先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

自由には自由の怖さ、規制には規制の怖さ


かつて昔は、自由と言っても、やることがそんなになかった。
支配者は厳しくて当たり前、雲の上で当たり前。


近代つまり前世紀序盤はそういう時代を引きずっていたから案の定だった。


だが現代は、だいぶ事情が違う。
自由というテリトリーに、ヤクザなり産業ゴロが寄生し、それを悪用乱用し続ければ
自由の側も、じゅうぶんに脅威たり得る時代。


それら自由のリヴァイアサン・モンスターにタジタジになり、及び腰であることが増えてきた規制側…


ケースバイケースで考え
頻繁に見直しをかけないと
適さなくなった。マッチしなくなった。
審判が常に監視と判定を行ってるリアルタイム・スポーツのように。


いちど走り始めるととことん同じまんまで突っ走るスタイルはもう、権力・利権・アウトローすべてに対してユルされない…いともカンタンに人類種の存亡が脅かされるからだ。


結論:
規制が怖い存在で、自由がべた褒めされる…単純な時代ではなくなった。
ここらへんは既成概念をリセットしないとダメだ。パラダイムシフトである。


まだ90年代ぐらいは、人々も不器用でダサくて、発展途上だったけどね…
00年代以降はもう、自由を規制なしで暴走させるとどういうことになるかを実証する社会実験みたいな10年間ではなかったか?


富も、娯楽も、便利グッズも、仕事も、力も…とにかくなんでも『そろいすぎ』の恵まれすぎた時代だから
自由側、いいこと側も、いとも簡単に圧縮され、爆発のように暴走する…自由の集団や行いは脅威に化けて、いいことをしてるはずの集団が凶器となる…


いわば天秤だ。自由と引き締めの両者が互するまでになった。自由も規制もひとしく節度ある慎重姿勢で扱わないと、スプレッドする未来時代に入った。自由がすばらしいとか弾圧がコワイとか安直には言えない意味でもハイテクでハイエンドな成熟社会期に入ったのだろう。


守ることと壊すこと
残すものと塗り替えるもの


いろいろと、難しく考えないと、人類が長生きできない時代になった。
いわば、子供のような大人社会ではユルされず
事実に基づいて大人なら大人らしく運ばないと、原発事故やサブプラショック不況が代表的だが、あのような顛末が待っている…
ごまかしや誤答はユルされなくなった。シビアな時代である。


勝ち過ぎも負け過ぎもユルされず、どこまで勝てばいいのかとかいちいちつまんない考えを挟まねばならない。
ある意味で『負の劇場型社会』だ。敵だろうが弱者だろうが全員の都合を考慮せねばならない…
いわば神の立場になって考えなくてはならない。(神は食物連鎖を生み出した超天才だ)


為政者が好き勝手に社会をシナリオで動かす、正の劇場型社会ではダメなのだ。
そりゃ為政者だけにとってはオトクでおもしろいだろうが、すぐそこに待っている末路はスプレッドだ。


最近は、自分の勢力の都合だけを正義などと抜かしてごり押しすることを、順番こに談合的に繰り返す愚行が蔓延していて、非常に心配だ…
それらは全員全勢力、全体都合など考慮していない。めいめいの身勝手な『社会改悪』が繰り返され、ろくな反省も検証も行われない。


相場師のブログ・・・原発の再稼働も同じこと

http://ssoubakan.blog102.fc2.com/blog-entry-1299.html
「消費税は増税しない」と言う公約を挙げて政権を獲った民主党が、消費税を上げたくて仕方がない自民党と結託し、更には仲間はずれにされたくない公明党も巻き込んで、遂に消費税の増税が現実のものになってきました。

民主党の野田氏、自民党の谷垣氏は、共に財務相出身者です。共に消費税増税のことしか考えていない人間が話し合えば、結果は自ずから分かっている様なものでありますが、これはもうハッキリ言って「犯罪」です。

公約違反なんてレベルの話ではなく、全て財務相の思惑通りのシナリオが実施されているだけなのです。

http://ssoubakan.blog102.fc2.com/blog-entry-1301.html
人は間違いを犯す生き物でありますが、そこに気付き反省し、より良いものにしようと努力する事が出来る生き物であるのですが、反省の仕方が悪い場合は非常に不幸な結果に結びついていきます。さらに放置すると反省もせずに間違いを繰り返す人も居るものですから、どうしても社会的に規制しなくてはならないものもあります。

反省せずに間違いを繰り返すものは、大抵そこから生まれる巨額のカネに魅了されている場合が多く、規制側もそのカネに汚染されてしまっている場合は、規制もかけられずに放置されることとなる訳です。

ここ最近で最も愚かな判断をしたと思うのは、やはり「大飯原発の再稼働」であると思いますが、これは安価な電力を手に入れるためには、原発事故というリスクを無視している訳です。

福島の事故が何故に起こったのか?これが明確に解明されていないと言うのに、何を基準に安全を判断したのか?確かに電気がなくては困ると思いますが、本当に命よりも電気が大切なのでしょうか?もはや福島で起こった事は夢であったとでも思って居るのでしょうか?

ドイツでは福島の事故を見て、3ヶ月程度で原発の全面停止方針を決定し、順次再生可能エネルギーへの転換を決定しました。

原発の事故はそれほどに恐ろしいものであるとも言えるのですが、事故から1年半近くかけて日本が決断したことは原発の再稼働です。

https://twitter.com/HeizoTakenaka/status/213027085730586625
社会保障・税の改革について、民主・自民・公明の3党協議が行われている。どのようなやり取りの結果、いかなる結果になったのか、そのプロセスは全く分からない。国会審議も、「目下協議中」という大臣答弁で中身が深まらない。国会議員自身にも分からないという。前代未聞の「堂々たる密室政治だ」。竹中平蔵


ふつうマネー投資家なら原発稼働賛成に回ると思うだろうが、そう単純ではないということ。たいていの原発反対は左翼系だが右翼もいる。原発を動かせと政党と議員を脅迫したのは東電関電の労組=極左も含まれる…儲かる企業では経営と労組は一体化しているから…

どうせ不利なのは国策である原発にあらがう側だから、すでに経営と国政と労組がチーム組んでるんだから、あらがう側もヨコで群れなきゃやってられまい。

原発は科学であり、そして自然現象だ。動物のケンカ戦争のことなどおかまいなしだ。どんな阿呆がケンカに勝ってクニを私物化しようが、カンタンにその動物は滅びてしまいうる…科学や自然をナメてかかったほうが統べたら終わる。

原子力=核が初めてだ。大自然そのもののような巨大なエネルギー現象を、動物が手にしたのは。

初なのだから、これまでと同じではダメなのだ…これは数学である。
『動物 > 動物が用いる道具』、は原子力の前までであり、いまや
『核・原子力 > 動物』、逆転している…


ヒトが道具にすべく開発したミニ太陽がすぐそこにあるとしよう。いくらケンカに強い連中が勝っても、太陽を扱うのが下手だとか、扱うための知識がないとか…地球は太陽に焼かれて『死の星』となるだろ?ガンダムのソーラーレイみたいなことが地球全土に一瞬で起きる。


人間都合ではダメだ。今までの歴史のような勝敗だけで決めたらダメだ。


サルだって、知恵だけでのみエサが得られる環境で実験すると、ボスはおとなしく地位を譲り、もっとも正しく知恵を使ってエサをとれるやつに指揮権を委譲するんだ。…むろんパワーでエサを取る環境ではまた元に戻る。


サル>人類
ほんと、しょうもねえな。人類は学習能力がむしろアダになってる…過去のライブラリ記憶がむしろ誤答を招くケースが多い。
『定義 観念』をキッチリ守らせる、いわばルールというのは人類にしかない。だからこそ間違う…きっちり法律を守らせるから、間違った法律もキッチリ守らせたり、法律の抜け穴から水がダダ漏れになっている。ここいらへんは明確に野生動物に負ける。いわば制震構造。

…そう、野生動物には厳格というのがない。状況次第ではあらゆる概念がいともカンタンに後退する…そのゆる〜いフレキシブルなスタイルの、メリットも大きいと言うことだ。いわば免震構造


何かに偏る限り、それのメリットもデメリットも激しく被る…投資において、もうかる事業に独占的に関わると、儲けはでかいが、外すと大損失が起きてカンタンに倒産する…先のマネーバブルでもかなりあったハイリスク・ハイリターン事例だ。
だから野生動物方式と、人類方式で、有事対処における失敗リスクの確率は、大差ないと言うことだ。