先従隗始・温故知新

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白洲次郎の厭世生活


徳川家康も、とにかく長寿と健康に腐心して、最後の最後に勝った。

斎藤兆史『英語達人列伝、あっぱれ日本人の英語』


・芦屋の素封家に生まれ、ケンブリッジのクレアカレッジに学んだ白洲次郎は、
戦前はビジネスマンとして世界を股にかけて商売に精を出すが、敗戦を迎えるや、
吉田茂の側近として戦後処理のために政治の表舞台に立たされる。


・1940年、白洲は突然仕事から退き、鶴川へ引っ込み畑仕事を始めた。
38歳のとき。
奥さんの正子は、彼の引退の真意を次のように説明している。

鶴川へひっこんだのも、疎開のためとはいえ、実は英国式の教養の致すところで、
彼らはそういう種類の人間を「カントリー・ジェントルマン」と呼ぶ。
よく「田舎紳士」と訳されているが、そうではなく、地方に住んでいて、中央の政治に目を光らさせている。
遠くから眺めているために、渦中にある政治家には見えないことがよくある。
そして、いざ鎌倉というときには、中央へ出て行って、彼らの姿勢を正す、
次郎の友人ロビンもそういう種類の貴族の一人で、隠然たる力をたくわえていた。


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小悪党な集団、勢力が、なにかすればするほど、日本はどんどん悪くなっている。こと公務員や右翼や創価がやることはすべて利権死守というなの殺人や傷害を含めた嫌がらせ工作のみであり…人に危害を加えていやな思いをさせて黙らせる方式で、今後のグローバル国際社会を乗り越えられるわけが無い。いざというとき、頼りになる人は誰も助けには来ない。

◆楠山春樹『「老子」を読む』を読み解く


・『老子』は、無為に生きよ、自然のままがよいという。
もっとも無為といっても、何もしないということではない。
無作為、つまりことさらな行為をしない、ということである。


老子の考えることさらな行為とは、人が日常生活を維持するのに必要な最小限を越えるすべての営みをいう。
戦国争乱の世に生きた老子にとって、世の君主たちの行使する権力・武力、
乱世を救うためと称して儒家を始めとする百家の提唱する道徳・政策、
人の蓄積してきた知識・知恵、その所産としての文化・文明、
これらのすべては人の生み出したことさらな作為であり、いわば贅肉である。


老子のいう無為の唱導とは、こうした贅肉を削ぎ落とせということであり、
それが人のあるがままの自然の姿だ、ということである。


老子が世の常識に反してこのような主張を掲げたのは、
彼の生きた当時の状況によほど目に余るものがあって、
人が何事かを為そうとすればするほど、世相はいよいよ険悪の度を加えていくと考えたからである。


老子が理想としてひそかに思い浮かべていたのは太古の原始素朴の世である。


・『老子』は字数でいうと約五千数百字である。


老子は、戦国の世相を睨む憂世の思想家である。


・見聞による知識はあてにならない。
戸口から外へ出なくても、居ながらにして天下の情勢は分かるものだ。
窓から外を覗かなくても、居ながらにして自然界の推移は分かるものだ。

そこで「道」を体得した聖人は、出歩かないですべてを察知し、現場を見ないですべてを判断し、
ことさらなことはしないですべてを為しとげる。



・柔弱は堅強に勝つ。
万物にあっても、たとえば草木が生え出たときは柔らかでもろいが、枯れると乾いてかさかさになってしまう。
つまり堅強であるものは死の仲間であり、柔弱であるものこそが生の仲間なのである。


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