようにしたほうがいいよ。というか他に手立てがあるまい…

http://mainichi.jp/select/news/20121107k0000m040098000c.html
福島県飯舘村:「仮の町」建設 福島市と協定を締結

毎日新聞 2012年11月06日 21時15分


 東京電力福島第1原発事故で全村避難中の福島県飯舘村は6日、福島市内に「村外コミュニティー(仮の町)」を整備する協定を同市と締結した。子育て拠点として50戸程度の村営災害公営(復興)住宅や屋内遊び場などを建設する。原発事故で避難指示を受けた自治体が、仮の町整備で協定を交わしたのは初めて。

 仮の町は、既に村役場や中学校が避難している同市飯野町に建設し、学校給食センターなども設ける。整備を急ぐため、国や県を介さずに福島市と交渉を重ねてきた。来年度中にも着工し、市は市有地の無償貸与などで支援する。

 同村は14年3月に一部地域の帰村を目指すが、子育て世代の放射線量に対する不安は強く、復興計画では帰村しない村民の選択肢として子育て拠点の整備を掲げていた。具体化にあたり、菅野典雄村長は「福島市民の協力に感謝したい」と述べた。


http://mainichi.jp/select/news/20121107k0000m040093000c.html
福島県大熊町:「現時点では戻らず」半数…住民意向調査

毎日新聞 2012年11月06日 21時05分

 復興庁は6日、東京電力福島第1原発が立地し、全町避難を強いられている福島県大熊町民を対象にした住民意向調査結果を発表した。避難指示が将来解除されても、半数近い世帯が同町に「現時点で戻らないと決めている」と回答。放射線量への不安などから、町民帰還が見通せない実態が浮き彫りになった。

 避難先の全5378世帯に9月、郵送でアンケートを実施、3424世帯(63.7%)が回答した。

 調査結果によると、町に「戻らないと決めている」との回答は45.6%に達し、「現時点で戻りたいと考えている」は11.0%にとどまった。「まだ判断がつかない」は41.9%。世代別で「戻らない」と回答したのは、10〜30代=54.7%▽40〜50代=48.7%▽60代以上=38.9%−−と若い世代ほど帰還意欲が低くなっている。

 戻らない理由(複数回答)は、放射線量に不安=80.8%▽原発の安全性に不安=70.2%▽家が汚れ・劣化し住める状況でない=67.6%−−など。同町は町民の約95%が居住している地域が長期間生活できない「帰還困難区域」に指定される見通しで、除染の遅れや相次ぐ原発トラブルへの懸念が背景にあるとみられ、渡辺利綱町長は「明るい材料が何一つない中で予想された結果だ」と述べた。

 一方、帰還までの移住先となる「町外コミュニティー(仮の町)」を設置した場合、「居住する」と回答したのは22.8%と低く、「居住しない」が24.2%、「現時点では判断できない」は50.8%だった。大熊町などでは仮の町構想が具体化していないため、渡辺町長は「居住するか判断できない人が多く、国に早い対応をお願いしたい」と話した。


 ◇


EVも結局は、火力発電所が代理で燃やしているわけだけど。
ただ大気汚染は大幅に減らせるし、分布も火力がある数カ所に限定できるよね。各個で燃やすよりは。


燃やす以外の、自然エネルギーや運動エネルギーを変換する、発電技術の発展をどんどん進めるしかないね。


充電なら時間をかけられ、電力会社の200Vとかでもいいというわけか。(加圧器を経るにせよ、加圧の幅は小さい)

http://mainichi.jp/select/news/20121107k0000m040103000c.html
蓄電池駆動電車:14年春から営業運転 栃木の烏山線

毎日新聞 2012年11月06日 21時32分(最終更新 11月06日 21時55分)

 蓄電池駆動電車の実用化に取り組んできたJR東日本は6日、14年春から栃木県の烏山(からすやま)線宝積寺(ほうしゃくじ)−烏山間と東北線宇都宮−宝積寺間の計34.1キロで営業運転を開始すると発表した。現行の車両と比べ二酸化炭素(CO2)を60%削減し、騒音も出ないことから環境に優しい電車として注目されてきた。

 最高速度は100キロで定員は131〜134人。電化されている東北線区間11.7キロは通常の電車と同じように架線からの電力で走行し、非電化の烏山線区間22.4キロは車両の下に搭載したリチウムイオン蓄電池に蓄えた電力で走る。終点の烏山駅に充電設備を整備する。

 当初は1編成2両で運行を開始し、最終的に4編成を投入する。【斎藤正利】