先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

おかげで医療現場の用語をだいぶ覚えた。郵便物が届いてから3時間ほど、目の前が工事現場でうるさい中だけど、調べ上げたわ。ただのCHOPじゃなかったわーよく生きてたわ。一度劇的にrelapseしたおかげでA-BMT検討は中止されchemoオンリーに変更されたので健康を損なわず寛解。side efectのため軽度脳症になったのかサヴァン傾向が出て今に至る。
ネットがなかったら一人じゃ何も調べられなかったね。そして、ある程度賢くないと独学は無理。

kasumin777 Sep 14, 12:15pm via HootSuite

いやぁシステムエンジニアやっててよかった英語論文とか専門用語読解し放題…RI治療歴あるからサマリー取り寄せて解析中、予想よりおおかた読解できてるWEBさまさま。2年の入院闘病の思い出がサマリーで甦り(嗚呼中曽根時代)、治療記録により理論補強される。字の汚さも医師同等w

医師レベルでわかるように言うと
日本でまだ未承認(一年後に国内販売開始)のVDS併用の当時NIHで発表されたばっかりのプロトコールが通用しなかったらとっくに死んでたレベル。保険適用外になったせいもあるのか治療費は全額国費。
おれも含めた「統計」がその後のエビデンスを肯定させた感じ。一年後に承認というのもあるいは治療実績が絡んだかもしれない。
基本、非常に長年生存率の悪い疾病。いかなステージ1発見とは言え生きてるのが奇跡。http://www2.plala.or.jp/oniwa-kokko/saibousin/sinkouki-bunrui.html


…サマリー読解代行やろっかな…職権責任は持てないけど。
ご希望の方はコメント欄からどうぞ。プロじゃないので無料ですが、プロじゃないので告げた内容に責任は持てませんのであしからず(補完のため医師にも聞いてください)。


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何の因果か地元なんだわ。

http://h-a-hide.com/
埼玉店 K'Palette


http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY201309100526.html
がん患者の髪、輝き再び 「再現美容師」がサポート

写真:「再現美容師」として活動する毛内英克さん=さいたま市大宮区拡大「再現美容師」として活動する毛内英克さん=さいたま市大宮区


 がん治療で髪を失った女性たちをサポートするため、さいたま市大宮区で美容室を開く毛内英克(もうないひでかつ)さん(46)が、「再現美容師」として活動している。髪を取り戻し、少しでも悩みを和らげたいと願う。

 毛内さんが取り組むのは、抗がん剤治療などの影響で髪が抜けた女性たちを対象とした、ウィッグ(かつら)を使ったケアだ。ウィッグは、フィット感やヘアアレンジを患者それぞれの好みに合わせるセミオーダー。以前の姿を自然な形でよみがえらせる。

 きっかけは、身近な人との別れだ。2011年には、美容師の道へ導いてくれたいとこが、その前年には美容師の師匠が、相次いで肺がんで亡くなった。

 「美容師として、できることは何だろう」。そう思い悩んだときに知ったのが、美容師らによるがん患者支援のNPO「日本ヘアエピテーゼ協会」(東京)だった。かつらのケア方法を学び、12年から同協会の埼玉支部をスタートさせた。

 美容室の仕事の傍ら、県内の病院に赴き、同協会のウィッグの良さを説明して回った。あくまで支援活動のため、かつらメーカーの相場が数十万円のところを、12万6千円と価格は抑えめ。1年間は無料で手入れをし、自分の髪が生えるまでサポートするという。


関連エントリー
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20131006/1381040729
大塚キャスターは、無理をしすぎたため再発relapse


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まぁとりあえず、リンフォーマケモセラピーでメジャーなHDMTXロイコボリンレスキューですが
いつもブレックファストが朝マックとか食パン一枚で効果が見られないときは、HD-SYK・YGNレスキューですよねー
昨晩の残りの焼肉の大量投与+Yマザキ具たっぷり肉まん療法。
こんなの日本の医学常識。でも世界医学の非常識。たしかどっかの芸能人一家も慣例的に朝飯がパワーフードだとか…カレーとか焼き肉とかステーキとか。


おおまじめに、ケモやRIに補完するがん療法に、免疫療法が脚光を浴びてるけど
漢方療法は十分に免疫療法です、効力はサポート程度だけど。無保険でも大して高くはない。


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http://www.vifam.net/
治療当時のバイファム視聴が、リンクしていて興味深い。当時の記憶も鮮明に残っている。
84年4月より後半クールスタート。6月中旬までは視ている。
中旬の34話「ククトを探索せよ」6月16日まで視聴、以後は19日より入院治療で視れていない。
バーツの義母が無理して交通事故で重体のバーツに献血するストーリーだったけど、なんの因果かシンクロニシティかうちの義母もおれの病棟看病詣でで参って肝炎起こして入院した頃。
ほかのシンクロニシティは耳の裏とエロ本か。
35話「ケンツを助けろ!」6月23日、36話「収容所へ向かえ!」6月30日もダメ。放映時間は病室で涙をのんでいた。
当時は大病院は大部屋にテレビは許可されなかった。(ナースは健康上の理由とか言っていた)ビデオデッキも普及ではない時代。
37話「囮になったロディ」7月7日は終盤だけ視た。個室へ忍び込んだかなんかで。あるいはついにキレてテレビ禁止時間帯なのだけど病棟食堂のテレビつけて視たのかもしれない記憶。
38話「輸送機をうばえ!」7月14日は視た。この頃は難治療なので個室に移送されていたからか。
39話「包囲網を破れ!」7月21日は視てない。ボンボンとBGM集ドラマ編2で補完してた記憶。
40話「ミューラァの秘密」7月28日 41話「カチュアを撃つな」8月4日はじっくり見た。外泊か個室の友人を訪問してか。
42話「パパ!一瞬の再会」8月11日は視てない。大部屋に移送されたか?
43話「奇襲作戦開始!」8月18日は視たけど、ストーリーがだいぶ展開してる(畳んでる)最中にいくつか見てない回があるので混乱した記憶。
44話「大宇宙のうた」8月25日は個室空き部屋に侵入しこっそり視聴。ウォークマンのマイクで録音。
45話「とっておきの贈物」9月1日?もおなじようにして視聴。ナースに見つかったのはテレビ消した後。
46話「いつまでも13人」9月21日は、個室空き部屋の扉が開放され『対策』された環境でどうにか忍び込んで視聴。どうにか婦長に見つからずに済んだ。これもマイク録音。
この頃からRI治療開始、開始がもっと早かったらもっと視れなかっただろう、ラッキー。
番組が終わると、入院中学生が「もう飽きたから」とバイファムプラモ全部くれたわ。遊び倒した。当時は大学病院の重病人ですら病床でプラモ作りは普通にやってて袖机を塗料で汚していたし大部屋をシンナーくさくしてた。おれもカッターでかなり指を深くバッサリ刺してしまい、最先端の医療で治療してもらったりw
こういう感じでZガンダムも前半は見てない回がいくつか。2話以降しばらくとか、「灼熱の脱出」とか。補完にはボンボン連載が頼りだった。ケモのサイクル次第で入院に当たっちゃうと大部屋なのでテレビがない。Zガンダム前半の頃は再発直後で治療が重かったので見られない回が多かった。


数年後には障害手帳もらって一生過ごすとか、治療の代償で片手片足を失ってるとか、数年後に親が死亡届出すとか、幸運にも社会復帰できるとか、そのぐらいきつい地獄の人生を送る子供らが、入院生活ではみんながそのように過ごしていたんだ。大学病院=トリアージの3次専門だからそういう一番の重病人ばかり集まっていたのは子供でも同じ。一番軽くて腎炎だったね。
ファミコンも流行前だしゲームウォッチ禁止でテレビも禁止…プラモかラジコンの製作しかやることがなかった。しかしテレコはOKなのでみんなテレビを音声だけ聞いていた。やれタッチだのマジカルエミだの。
当時の中学生入院仲間に「なぜ森口博子は紅白とかいった年末歌謡番組に出てこないのか」と聞いて馬鹿にされたが、数年後にちゃんと出てくるようになった。


バイファムBGM集Vol3を小遣いで買えたのは2年後の87年正月。
当時は1〜2クールで商品サイクルがめまぐるしく変わる現在と違い、何年でも好きなままでいる人は普通にいたし、品揃えもあった。
Vol1は級友からもらえた。
全編通して視聴できたのはLDBOX購入後。とうぜんプレーヤーもなんとか買ったわけ。成人なりたてだから金策はどうにかなった。


オタ役のキャシャーンの方は羽田の方(水門通り商店街)でたこ焼き屋してるので、ここ数年で幾度か対面。素朴にうまいよね。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80%E6%B2%B3%E6%BC%82%E6%B5%81%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%A0#.E5.90.84.E8.A9.B1.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.88


作例
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120329
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120617/1339815317