先従隗始・温故知新

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なんでもかんでも「なかったこと」てのはさすがに見苦しい…

あまり格差をもうけたくないけど
中国相手の、南京大虐殺うんぬんのみならず
米国相手の、バターン死の行進うんぬんすら…
アメ相手はまずすぎだろう…


おそらく今みたいに、いやテレビマスコミ全盛期より、さらに情報が広まらない時代、通信による意思疎通も困難…
戦線拡大の世界大戦期は、ひとつの事件にしても広範囲でそれぞれ別働隊が、異なる実態の元に動いていたはずだ。
それをツイッターどころか、写真一つ証拠に残しにくかった時代。


様々なソースを検証してみても
あったんだという陣営は、ほんとうにあった場面をことさらに取り上げ
なかったんだという陣営は、ほんとうになかった場面をことさらに取り上げ


…何のことはない、原発事故後の(一部)右翼の原発擁護と、左翼の原発批判の構図と、いつもいっしょなのだと。


両方の主張を聞いた上で、ほどほどのところに事実かあるんじゃないかと思っておく…
のが無難そうだ。


いかなる政治勢力歴史学にも関与のないフリーの身分として言えば
日本はそもそも、世界大戦を仕掛けるほど『資源の余裕』がなかったのがそもそもの間違い。
バターンにしてもそれで飢餓や傷病治療不可能という事態を招くしかなかった。
軍部がいい加減な兵站を計画したり資源の現地調達命令を繰り返したというのは有名な話で。
そういうこともかなり熟知した上で、戦争を仕掛けるべきではないと説得した軍将校も多かったわけで。
十分な物資もないのに占領すれば捕虜や現地民にろくな扱いもできず、もし負ければ法外な請求をふっかけられると…
いわば戦前の日本軍部は民主党みたいなところがあったように思える。
右翼も左翼も、利権抗争では公務員も政党も「盛る」から、実際より多く盛っても当時の証拠はほとんど存在しない…


そういったダーティな現実諸々を含め、
日本軍はあまりに現状認識にスキが大きすぎた。
南京うんぬんやバターン某の事実関係以前に、
戦中の陣地処理から戦後補償を含めてあらゆる「戦争に最初から負けていた」


アメリカは今と大差ない豊かな暮らしを当時からずっとしていた。そんな国に貧しい日本が戦争を挑めば、
最高級ベンツにカブで突撃するに等しく、いくら事故補償したって足りない…破産だ。
しかも金持ちで苦労知らずだから、歩かせたり腹を空かさせたらいちいち体調不良だの後遺症だので大変な補償が追加されよう。
「日本は、日本の美徳なりにごぼうをたべさせてでも」などと言い訳したって通じはしない。


日本が世界全部を征服できたら、すべて日本流をごり押しできるが、とてもじゃないがそんな実力はなかったんだから、『完全な負け組』だ。
大戦中のグアムにしても米軍のそれより日本軍のは一段以上レベルが低かった…NHK検証番組で映像入りで見ていてもわかる。
アメリカ世界帝国の、今のグアムの地位より今の日本の待遇のほうがはるかに格上なのだから、まだずいぶんと敗戦国にしては恵まれすぎている。無理にベンチャー社長をやっても潰される運命だった日本は、社畜の上級クラスぐらいがせいぜいだし、似合ってるといえよう。


現代、つねに英米NATOなどの動きや戦略を見ながら生きていると
いかに日本軍が、かけ声倒れで、実際はろくに機能できない理想倒れだったかがわかる。やはり民主党だし、最近の自民党も大差ない…結局そうした政党の小ささが日本民族の実態・器そのものをよく表している。


・辰巳の人生観や国家観を知る上で「尚武の気風」が残る佐賀時代は、
やはり欠かすことのできない精神の軌跡である。
彼は1895年、佐賀県小城町に生まれた。


本間雅晴は辰巳にとり、武藤信義と並んで陸軍内でもっとも尊敬する軍人であった。
本間はかつて英国陸軍にも配属勤務したことのある俊英である。
英国の元駐日武官、フランシス・ピゴットは、
「かれの強烈な性格、卓抜な才能、曇りのない誠実さ、それに完璧な英語の知識の故に、
イギリス軍部はかれに特別の関心を抱いていた」
と賛辞を贈っている。


・辰巳は同じ英米派として、本間のあとを追うように駐英武官や欧米課長をこなすようになる。
しかし、本間は敗戦の昭和21年、「バターン死の行進」の責任を負わされ、
戦犯としてフィリピンに死す悲劇の将軍でもあった。


・1936年、41歳になった辰巳栄一中佐はロンドンの駐在武官に抜擢された。
辰巳は密命を帯びていた。
日独防共協定に強硬に反対していた駐英日本大使・吉田茂を説得することだった。
辰巳は頭が痛かった。
彼自身も協定に必ずしも賛成ではなかったからだ。


吉田茂の外交観は、もちろん単純な反戦思考ではない。
あくまでも、実利的な現実主義に基づいている。
鉄血宰相ビスマルクの言葉のように「戦争は誰と組むかで勝敗が決まる」し、
孫子の兵法なみに「戦わずして勝つ」ほうがなおよいはずだ。