先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

米の計画(予想):阿倍野ホットケーキミックスバブルで一儲け>日本をリセッションさせポイ捨て、先進各国陣営を適度に同時並行でリセッション(日本がドミノの一番先頭)


どう考えたってそういう感じの思惑で仕掛けた爆弾だもん…ああいうのに魔術的手段であやつられてる傀儡の人々ってみんなやたらハッスルしててすごく陽気なんだよ…魔術による傀儡効果には麻薬的な躁病作用がある。目が眠たそうだったり泳いでいたり、何を言ってあげても上の空のへらへらで、変な気配を放ってて…

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2013年04月05日00:00
バブルの足音


 バブルの頃と今の人ではどちらが豊かだろうか?バブルへGOの映画なんかを見るとよくわかるが、あの時代に携帯電話みたいな便利なものはなく、あっても自動車電話みたいな高額料金を請求される電話ぐらいなもので、一般人はせいぜい公衆電話での待ち合わせしかできなかっただろう。そして携帯でカメラも取れたり動画まで取れる便利さは当時には考えられなかったものだ。
 今現在お店で売っている普通のパソコンも、おそらく当時のスーパーコンピューター以上の処理能力を持っているだろう。バブルの頃に現在のパソコン並の能力を持つスーパーコンピューターを作るとしたら、何十億何百億と費用がかかっていたかもしれない。言い換えれば、不景気と言われているらしい現在に生きている人は、当時の人が何十億何百億かけても実現できなかったであろうスーパーコンピューターを普通に使っているとも言える。


 バブルの頃は、おそらく50インチのテレビなんて夢物語の話だったのではないだろうか?ブラウン管で50インチとなれば、普通の部屋に設置することはまず無理だ。しかし、今は液晶テレビのおかげで50インチテレビが格安で誰でも手に入り、普通の部屋にも簡単に設置できるようになったし、今や一家に一台ではなく、一部屋に一台のテレビが当たり前になっている。これに加えて録画機能もVHS時代と比べて格段に進化していて、しかもハードディスクなど格安で誰でも買うことができる。
 エアコンも今やインバーターは当たり前。バブルの頃は普及率70%程度だったのに、現在は90%ほどになっている。更に一部屋に一台のエアコンがある住宅も当たり前と言えるほどに増えている。
 インターネットのおかげで、今や新聞や雑誌を買わなくても情報を得ることが容易になっていて、今まで知ることができなかった様々な情報を一般人が携帯やパソコンで得ることができるようになっている。
 いろんな面を比べてみても、バブル当時の人では決して得られなかった豊かな生活を今の人は得ることができている。バブルの頃に50インチのテレビを見ている金持ちがどれだけいただろうか?携帯しているのもせいぜいポケベルぐらいなもので、メール(手紙)を好きなだけ送ることも当然できない。よくてポケベルの合図で電話を相手にかけるぐらいな感じだろう。


 新幹線も速くなったし、駅もIC化されて便利になった。空港も当時と比べて使い勝手も良くなったし、移動時間に暇潰しのための様々なサービスも充実してきた。住宅の性能もバブルの頃と比べたら気密性に優れていて、しかも値段も当時と比べても安く建設できるようになった。


 最近よく聞く不景気不景気とのお経みたいに言われる単語は、いったい何と比べて不景気だと思っているのだろうか?現代人はバブル時代よりも豊かな生活を送れているはずなのに、何が不満で不景気だと言い張っているのだろうか?


 高度経済成長期はインフレだったから、だからデフレからインフレにすればあの頃の日本経済、つまり年率10%もの経済成長ができるとでも思っているのだろうか?頭の悪い世間知らずの経済学者や自称経済通の経済評論家みたいな連中の多くは、なぜかデフレを問題にしてインフレにすると何もかもがパラダイスになるかのごとく語る傾向にあるが、じゃあこれ以上何を望むのだろうか?まさかインフレにすると日本人全員が大富豪になるとでも言うのだろうか?それとも高度経済成長期みたいな一億総中流という幻想を抱くことができるようになるとでも言うのだろうか?


 そしてデフレで何か困ったことがあっただろうか?インフレと言われていた時代でさえ耐久消費財の価格は暴落し続けていたし、これはデフレと言われている今に始まったことではない。大学初任給1万円の時代に14インチの小型テレビが20万円していたことがあったそうだが、今は初任給20万円の時代で50インチのテレビを10万円程度出せば買える時代になっているほどに値段は下がり続けてきた。言い換えれば、それだけ豊かになったのに、それでも不景気で豊かではないと思い込む。そしてそれをデフレのせいだと考えるおかしな主張がかまびすしい。
 そもそもデフレ=不景気と誰が決めたのだろうか?デフレ不況と意味不明な単語を言い放つマスコミの言とは裏腹に、一般人でも普通に50インチ以上のテレビを持っていたり、バブル当時ではスーパーコンピューターに分類されるほどに高性能なパソコンを子供が普通に使っていたりする。これだけ豊かになっているのに、デフレ不況とやらでみんなが苦しんでいると言い放つ。


 上を見続けたらキリがないのは説明するまでもないが、超大金持ちがあれだけ豊かな生活を送っているから、自分は貧乏で苦しんでいると思い込んでいる人もいるだろう。しかし、そんなことを言っていたら半永久的に不況だと思い込むことになって、その対策をしろと政治家に要求する世論が形成されていくことになる。


 デフレで誰が最も困るのか。厳密に言えば元金が減らない借金を抱えている人だろう。逆に言えば借金のない人にとってはデフレは何ら問題はない。そして借金を抱えている人も、それが適正ならデフレでも何ら問題はない。問題なのは、身の丈を超えて借金を抱えてしまっている人や組織であり、それが今の日本政府だろう。
 しかし、経済学かなんかの理論なのかどうかはよくわからないが、そういうものに洗脳されている人間ほど扱いにくいものはない。過去の失敗を無視して都合のいい理屈だけを持ち出して、金融緩和を肯定してインフレ理論を持ち出してくる。そして政治の方でもネズミ講社会保障の限界が見えている中で、最後の砦であるかのごとくインフレ理論を信じ込んでいくようになっていく。少なくとも自分にはそう見えてしまう。
 これが今となっては日銀がインフレ派(本人たちはリフレ派と呼んでいる)に占拠される事態になってしまい、結果として昨日の発表につながったのではないかと個人的に想像している。破綻確率100%のネズミ講社会保障を抱えている政府にとっては、インフレでも何でもすがりたくなり、本当にやるべき改革を無視して目先の利益を追いかけていったのではないか。そしてこれが終わりの始まりを早めていくのではないか。なんてことを考えたりもする。


 80年代後半にデフレに陥りそうになり、それを防ぐために金融緩和をやったら超巨大バブルが生まれて日本は苦しんだ。2000年代前半にデフレに陥るのを恐れたFRBが、物価だけを気にして安易に金融緩和をやったせいで住宅バブルと言われる現象が起きてしまった。これらは物価だけを見て金融政策をやったことによる失敗だと思っているが、その失敗をもう忘れているかの如く日銀が超金融緩和を発表してしまった。


 1年でマネタリーベースを60兆だか70兆増やし、2年後には総額270兆円に達するらしい。しかも、国債はもちろんのこと、株(ETF)や不動産投資信託(REIT)も買いまくるつもりらしい。直接金融市場に大金をつぎ込めば、当然バブルになっていくことは想像に難しくはない。規模は不明ながら、もはや2年で2%のインフレにする不退転の決意が見えてくる。これで国民が豊かになるとはお世辞でも思えないが、とりあえず目先の景気は資産市場を通じて上向いていくだろう。
 目先バブルにするだけなら簡単だ。ETFとはいえ、直接株を買うことに違いはないし、REITを通じて不動産市場に大金を流すことになる。これで何が起こるかと言えば、株価の暴騰と不動産価格の暴騰だ。
 不退転の決意を持って、物価だけを指標にして金融緩和を行うことから、バブルの芽が出ても関係なく金融緩和をやっていくだろうから、これがどんどん膨張していく。すでに不動産はリーマンショック後の2009年初頭に底をついていて、あの当時と比べて商業地の一等地はリーマンショック前の価格にすでに戻っているが、これが次第に一等地とは呼べない場所にも波及していくだろう。というよりも、個人的な感覚ではすでに都心のまとまった土地で容積率の高い場所はかなり値段が高くなっているし、都心5区の商業地では融資姿勢が明らかに緩くなっている。
 もちろん、80年代のような普通の住宅街までもが暴騰するとは正直思えない。せいぜい駅に比較的近い場所や、地方なら県庁所在地の一部が上がるぐらいだろう。あの頃のように、松濤みたいな普通の住宅街が一坪5000万円なんてことになるとは思えないが、人の心理は時として予想を大きく超えていくことがあることは否定できないから、正直なところはわからない。


 株に関しても、購入規模によっては日経平均2万円なんて生ぬるいレベルで止まらずに、3万4万と上がっていく可能性がないとは言えない。あれだけのコミットメントをやって金融市場を煽れば、これはバブルが起きるとみんなが予想して強烈な上昇を生み出すことになる。

 とりあえずバブルが起きている間は大きな問題は起きないし、みんなが瞬間的に幸せになるだろうと想像する。とくに不動産関係で働く人の収入は恐ろしく上がっていくと想像する。金融関係者の給料もおそらく上がっていく。人手不足がひどいのに、アベノミクスとやらで公共事業費が膨らむであろう土木や建設関係者の人の給料も上がっていくと予想する。
 まるで80年代後半のバブルを思い出すかのような状況が起きる気配であるが、これは物価に火がつくまで続いて行くことになることが予想される。何しろ物価だけを指標にして金融政策をやっているのだから、物価がデフレのままならバブルによって起こる好景気が続いても、更なる金融緩和を続けていくことだろう。


 問題は本当に物価に火がついた時だ。バブルの頃は長期金利が7%ぐらいにまで上昇したらしいが、あの頃は銀行が国債をほとんど持っていなかったから何ら問題は発生していなかった。しかし、今は莫大な量の国債を抱えている。そのために、長期金利が上昇していくと、預金金利も上げざるを得なくなって固定金利国債を持っていると逆ザヤを生んで莫大な不良債権が生まれることになる。
 市場も物価が上昇し出すと、今度は日銀が金融引き締めで国債を売ってくると予想されるから、当然長期金利が上がっていくことになる。日銀も物価だけを指標に金融政策を決めているから、国債が暴落しようが買うことはできない。すると、今度はバブルが崩壊して金融恐慌になっていくことになり、今まで天国だったバブルのお祭りが、今度はその後始末をしなくてはならなくなる。
 国債が暴落すると、当然円も売られることになるかもしれない。何しろバブルによって物価が上昇していたとしても、国債を買い支える金融緩和を続けなければ銀行が倒産して世界恐慌に発展するかもしれないからだ。預金封鎖して国民の預貯金を没収。そして国債と相殺させて借金を有耶無耶にして金融機関も救う手段を取る可能性も否定はできないが、これはこれで銀行への信頼がなくなってしまうために金融システムは崩壊してしまう。結局一番安易な方法で問題を解決すると考えているが、いずれの可能性も一応は流動的に考えなくてはならないだろう。


 最終的に行きつく結論は、バブルとバブル崩壊。そしてその後の処理によって起こるであろうハイパーインフレだ。


巨大バブルが発生して物価がかなり遅れて上昇し出したとしても、株や不動産は一時的に暴落しても更に上昇を続けていくのではないかと想像する。何しろ国債が暴落して金融システムが崩壊して国家破産が起きるぐらいなら、インフレが発生していても国債を買い支える金融緩和をどんどん続けていたほうがましだろう。そして極論すると、最後は円そのものが崩壊してドル経済圏と日本がなっていくかもしれない。


 決してこれは大袈裟なことではなく、価値が崩壊する円なんて不便な通貨よりも、価値がある程度保たれる通貨を店側も要求していくことだろう。日本円で物を買う場合は、ジャパンプレミアムみたいなものがついて、価格がドルで買うよりも3倍もするなんてこともあり得る話だ。しょせんはその時の人の心理によって今と違った状況が流動的な可能性で生み出され、様々な方向から最終的に一方向に向かうと思っている。そしてその一方向は、結局ドルではないかと想像する。


 バブルは一時的には気持ちはいい。よく麻薬に例えられるが、その麻薬を日本人が欲しがっているのだから仕方がない。政治家も国民も一時的快楽を追い求めて、楽して安易に良くなることしか考えないキリギリスの国民性は、一度地獄を味わわなければ変わることはなさそうだ。


 いかに個人個人が稼ぐ努力を惜しまないような制度設計を作るのではなく、国家の力で景気を良くしてやろうと思い上がっている社会主義政策をやって、楽して世の中を良くしようなんて幻想が生み出していると思われるインフレ政策(社会主義者達はリフレ政策と呼んでいる)。そしてバブルが崩壊したらしたで、これは資本主義の失敗とか新自由主義の崩壊とか、呆れを通り越したわけのわからない言い訳を社会主義者達が叫ぶだろう。キリギリスと化した国民性は、もはや過去の貯蓄を食い潰して崩壊に向かっていくことにすら気づいてはいない印象である。


どうせなら、今度のバブル崩壊は『徹底したどん底』のものであってくれ。でないと無反省がまた再起動してしまう…それこそシャアの隕石落としどころではなく、(スピグラ)水天宮さんの陰謀が成功した最終回みたいに。
日本だけはなぜか不思議な奇跡の神通力で助かってしまうような甘っちょろいことでは結局、日本を子供のように甘やかして、つらい現実から遠ざけて、危機管理も困難対処も出来なくしているに過ぎない…神の優しさも、悪魔のチヤホヤも、時には害となろう。


人間は19世紀まではたいしたことは出来なかったから、今のような低レベルの支配機構で良かったのだ…
だがいまや原子炉もマネーも知識もネットも洒落にならないぐらい発展してしまった…大それたコトがいくらでも出来るようになったので、旧来の支配機構や、個人個人のモラル意識では、対応も、いや理解すら、追いつかなくなった…人類にとって最大の脅威は人類という怪物になってしまったのだ。

これを科学的に説明すれば、
19世紀までの人類は人類<自然科学だったので、自然的にあるていど野生と自分勝手でふるまうことができたが、
昨今の人類はすっかり人類≧自然科学、という思い上がりが”常に”出来るほどになってしまったため、これまでとは「悔い改め方を悔い改め」ないと、簡単に人類を滅ぼす結果を呼び込みかねない怪物と化した。

これはバイオスの書き換え作業に似ている。たった一回のデータ焼き直し作業が、もし失敗すると二度とその基盤ではOS起動できなくなる…だがBIOS書き換えをしないと動かないソフトやデバイスがあって後戻りは出来ない。


以下のような強引なデマを真実に化けさせる手口で、政府というのは何も日本でなくても行ってしまいがちだ…アベノミクスバブルだって原発再稼働だってそうだ。黄色やピンクのカラスがいると言い始めたら聞かない。…もうそれではもたないよと、いう事実が顕在化した時代なのだ。自然科学と謙虚に向き合って人類を導いていく姿勢でないと。もうなんでもかんでも人間都合で進められる立場ではない…いろいろゲットして神に近づいた人類は神同様に振る舞うしかない、我慢を強いられる立場に置き換わったと言うことだ。

 今回の遠隔操作で逮捕された片山さんの話で言えば、黙っていても検察がその気になれば起訴して有罪にすることができるんだから、遠まわしに早く自白しろみたいなことを水庫(みずくら)検事が脅していたそうだ。警察が取り調べでよくやることは、今罪を認めれば刑が軽くなるみたいなお決まりのやり口だと思われるが、そうやって自白という形の証拠を作り上げて犯罪者をでっち上げる。こうやって冤罪を沢山作ってきたのが日本の現状で、猫に首輪をつけたとされる人物に関しても同様で、証拠を積み上げることなく片山氏をとりあえず逮捕して、あとは自白に追い込んで事件を解決させればいいみたいな感じで始まったのが今回の冤罪事件だ(ただし確定はしていないことが、状況証拠から個人的な主観では冤罪の確率はほぼ100%)。
 2秒で300字を打ち込むなんて不可能だと最初は言っていた明大の学生に対しても、最後は精神論的に一心不乱に打ち込んで書き込んだんだと、犯人であるかのような証拠を検察がでっち上げて、これで事件は解決したとして起訴して有罪に持ち込む。これが今の司法全体の病理でもあるだろう。すべてとは言わないが、検察のストーリーで犯罪者をでっち上げて裁判官がこれだけを信じて有罪にする。
 高知白バイ事故についてもバスの運転手が禁錮刑を喰らってしまったそうだが、これは送迎バスに乗っていた生徒達の証言を一切採用せずに、検察のストーリー(同僚の白バイ隊員の証言)だけを裁判官が信じて起きた悲劇だろう。止まっていたバスに高速で突っ込んで勝手に死んだ白バイ隊員の自業自得のはずが、罪人をでっち上げられてしまったのだ。
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栃木県警小山署の巡査長も、盗難MTBの被害届受理について
「なんだっそのマウンテンなんとかって…ばかやろうそんなのおまえ以外は誰も知らないんだ!自転車って書いておけばいいだろうが!」と学生当時の俺を怒鳴りつけた。後日に犯人を駅前で張り込んで発見して逮捕しておなじ交番へ連行した際、もっと若い警官が二人いて「ああMTBね、いいよねーあれ」などと同調してきたという…苦笑 しかも「あのじいさん巡査長?あのひとはねぇ…無理もないや」と同情までされてな…そういう高卒連中が警官なんだよ。