先従隗始・温故知新

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だーから、厳しいとかむちゃくちゃだとか文句ばかり言ってないで、監督を信じてついて行けというの


必ずしもそうとは限らないが、
「豊かすぎる日本で、もやしになった世代」は、少し厳しいとか独裁的と言うだけで、不平を漏らしすぎる。


こと団塊以降とその子供の団塊ジュニア以降はイイワケの内容がひどいことがあり
「厳しい=古い」というイイワケで逃げるヤツが目立つと思うが。


サッカーやボクシングは「ハングリー」なスポーツなので、貧困のスラムや荒野から這い上がってくるような選手がいる国が強い。そういう連中の打たれ強さは半端ではなく、経済競争においても中国人は月収3万円でアフリカの奥地に単身赴任で行って現地で食料調達しながら設備建設を行ったりしている。
ちなみに中国政府新トップの習近平は親の左遷で極貧農村での農耕暮らしをした幼少時経験がある。日本でそういうたたき上げのトップは角栄ぐらいで、上級幹部でも野中ぐらいで、打ち止めではないのか。

http://www.daily.co.jp/soccer/2012/11/15/0005527865.shtml
長谷部、ザックの酒井高起用に“脱帽”
2012年11月15日


 オマーンに勝利し、ガッツポーズするザッケローニ監督(右)=共同
 「W杯アジア最終予選オマーン1-2日本」(14日、マスカット)


 MF長谷部主将がザッケローニ監督の采配に舌を巻いた。途中交代で入ったDF酒井高の突破とクロスから決勝ゴールが生まれたことを「監督のさい配が光っていたと思います」と振り返った。ボランチとしては、前半から自身が激しいチェックを受け「できるだけセンターバックでボールを回せればと考えていた」と、試行錯誤しながら試合をコントロール。フル出場で勝利に貢献した。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121031/238837/

押井守監督の「勝つために見る映画」

押井:派遣された部隊の指揮官、ダヴェンポートは温情的な男で、部下思いで部下たちから慕われてるんです。危険な任務を部下のミスで失敗したんだけど、かばって表沙汰にしなかった。これで彼は解任され、新しい指揮官としてやってきたのがグレゴリー・ペック演じるサヴェージ准将。

 これが鬼みたいなおっさんで、猛訓練に次ぐ猛訓練。ミスをしたヤツは容赦なく降格。もう部下たちもヘトヘトで非難轟々。「あいつの命令を聞いてたら殺されちゃうぞ」というさ。みんなで部隊の転属願を出しちゃうの。

そりゃそうなりますよね。

押井:ところが実際の結果は逆なんだよね。

 熾烈な訓練をしたおかげで被撃墜率がどんどん下がる、成果のほうはどんどん上がる。サヴェージ准将は厳しいだけじゃなくて、出撃の時は自分も先頭機に乗って前線で指揮を行う。そして、部下たちもなんとなく彼の真意を理解し始めるんです。「じつは部下思いだからこそ猛訓練したんだ」という。

 だけど、サヴェージ准将のほうが途中で人間的に壊れちゃうんだよ。

本当の部下思いの上司とは?

それはまたどうして。

押井:部下がどんどん戦死するから、それに耐えられなくて錯乱状態になるんです。前任者が部下思いで有名で、後任に来たサヴェージ准将が鬼みたいなオヤジで、最初は非難轟々、でもだんだん理解されて、というドラマと、サヴェージ准将の人間性が崩壊していくという話が同時進行なんです。

 サヴェージ准将は戦闘指揮官なんだけど、実戦部隊の指揮官というのは会社で言えば中間管理職なんです。司令部から「これだけの戦果を上げろ」と言われるのは、要するに営業のノルマと同じだよね。ノルマを課せられて、どうやったらそれに応えられるか。ノルマに応えられなかったら、前任者みたいに更迭されちゃう。

 つまりサヴェージ准将は成果の上がらない支社に新しい営業部長として赴任してきたのと同じなんです。

うひゃー。


http://news.livedoor.com/article/detail/7142237/
フットサルW杯では、初となる決勝トーナメント進出を果たした日本代表。一回戦で敗れたものの、その戦いは今後に繋がる意義あるものとなった。すると、「すぽると!」(14日放送)では、「フットサル三浦和良&日本代表 独占告白 W杯知られざる真実」と題し、主力メンバーに心境を尋ねた。

そんなカズについて、森岡は「試合終わった後、みんなでシャワー行くんですけど、カズさん、傷だらけなんですよね。ヒザとかヒジとか。ああいうの見ると鳥肌立ちますよね。この人がそこまでやってるんだったら・・・」と明かす。

そして、大会を終え、総括を求められたカズは、「僕が今回出たことで、今日明日じゃない。5年後、10年後、みんながこれから頑張ってやっていきながら、あの時(カズが)出てくれて、それもよかったんだねって。その時が、はじめて自分がよかったなって思う時」と笑顔を見せた。


http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-1654.html
野中広務が旧制中学に学ぶことができたのは、彼の家が大村では珍しい自作農に属していたとが大きい。しかし、自作農といっても野中家には四反ばかりの田があるだけで、父親は郡役場で給仕として働きながら、広務をはじめ5人の子どもを育てなければならなかった。決して豊かな暮らしという訳ではない。