先従隗始・温故知新

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よくこういう知見の偏った人を、金融や商売のアナリスト系に見かけるけど


・牛丼は、選択的に安売りデフレ合戦を選択した(元々が牛丼に価値など薄い…デフレ戦略でチェーン展開を拡大し、古びた大衆食堂を駆逐してその役割を収奪する方が現実的だった=大衆昼食におけるスーパーマーケット)
・仮にインフレ政策で並盛りが200円から400円になっても、20万円の月給が40万円になるだけの数字のマジック(デノミすりゃ元の木阿弥)
・では価値はそのままで収益をムリヤリ増やす手段とは…「全国民、【昼食はテンダーロインステーキセット】を義務化、価格も100gあたり1000円を義務化。罰則は罰金100万円」これでムリヤリ散財させて収益も税収も上がるし、これ以外の方法は実は『ない』。=インフレにもデフレにも正解は無い、あるのは選択だけだ。きょうは和食がいいとかパンがいいとか言う、メリットの選択だけだ。
=全体に均一適用強制していいものではない。ある人に体にいい食べ物もある人には有害である。


松井証券の社長だから、切実に牛丼ばかり食べざるを得ない身分じゃない。
吉野家で働いたこともあるまい。
むしろ、まさに証券業…インフレの金利で稼げる人種だ…逆に言えばインフレで稼げる業種はかなり限られている。


団塊ジュニア世代は知ってる。スーパーとは安いよ安いよで70年代にはすでに栄えていたことを。


・すべてのモノの価値は、一方通行で下がっていく宿命(大量生産による薄利多売をやった時点で)
・ごく一部のアイテムが価値を維持できても、そんな恵まれたアイテムは次第に減っている
・所得倍増みたいなフェーズは、長屋の貧乏人がセキスイハイムを買えるようになるまでの、ごく短い期間のみである=全国民が貧乏であれば急激な経済成長となるが、全員が豊かになってしまえばそのバブルは打ち止めだ


当ブログの関連エントリー記事
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120506/1336233813
インフレしつつデフレ
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120509/1336533802
『豊かになるための消費』はもう日本社会では無理

http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C9F819499E2E5E2E0888DE2E5E2E7E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2
「安売り?もうそんな時代じゃないでしょう」  松井証券社長・松井道夫


 商売をしていて痛切に感じるのは、高い安いだけを座標軸にしたものは、いずれ壁に突き当たることだ。日本はデフレが20年続いているから、物価は上がるどころか、むしろ下がっている。20年前に牛丼が200円ちょっとで食べられるとは誰も考えなかった。ドルに換算すると、たったの3ドル、1ドル150円だったら2ドルを割る。そんなに安く昼食が済む先進国は聞いたことがない。

 デフレ時代のビジネス戦略は「安さ爆発」で、それが今のところ成功している。でもそろそろ終焉(しゅうえん)だろう。消費者が安さだけでは物足りなくなっている。俗にいう、「安かろう悪かろう」にシビアになっている。

 いずれインフレに転換するだろうが、いったん下げた価格を上げるのは至難の業だろう。インフレで強烈な円安になっても、消費者はドルに換算してモノは買ってくれない。一方でコストは否応なく上がるし、円安はそれに追い打ちをかける。切羽詰まって質を下げたら、それこそ「安かろう悪かろう」と見なされ、致命傷となる。


 デフレがよいとは当然思ってはいないが、単純にインフレ万歳ともいかない。不況下のインフレ、すなわちスタグフレーションの副作用に備え、今から準備しておかなければと思っている。消費者はますます財布の紐(ひも)を締め、まがい物は市場から締め出される。こうした議論も、可能性としては充分有り得るハイパーインフレとなると話は全く違ってくる。これは国家破綻と同義であり、それを前提とした無責任な議論をするつもりは私にはない。


松井社長が正しいのは以下の概念である。
フクシマ原発事故そのままだ。国民ほぼ全員が思い知っただろう…松井社長の言ってることがすでに頭に入ってるだろう。


■適者生存の法則

 山崩れ(革命)を予期している人は準備をするが、予期していないか、現状を最も快適に思っている人は準備をしない。山崩れは、ほんの些細(ささい)なことで一気に起こる。起きてから対策を練っても後の祭り

ダーウィンの進化論にも通ずるものがあるが、「適者生存」法則が残酷に働く時代が到来した。政治・経済で危惧すべき問題は山積だが、そんなことより、人の価値観の変化、それを後押しする技術の変化が、途方もない山崩れを起こすと認識すべきだ。こうした変化に鈍感な会社は廃れるしかない。

 過去の延長線、すなわち教科書的にしか物事を考えられない人たちは、変化で生まれる新常識によって淘汰される。教科書にのっとったビジネスはできないと痛感しているが、解は誰も教えてはくれない。そこにビジネスの醍醐味がある。実に面白い時代になったものだ。