先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

まいった


浪江町津島まで、電撃作戦で線量計測に行く
はずだった


・結城R4大事故発生、3車線のうち2車線が破片だらけで通行不可で大渋滞…自動車2台の事故。いわゆる合流接触
おかげで足止めを食らう…誘導警備員歴のある人間は事故現場を見ると放っておけない…空気を吸って飯を食うようなもんで


・20分ぐらいでやっと警察が来たので引き継いでもらい先を急ぐと
日産上三川工場の手前で焼き付いた…走行中はそうでもなかったが、誘導で立哨してるとものすごい寒かった…マイナス2度ぐらい?


つまり、たまーにある、神とか悪魔とか国家権力とかあのへんの、
見えざる手で、空気で、こっちを操って、「導く」というアレだ。
タイミングよく、エンジンを故障させてまで、「いかせたくない」のだ。俺の人生、こういうことがたまーにある。


…その人がどんなにエライとか偉くないとかは、さておき
特定の人物を行かせたくない福島県浪江町には、住民がまだ住んでいる…立ち入り禁止になっていない。
おいおい…


その証拠に「色々とラッキー」だ。引き返せばなんとか帰宅できる距離…100km。
これが津島で焼き付いたら目も当てられなかった。現地の空間線量は10μsvだ…原発から25km。
山道をいくら歩いても郡山にすら明るいうちにはつかない。
郡山駅の雨樋でも120μsv出ているのだ…300km圏…徒歩でバイク押しだと1週間以上かかる。内部被曝がしゃれにならん。
ホムセンに立ち寄るとしても、はたして何十km先だろうか…つく頃には閉店…店の前で翌日まで野宿か?
色々とラッキー、という時点でもうこれは、その運命が仕組まれている。様々な人為的要素がその仕組まれた運命に詰め込まれているのだ。


なんかこう、ノンフィクション洋画のK-19みたいな、ナディアのノーチラスみたいな
ハッチ一つのむこうには人がいるみたいな…すっげえむなしさと、矛盾に、やりきれなくなった。
危険地帯イエローゾーンが矢板那須からなので、宇都宮より南なら極めてブルーだ。
・安全です安心です問題ない、住めますといいつつ
・特定の人物には、あそこにはいくな、危ない、などと入れ知恵している…(たとえば政府要人や、地方自治体でも要職の、家族は例外なくそのようにこっそり逃がされるようである)


特定地域(関東全域と宮城南部ぐらい)にきわめて平等に均等にばらまかれた放射能…端的にはセシウム
いわき市も東京都心も、空間、雨樋地表、どちらの線量とも大差なし。
3月中旬にほぼ全量ばらまかれてるので、そのときの降雨降雪地域のみが甚大なホットスポットに(柏松戸、飯舘村など)…原発至近距離を除いては。
至近距離の地帯では粉じんやミストそのものが降っているので、地表の大半が『面線源』である。
普段から通常のベントなども行ってる各地の原発すぐ近くでは、場所によっては地表1μsvが絨毯敷きのように広大にどこまでも続いているなんて珍しくない。敦賀と東海はそうだった。


だから柏や松戸が高線量と言っても…雨樋など雨水が集まって濃縮される特定スポットだけだ。降雨で降ったセシウムばかりだから。
煙の粉じんがゆっくりと降ってくるのは、たき火のすぐ近くだけなのと同じ。


おそらく福島原発の至近距離地域では、いまも粉々の原発から水蒸気煙がもくもく出ている、あれが降り注ぎ続けている…面線源の線量が減らないだろうね。除染してもまた線量が増えてくる理由の一つかもしれない。


核種にしても、水素爆発由来ならヨウ素セシウムぐらいでも
燃料仮置きプールからの湯気は、中の燃料が出した全ての核種なので…なんでもありだろう。その灰が、ミストが、至近距離の地域には毎日降っているのだ、おそらく。


閑話休題


これら高濃度の放射能を、浴びて死んでいい民と
絶対に浴びさせたくない人物や地位が
あっていいことなど、万にひとつもあるまいに…


とかく、おれは浪江行きを「阻まれた」
関西計測巡業もこなし
いわき市からJヴィレッジもいけたのに…おなじ一台のバイクでね。


確かにいわき市と都心は線量大差ないけど…
いよいよ本格的に線量がヤバイ、郡山〜福島市や、スーパーホットスポットで最大地表計測線量700μsvで避難勧奨地域の浪江町には、おれをいかせないのだという…おいおいおいおい…


まあ、いいかげん積算距離も伸びてた車体ではあるが…7万目指して快走中の。
(だがどうやら今回のスティックにこの積算距離は無関係のようだ…良く聞かれるオイルポンプの故障とも違うっぽい)


そういった数々の偶然要素をかき集め、織物や編み物みたいに束ねて、
ここぞと一気に活用する…それが政府筋などがよく使う「運命を操る、味方にする、魔術」である。
数々の偶然すら、武器や味方にする。まるで自分の思い通りに動くかのように、たぐりよせる。
人々を操り、自然現象も操り、数々の偶然を、自分の武器としての必然にしてしまう…この世の森羅万象全てを操るがごとく。


焼き付きの理由は簡単だ。
「戻し焼き付き」という通り名で有名。


・冬場でよく冷える、オイルがねばねばして堅いまま(フライパンの油と同じ)
・そこで先頭を走るとエンジンや車体および付属物がよく冷却される(強制空冷ファン式とはいえ、すきま風も導風されてる構造なのでバカにはできない)
・レブ付近でずっと走ると、燃料がよく消費され、熱もこもる
・2ストロークエンジンはオイルも燃やしてる
・2ストロークオイルは、寒いほどに堅いままで粘っこい
・粘っこいオイルが、よくガソリンに溶けない
・粘っこいオイルが溶けないため、オイルが希少や偏在(均一供給されず)となり、レブ付近でずっと走って熱くなってるエンジン内部で、不足が散見されるようになる
・加速していれば、いずれ停車せねばならない…アクセルを閉じる、戻す
・するとアイドリング分のオイル混合ガソリンしかこない
・ただでさえカッカ熱くなりつつ、オイルが不足し、内部乾燥していたエンジン燃焼室…急に冷却されなくなり(風でも液体でも)、スティック抱きつきする
・あるいは水冷のケースリードのレースエンジンだと、暖まった後で最適な締め付けクリアランスとなってるので(シリンダーが暖まって膨張し、ピストンをしめつけなくなる)先頭を走ってよく冷えてしまうとこの締め付けがきつくなりスティック、という逆のケースもある…リードの場合はピストンリード強制空冷のコミューターなのでむしろ冷やした方がいい前提だろう、排熱が遅れるのが空冷で、エンジンを密封しファンだけで冷やす強制空冷はなおさら。
・長い積算距離だと、小端ベアリングのガタ、リングのガタなども増えて、ピストンの首振りが激しくなってる可能性もなくはない…そういう状態でレブ付近走行を続けていると…スカート部などがコツンするかも


栃木の早朝6時の極寒は、2ストエンジンスクーター車の長時間高速度走行には厳しすぎたのか。
現に冬以外に日本海側や関西〜静岡の1号で、同じ走行をしても異常など出なかった。
群馬から新潟へ三国峠を抜けるときは春でも2度ぐらいだったが、寒いし路面は悪いしで速度は出せなかった。しかし新4号は同じ気温でも20分ぐらい全開走行しないといけない。車もじゃんじゃん飛ばしている。


工具はあるので現地分解する…クランクケース内部の部品を外し、
手でクランクシャフトを回すと、確かに圧縮間際の一点だけコスンと金属かるくコスレ的な抵抗が増えていた。ベアリングではなくシリンダー・ピストン組からの感触だ…異音も一切なかったので符合する。
非常に些細な抵抗ではあるが確実にその部分が発生していた。たぶん排気ポートの左右どちらかの端の下あたりだろう、車種やメーカーに関係なく、よくそこをひっかく。


駆動系部品には何の異常も無かった。
3度ほど始動して走行を試みるも、すぐまたスティックしてストールするようになった。作動抵抗が増し、オイルが足りない…これ以上状態を悪化させたくないので、混合燃料化することにして試験始動走行は打ち切った。


普通の人なら、数日かけて押して帰るか、捨ててってしまうか、レッカー呼ぶか、だろうが…
幸いなのか、おれはレース活動経験から、2ストロークバイクは専門知識と経験が山ほどある。トラブルシューティングの分岐が多い。
しかも、焼きついたリード90の後継、リード100でも全く同じ現象に悩まされた経験があった。
(まあ、100はあれ…環境対策がジャマすぎるんだが…キャタライザーは3万kmで焼け落ちて破片が舞ってカラカラ言い、排気の抜けが急に良くなり過ぎて焼き付く…)
(環境対策のために混合気が薄いのでことさら焼き付く…しかもクランクベアリングの強度と耐久性が落とされている…)
(2ストの達人がちゃんと整備しても、この環境対策設計の固有知識がないと、焼き付く…『二度と乗るか!』この件を問いただしても、HMJの客相のヤクザも、無言で殺気を出して電話口で追い返しをはかるばかり)


正直、戻し焼き付きではなく、オイルポンプの不調かとも思った。
混合仕様にすると、快調に戻ったからだ。
だがこれはリード100も同じ…しかし徐々にスティックする条件が厳しくなる…しやすさのハードルが下がってくる…
いずれどうにもならなくなって完全に焼き付く。それは数千kmかもしれず、2万kmかもしれない。2万もてば、普通の原付スクーターの寿命なみだろうw
なにより、毎度の給油後の混合オイル投入つまり常備が面倒だ。オイルを扱えば汚れる。汚いモノを常備するハメになる。
リード100の時は、オイル警告灯が配線断線で点かず中古入手後すぐ焼き付きしたのが積算1万時、混合で工夫し4万まで乗った。エンジン換装したがキャタ脱落マフラーを使ってしまったのですぐ焼き付いた。二度とこの車種には乗るまいと誓った。


結果として、普通の人ではかえってこれない所、なんなく帰ってこれたが
もはや近所の買い物用にしか使えなくなった。スポイトとオイル常備のうえでね。あと当然、オイル燃費が悪くなる。


焼き付いた時点ではスポイトなんか無い。
だが食器…はしとスプーンとストローは常に積んであった。
ストローでオイルタンクからオイルを微量づつ吸い上げては、燃料タンクへ垂らすことの繰り返し…
一回3ccぐらいなのだが30ccは必要なので…唾液が混入しにくいよう気をつけつつ。(作業が終わると口の中がオイルくさいのでうがい。手持ちのお茶とかで)
ひとまず1:200よりは濃くした上で走り始める。まだ登坂でストールする…
さらに注油し1:75程度にまで濃くしたら、あとはノーミスで走れるようになった。
あとは沿道のホムセンでスポイト購入、さらに1:50程度にして問題なく帰宅。用心のため急アクセル急戻しはせず速度も控えつつ。日中はあったかいのも好条件だったろう。


厳密には、時間が空きすぎたので、自治医大の敷地内や、大宮別所小付近など、手近な所を線量計測して回ってから帰途についた。


途中給油が不要な距離なので楽だった。
給油するとまた混合ガソリンの作り直しだ。1リットルで10cc未満ぐらいはあると盤石っぽいので、満タンで60ccいじょうは注油し
車体を振りまくってよく混ぜて(ブレーキかけたり離したり…横倒し、直立、また倒して…端から見たら変人)
数分間放置し、溶解を待たねばいけない。それでもちゃんと混ざってるかは、祈るしかない…まあ分離混合兼用オイルは溶けやすいが。


このような芸当が可能なのはホンダの2ストロークエンジン・スクーターのみだ。リードシリーズだけかもしれず、ディオも可能かもしれない。
他社ではもう焼き付き時点でいろいろ壊れる。
特筆すべきは、カブでさえダメと言うことだ。4ストロークエンジンは焼き付いた時点で終わる。
焼き付いてもなんとか帰ってこれる裏技は、2ストロークならでは…ただ、冬場の戻し焼き付きになりやすいのは弱点でもあるが。


まさかリードでも、冬場の戻し焼き付きになるとは…いかに高速道路みたいな新4号の先頭走行とはいえ…
・ホンダの2サイクルオイルは3種ある
http://www.honda.co.jp/motor-parts/ultraoil/ultraoil_st2/
厳密には、特に冬場の高速高負荷走行では、原付二種=小型二輪の2サイクルバイクは、
SFグレードを選択せねばならない。50ccむけの2Superでは柔らかくて油膜切れが出かねないと。
(ちなみに、スズキ車以外がスズキオイルを使うと焼き付く…スズキはオイル系統が独自で、オイルが堅いからだ。とくにリード100は冬なら一発でサヨナラ)


しかしホムセンでは2Superしか売ってない…これをいつも使ってたのが原因かもしれない一つ。


・一度、異音歴
はるか積算2万kmごろ、高速走行中に異音…当時は、「ホンダの2サイクルスクーターをガンガン回して使うときは、ホンダ純正オイル以外は不可」とは知らず
社外品でも平気で使っていた。運悪く、後期型なのに前期型のプラグを入れてる最中…
幸いに、プラグを後期用に戻し、純正オイルのみ使うようにすると以後異常なし。
そういやあ、NSR250R SE-MC21も、筑波行くときにオイル切らしちゃって、コスモのスタンドにあったオイル「これでいいやあ」つって入れたら
見事に筑波走行の帰りに首都高でキュルキュル異音でストール…モトバムに売るハメに…ってことがあった。
案外にホンダの2ストバイクはホンダ純正しか使えないのだ。NSRならGR2
原付50ccは別かもしれないが、高負荷のかかる小型二輪や、性能を詰めたスポーツ…NSRCRMは。


こういった微々たる原因が、いくつか折り重なって
真冬の早朝深夜の厳しい環境で、トラブルとして発現する…
ほぼ同じ地点で、TZR250R-3XV初期型も戻し焼き付きで焼き付いている(これは初期型故の欠陥設計のせいもある…オイルポンプがリコール出てる)
…それだけ2ストに厳しい環境なのだろう、あの地域一帯の寒さと平均速度は。
TZRならまだわかるが…まさかリードまで…





マクガイバーのようでありたい。
http://www.youtube.com/watch?v=naHj2jTvG5I




翌々日の12/30、
案の定、また一悶着。


スタンドまで、快調。
スタンドで満タン5.5L、混合オイルを120ml程度投入。
良く車体を振って混ぜたけど、やはりダメだった。
走り出して、角を曲がって、向かい風突風がぶち当たって、ストール。


ストールが変だ。アイドリング域では回ろうとし続ける。
これは焼き付きとは関係ない特性。失火…かぶりだとすぐ判明。問題はその遠因だ。


ひとまず買い物を終え、帰路でたまに始動を試みる。
案の定、かかりはじめは調子がいい。焼き付き抵抗が絡んでない証拠。
排気をみる、案の定白いしオイルミストがよく見える…まるでハチハチのNSRやRZだな…


…と、ここまでで素人ならもう「エンジン壊れたー!焼き付いたー!廃車だーレッカー呼ぼう」と
大騒ぎし悲嘆に暮れて諦める。一般的な女性ならもっとひどかろう。
なんせ、エンジンに何が起きてるのか理解できないからだ。
ユーザオンリーでカスタマーサイドの志望歴や実務経験が無いとそうなる。
おれだから、死んでない。
ただの素人なら、おとといときょうで、二度死んでいる…おまえはもう略


おれの診断はというと
・白煙、抵抗のない回り方、しばらくすると失火
=どうやら給油後のオイル混ぜに問題
・スロットル開けるとモウモウ失速しそのままやってると停止…休ませて後に再始動、スロットルオープンでまたかぶって止まる、開けないでおいとくとかぶりにくいのでしばらく回ってる
=Nチビにせよスクーターにせよ単純かぶりに多いパターン…ガソリンかオイルの供給過多


禁じ手を使う。キャッチタンクがないけど、ドレンを緩める…都道規格のよくしみこむ所で。
四輪事故なら20Lは漏れるから、3×3=約10ccぐらいはご勘弁を…今度自作しておかないとなキャッチタンク。細いペットボトルにドリルで穴開けして
結果…真っ青な混合油が、しかもトロトロ…やはり濃すぎる。
つまり機序としては
1 本当は混合油は、容器に入れて棒で攪拌して、混ざったのを確認してから燃料タンク投入が正規手順
2 今回は、手抜きにしても最悪の、オイル缶からそのままドボドボ=水飴みたいなもんだから混ざるわけがない
3 ホンダ2ストスクーターは燃料ポンプ式…運悪くオイルの濃い部分から吸い込んでしまった=キャブ内がオイル率高くなった


一昨日は、ストローで3ccづつとか
スポイトで8ccづつとか
少量づつ、
しかも細く投入した。これなら良く溶けて混ざる。


しかし今日は、ホンダ純正1Lオイル缶からそのままどぼどぼ入れた。
太くまとまって入ってしまえば、しばらくは水飴状に残るだろう。底の方に。
しかも、失火した当初はあせって追加でスポイトで10ccづつ注油追加してしまった。そりゃ白煙が収まらない。
5.5Lに対し120ml、加えて10ccを二回…で残存混合油がタンクに1Lぐらい…この構成だと濃すぎるのだ。
オイルポンプ抜きでも1:40ぐらいなら走ってしまうから、ほぼそこに近づいたこの混合比率ではプラグも音を上げる…


だいたいの作用機序がホームズ的に判明したので
あとはその推理を信じて”治療”を行うだけだ。
1 ドレン排出を3度繰り返し、粘度の推移を観察…だんだんとサラサラして色が薄くなっている
2 そのたびに始動テスト。だんだんとカブりっぽさが減っていて、放置アイドリングしても長続きしてきた
3 念入りに、クリーナーのふたを開けて観察…いくら車体を傾けて振って混ぜたとはいえ、さすがにクリーナー室に『戻り混合気』はなく、キレイに乾燥してる
4 相変わらず排気は白煙だが、においがだんだんと燃えて乾いたにおいに変化…ドレン3回目後の始動でスロットルオープン、全開OKに回復
5 そのままスタンドアップのまま負荷テスト…もうもうの白煙なるも、全開で最高速付近のまま快調に回る…とてもシリンダーやベアリングにガタが来た感じではない
6 乗って帰った…最初はスロットルオープンをいやがるカブりの感じがわずかに出たが、徐々に消失


…いずれにせよ、面倒くさいマシンにはなってしまった。
混合比率もまだ検討の余地があり
給油後の混合オイルの混ぜ方に工夫を要する…このノウハウの開発が急務だ。
うまく扱えばメーター一周10万kmいくだろうし
ちょっとミスれば短命で終わるだろうし。


なんにせよ、この車種の欠陥、オイルポンプ・シールの漏れではなくてよかった。
あれだとクランク室に混合油が落ちていき、かつ燃焼室にはこなくなる。
いくら対処しても治りはしない、シール交換かAssy交換するまで。


目指すは10万km…
カブなんか30万kmだもんな、四輪なみだわ…




12/31追記。
快調快調。
すっかり白煙はないので、やはりオイルだけ多量に吸引してしまったようだ。
一晩おいて、すっかり混ざったと言うことだ。
つまり、やはり昨日は混ざってなかった。フラスコの中でマドラーでよく混ぜなきゃダメなのだ。


山道を走った。登坂も長い距離を何度もやった。モトクロスが喜びそうな鉱山オフ路の25%ぐらいの急坂登坂もやってみた。勢いつけて急斜面を一気に駆け上がると平地があるようなコース。
昼下がりで気温もあんまり低くないし、高回転を使わないし、
戻し焼き付きの条件がそろわないから、ぜんぜん異常は出ない。


一回でもスティックした車両では、スロットルワークを変更する。
戻しが怖いので、マニュアル車のシフトダウン時みたいに、マメにあおってやる。ブワン!・・・・ブワン!・・・と。
短制動の必要が無いときはなるべく戻しを遅らせゆっくりとやる。
延々と下り坂でスロットルオフが続くような怖いシチュエーションに有効。


2スト焼き付きにも、車種にもよるが2種類ある。
・暖気不足による低温焼き付き
・暖気過多による戻し焼き付き


始動後すぐ走ったら止まっちゃったとかいうパターンが前者。
混合気はあまり来てないし寒くて堅いオイルは水飴みたいで油膜が十分に行き渡らず、かつシリンダーが膨張せず隙間が狭い(これはベアリングにも言える)。
環境対策で薄い混合率だったリード100は、どノーマルでも多発したそうだ。3万kmもたないで廃車のケースが多かったと。
ゆえにリード100はサービスキャンペーンで無料修理となり、対策後はキャブヒーターもついてた気がする。プラグまでピッチの違うものに変更されてたっけね。才能のないエンジニアは、不具合を出してはあれもこれもいじるんだけど、まず成功しないんだよな。リード90作った人は神、100つくった奴はぼんくら。


ケースリードスポーツ車でも、ピストンリードのコミューターでも、暖気は始動後30秒はやりたいね。その際にあおってはいけない。


暖気過多というのは、ほぼ高速度連続運転後のスロットルオフのことだ。前述の通り。
だから2ストのレースの場合、先頭車両は焼き付かず、スリップストリームの後続車両が焼き付くというケースもあるようだ。逆に、先頭を走行していたのでよく冷えていたのに、スロットルオフで燃焼室内が急激に乾いて高温になり(温度差が激しい)焼き付く…こともあり、こればかりは車種、エンジン形式、その当日の天候や気温に湿度に風向き…走行条件などに依存する。使ってるオイルだの整備状態だのどういうライディングをしていたかなど、言い出すときりはなかろう。まあ、長く走らせてるベテランなら、どういうときがマズイかはわかるもんだよ。説明はしづらくても。


そんなわけで、FISCOの昔のロングストレートのエンド付近がおそろしかったという体験談は、現場や雑誌でけっこう見かけた気がするね。ラジエータのガムテやジェッティングしだいで生死を分けてたんだろうなあ…


どちらの焼き付きをやったのかは、そのときの状況経緯でもわかる。
始動後まもなく走り始めたら異音だの回転低下などは、前者の典型例で、
そういう時点では、まだ暖気不十分でエンジン回転が元気に上がりたがらない。
後者の場合は、スロットルもどして1〜2秒したら焼き付いたり、信号待ちしていざ発進するときに、やけに進まなくてナンジャコリャとなる。何よりも直前まで高速度走行を重ねており、そのエンジンの熱風が体感できたりもする。


焼き付き症状の場合、一種の金属火災であるので、乾いた煙が、アルミ焦げ臭い。
オイル過多で止まる場合は逆に、しめっていて、オイル臭い、煙が白い。


…以上、雑多な情報をそろえてみたが、詳しくはググって調べてくれ。
キーワード:戻し 焼き付き 2スト


途中で出てくる「ある焼き付きやすいスロットル開度で固定すると、故意に焼き付きが起こせる」というのも、車種や、ジェッティング状態による、個体差の話。
スロージェットの変更、スロー調整バルブを純正開度よりも開けてる、
ニードルを変更している、などで、そういうデンジャラス開度ゾーンが出てくる場合もある。
レーサーモデルにはアイドリング系統がないから、全閉=ほんとうの全閉であり、オイルを断たれやすい。限りなくギリギリの薄気にジェッティングするので、燃焼室冷却が弱くなり、最高回転最高速付近でも焼き付くことがある。


『ゆっくり戻しで焼き付く』モデルや現象があるが、これも水冷とかケースリードとかいったスポーツモデル系の症状という気がする。急に全閉にすると速度も回転もどんどん落ちて熱は減るが、徐々にみみっちく戻すとエンジン作動熱は急には減らないのに燃料が徐々に減ると。熱>燃料の比率がひどすぎると冷却不足と内部乾燥を起こすと言うこと。あるいはゆっくり戻すことで『デンジャラスゾーン』に長い時間スロットルをおいてしまう、場合もあるかな…たいていはスロー域(パイロット域)だろうけど…自分でジェット変更したりバルブ開けたりと。


…ほんとうに色々あるよ、知っても知っても終わらないよ。


2013/09/19追記
そろそろ72000km。
変化なく走行してます。常人ならあの当時にとっくに廃車してたね…
2013/10/04追記
いきなり異音…クランクシャフト側…めずらしいな普段ナットが緩むとすれば二次側だけど。
家まで15km押す(平均時速5km)…決してこれ以上エンジンを動かさない。帰宅後点検するとやはり一次のナットゆるみ。
スターターギヤのカバーにフェイスが当たった後があるのでこれで一気に緩んだのか。
確かにこれまで一次ナットはゆるめにつけてたけどリード100の4万kmとリード90の7万kmで緩んだことは一回もなかった。まぁもう距離も伸びてるし点検はこまめにやろう。そろそろクランクケース開ける工具は常備かな…
クランクシャフト端がやばかった…ゆるんだフェイスがもう少しで切り欠きを削って二度とはめられなくなり廃車になるところだった…だから異音が出たら家まで持って帰る。絶対に動かさない。フェイスは少しクランクケースを削ってた。
さすが普段からロードスポーツ仕様のミニベロを山間部やバイパス道で乗り回してるので、90kgの車体を押してもぜんぜん息は切れないし心臓も余裕だし坂道もすいすい。普段の歩行とペースに大差ない。登坂では自転車の激坂ダンシングと同じ。むしろ勢いつけてポンポンと上がっちゃう。
リード100を秩父の山中R299でエンジンブローしたときが最悪で自宅まで35km。16時発、日高21時、川越市街0時、荒川で仮眠とって7時に蓮田、みたいな地獄バイク押し修行。
このエントリーを書いた半月前の12/5にも小平でベルト切れで30km押して青梅に帰ったが、あれは平地が多くてラクだった。
…もしかすると、オイル下がりでクランキングが重いのと、バッテリー老衰でキックオンリーなので、段々とナットが緩みやすいのかも…何百回もキックで始動してると段々と。
なんかPCXは新車が普通に緩むらしいね、最近のは改良されてるかなあ。http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000097113/SortID=15830631/
なぜロックナットにしないのだろう…


 ◇


ウエを知る者なら、わかるだろうが…
「逃げるのはいい」


問題は、
逃げるに値するだけの、『ウエとしての騎士道的責務』を果たす=シゴトをする
…か否か、であろう。
いわば、大将や幕僚が守られるのは当たり前で
換えの効かない特殊部隊員がサバイバルに全力を注ぐのも当たり前で…


逃げただけでオシマイ、その後なにもしない、では
職権乱用で逃げて身の保全を図った『だけ』であろう…



実際、死体片付けの毎日で発狂寸前の自衛隊員数名が現場逃亡により処分されている。
あとはこうした個々のケース毎に、司法なり世間が情状酌量とみるかどうか、でしかない。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20111226-OYT1T01409.htm
保安検査官逃げ回り・東電は子会社任せ…事故調


報告書によると、東電の事故対応を指導監督する立場の検査官は3月12日早朝、4人全員が現場を立ち去り、約5キロ離れた対策拠点のオフサイトセンターに戻っていた。放射線量の上昇により、屋外の防災車の搭載電話が使えなくなったのが理由とするが、中間報告は「東電の回線など他の手段で状況報告は可能だった」とみている。

13日朝には、海江田経済産業相から炉心への注水状況を監視するよう指示を受け、検査官4人が原発に入った。だが、対策本部のある免震重要棟の一室に閉じこもり、東電社員から資料を受け取るだけだった。14日午前11時過ぎには、3号機が水素爆発を起こしたため、身の危険を感じ、同日午後5時頃、上司の明確な了解がないまま同センターに引き揚げた。

 菅首相が東電本店に乗り込み、東電社員に「逃げてみたって逃げ切れないぞ」とまくしたてたのは翌15日早朝。その前に検査官らは退避を終えていた。事故調関係者は「検査官は職責を果たさず逃げ回っていたも同然だ」と批判する。

 一方、原子炉の冷却で重要な役割を果たしたのが東電の子会社だったことも分かった。

 吉田昌郎所長(56)は3月11日夕、全電源喪失の事態を受け、1、2号機への消防車による炉内注水を検討するよう指示した。だが、消防車の活用はマニュアルになく、同原発の「発電班」「技術班」などはどこも自分の担当と考えなかった。

 同日深夜、1号機の危機的状況が分かり、12日未明、消防車による注水を準備した。しかし、消防車を操作できる東電社員はおらず、下請けの子会社に頼らざるを得なかった。東電社員の「自衛消防隊」もあったが、ホースの敷設なども当初は子会社社員だけで行った。

 放射線量が高まる中、子会社は一時、作業に難色を示したが、東電の強い要請に応じた。2、3号機でも注水作業を担い、3号機建屋の水素爆発では3人が負傷した。


…について、画像掲示板ふたば2chan.net@発電でのレス

無題 Name 名無し 11/12/28(水)19:25:26 No.406680 del

福島市郡山市の住民を移動させる資材も手段も方法も
ゼロだったからな、当時
情報統制してパニック鎮静化がベストだったんだろ

知識や情報、行動力あったやつは全員逃げた