先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

今は昔 今は逆


かつて日本は幕末において「清朝のようになるな」が起爆剤であり燃料だった。
それほどに、眠れる獅子だったはずの中国はボロ負けしてイギリスほか各国の食い物になっていた…
王朝の瓦交換に国費の大半を費やす伝統…軍艦増強や近代軍隊整備は却下…清朝軍艦に乗った日本勢の落胆「軍艦は新型なれど中身は未だに清朝


だが


いまは立場が逆だ。
敗戦で日本は西欧側にコントロールされる立場…悪い面ばかりではないにせよ。
中国や北朝鮮は日本軍を参考にして、いかに西側に操られないかを頑張っている。

◆太田尚樹『日本人と中国人はなぜ水と油なのか』


・日本は鎖国中であっても長崎出島を情報の窓口にして、
西欧事情や文明に対する興味を持ち続けた。
人々は、とくに幕府の上役あたりは想像以上に、西洋のことを知っていた。


・1862年、幕府の貿易船千歳丸に乗って上海に渡った高杉晋作が見たものは、
阿片戦争のあとの中国に押し寄せてきた西洋文明の嵐だ。
そして自分たちがかじった西洋の知識が、いかに未熟なものであったかを痛感することになる。


・高杉やほかの幕末の志士たちが、
「これではいかん。このままでは日本も列強の食い物にされてしまう」
というわけで、奮起する気になった。


・事実、その後いち早く西洋化していった日本は、中国の轍を踏まないように注意した。
とにかく外国に付け入る隙を与えてはならない、と。
そのために若き天皇を守り立て、富国強兵をめざし国論をまとめていった。