先従隗始・温故知新

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原発事故から今まで、競走馬牧場を何とか続けてきた葛尾村の方が、廃業へ


葛尾村、競走馬…あーー
NHKのETV 放射能汚染地図1の、あれかーーー


感慨深すぎて、忘れるわけもない。
あの生まれたばかりの子馬が競走馬になって…
できれば引退しても生かして暮らさせてやってほしい。汚染なんたらで桜肉どころじゃないってことにすればいいし、飼育費は募金を募ればすぐ集まる。

http://mainichi.jp/sports/news/20130820k0000e050218000c2.html
福島原発事故:閉鎖決めた牧場「最後の競走馬」デビューへ


毎日新聞 2013年08月20日 15時00分
トレセン入りを前に内藤牧場のコースを競い合いながら疾走する、篠木牧場のトライバル(右)ともう1頭=茨城県阿見町の内藤牧場で2013年8月20日、栗田慎一撮影

 東京電力福島第1原発事故の直後に生まれた、福島県葛尾(かつらお)村の「篠木牧場」の牡馬2頭が、避難先の茨城県内の牧場から日本中央競馬会(JRA)の美浦(みほ)トレーニングセンターに移され、新馬戦に向けた最終調整を始める。中央競馬デビューの舞台は11月の福島競馬場福島市)。閉鎖を決めた篠木牧場の“最後の競走馬”の名には、福島の再起と競馬人気の復活への祈りが込められている。

 20日午前6時、茨城県阿見町の内藤牧場のダートコース。鹿毛(かげ)と栗毛の2頭が疾駆していた。鹿毛の名は、「挑戦」のトライと「復興」のリバイバルを合わせた「トライバル」。栗毛は葛尾にちなんだ「カツラオー」などを検討中だ。

 「立派になって……」。2頭と約10カ月ぶりに再会した篠木牧場の4代目社長、篠木要吉さん(58)と妻秀子さん(50)は瞳をうるませた。

 「まずは無事であることが名馬の条件。丈夫に走ってくれただけでうれしい」

 2011年3月の原発事故当時、篠木牧場には出産を控えた牝馬2頭を含め計7頭のサラブレッドがいた。村は全村避難を決めたが、篠木さん夫妻は「馬を置いていけない」ととどまった。約2週間後の3月末、トライバルが誕生。すぐに立ち上がり、馬場を跳びはねるやんちゃぶりだった。

 だが、放射性物質の拡散は深刻化し、避難のためすべての馬を手放そうと決断。その話を聞いた内藤牧場の内藤正夫代表(65)が「馬は命の次に大切だろう」と、母子や出産間近のもう1頭の育成を、篠木牧場所属のまま引き受けた。

 4月10日に内藤牧場に移送され、栗毛が誕生。篠木さん夫妻は葛尾村で朗報を聞き、福島県郡山市に避難した。牧場の移転先を探したが適地が見つからず、篠木さんは競走馬の育成をあきらめ、福島市内に和牛牧場の新設を決めた。そうこうしているうち、内藤牧場に避難した2頭には昨年10月から会えないままだった。

 再会の日、気性の荒いトライバルは砂を蹴散らし、おとなしい栗毛はじっとたたずんでいた。2頭は9月上旬にも美浦トレセンに入る。騎手時代にG1レース7勝を含む通算769勝を挙げた菅原泰夫氏(67)が調教にあたる。

 篠木さんは「事故に翻弄(ほんろう)された子馬が厳しい勝負の世界に飛び込む。私も負けてはいられない」と自らを鼓舞した。


 ◇篠木牧場
 1929年、馬の産地として栄えた福島県葛尾村で、馬と牛の牧場として創業。86年の皐月賞(G1)に「ウオローボーイ」を出走させるなどの名門牧場。原発事故当時は同県双葉郡で唯一のサラブレッド生産・育成牧場だった。




(15:00過ぎぐらいから…)
http://www.dailymotion.com/video/xwqgao
http://www.dailymotion.com/video/xwqgc8
ETV特集「ネットワ―クでつくる放射能汚染地図 福島原発事故から」
「日没を待って葛尾村の中心部を訪ねました…信号機や街灯以外に明かりは見えません…3/14すでに全村自主避難を決めていました。」
「心細くてもう帰ろうと思い始めていたとき、山の中腹にポツリと、灯がともる家が…」
「篠木さん一家には村を出られないわけがありました」
『ウチ、競走馬の生産をやってるんですけど…』

三日後                  トライバル↓

『どうして自分の財産を手放して土地を捨てて逃げ出さなきゃいけないのか、へたすりゃ何年も何十年も…』
「篠木さんは避難先の郡山であたらしい仕事を探すことになります…」

犬のパンダがまた不憫でなあ…結局は保護され引き取られていったみたいだけど。


 ◇

http://www4.nhk.or.jp/chihouhatsu/x/2013-09-02/21/26472/
地方発 ドキュメンタリー「遥かなる私たちの大地〜飯舘村 放射能と闘う農家〜」


福島第一原発事故の影響で、住民のほとんどが避難生活を続ける福島県飯舘村。畜産や花卉栽培が盛んだったこの村で、いま、人々は農業を続けるかどうかの選択を迫られている

福島県飯舘村は、かつて畜産や花卉(かき)栽培が盛んだった農業の村だった。今は原発事故の影響で、ほとんどの人が村外で避難生活を送っている。東日本大震災から2年半になろうとするこの夏、村の農業者は大きな選択を迫られている。同村から遠く離れた避難先で和牛繁殖を再開した畜産農家は、あくまでも村へ戻ることを目指すのか、それとも戻ることをあきらめるのか、家族や仲間の間でも意見が揺れ、答えを出せずにいる。