先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

手作業楽し

『あえて手で洗濯』
夏はやりやすい。その日の下着や汚れ物を帰ったらすぐ洗って干す。


『炊飯鍋』
勤労者には自動炊飯器は捨てがたいけど
20分くらいですぐ炊けるし、
火加減仕上がり自在で、
蒸し器にもできたり、
手放せないね。ガスで炊く炊飯鍋は。
保温に頼らなくても都度、炊けばいいくらいに速い。


車両の自家整備、
山菜など採ってきて食べる、
エアコンも自分でクリーニング、


石けんケースはヨーグルトの上蓋でいいや的な自作(穴開け加工)
自分でやれることが、余りに多すぎる。
200円の石けん入れを買う前に。


食料は値引きシールのついた奴から優先で。残渣防止。


リソースの、徹底活用。


見向きもされなくなったプラモデルを、売れ筋に加工するとか。
挙げたら、きりはないね。


 ◇


それにしてもだ


株価が上がっただの
設備投資が進んできただの


「いい流れですね」と識者や報道は言うけど
本当にそれ、いい流れなのかね…


人それぞれとも言うけど
むしろ
今までがそうだったからって
こういう時代でもあってる考え方とは、限らないのでは。


効率を上げて
どんどんロボット的機械的になって
見た目の収益を増やし「過去最高益」とかいっても


もはや、未来世代からの収奪に等しいじゃない?
先細り、鎮火が見えてきた時代に
わざわざ未来から奪うこともあるまいに…
製品開発や、行政改革や、
さまざまな環境で「これは、やり過ぎじゃ」と感じてきたからね。
00年代に。


俺らが育った70年代80年代は、まだまだ貧しかった。
戦後の父母世代はもっと貧しかったが、それを引きずってた。
消費=ゼイタクで、
物持ちというのはスネ夫なんで尊敬されたり、やっかまれてた。


あの時代と同じく、無理矢理に同じく、
消費消費って…西友でホテルなみの創作パンが100円で、
しかも不人気で70円処分品になってる時代に…


ものやサービスがあふれすぎ
どこに、貧困があるというのか…
消費がうらやましくなるほど貧困は満ちあふれては居ない、今や。


甘いものにはしょっぱいもの
位置エネルギー最大には運動エネルギー最大


どこかで、転じないといけないのが、
万物流転の法則。


なのに今まで通り、消費消費…
大きな落とし穴を、わざわざ深掘りしているように見えて…



原付整備ったって
ローラーチェックと拭き掃除後グリスアップだけ。
キックの拭き掃除と注油だけ。
でも軽いキックペダルなら足を壊さなくてすむ。


ローラーすべりが見違えると鬼加速するのがスクーターですが
効果は毎日乗ってせいぜい1週間。つまり理想としては10日にいっぺん分解清掃注油するのがいい。
レースだとおそらく毎度分解注油するだろうし。


既製品の、技術や知識を、いきなり全セットで導入すると
そりゃもう自分が天才や有能になったかのようだけど


体系を、追ってない。
深い深いそれを、知るヒマがない。
応用性のない、知識倒れになる。
まるで機械やロボットみたいな、単調作業の達人になってしまう。


やはり人間は、
キリコのように、ワイズマンを拒否して破壊するべきなんだろうか。
最近ではAngel Beats!でもパクられてたけど。


自分で、石器時代から開始して
つまり業界という規模になる前の
創始者のゼロ地点からはじめてみて(ライト兄弟的なとこから)
自分自身で、体系を追っていかないと


様々な応用性、洞察力の、深みが身につかないね。


どんな豪華なハードウェアや予算を完備しても。
テレパシーネットワークをつうじてどんなスキルをも提供され、天才になれるとしても。


最新の携帯電話を持つことも
ある程度使いこなすことも
誰でもできる。


しかしカタワのユーザでしかない。


おれはtwitterが日本で知られる5年前から
似たようなのを自作して日々使ってたけどね。
たまたま欲したから。流行じゃなくて。


twitterだのipadだのと、
なんでもかんでも既製品から入る連中って
どんなもんかねえと…
広く広く世間を知らないと
世間や国家は導けないのに


学者識者、役人政治家、企業人経営者に、裏社会…
みんな、単一スキルをまっすぐ突っ走ることに夢中になってるようでね。
タテどころか一直線でさ。ほかはガン無視。


だから、ときに基礎的なことがわかってないから、
もしくは軽視無視してるから
その基礎そのものを助言してやると
「おまえは誰でも知ってるような下らんことしか言わん、あっちいけ、無能」


とどやされることがある。


…いや、あんたら
知ってても、やらないじゃん?


やらないってことは
知らないのと同じ。
どんな基礎の、簡単なことであっても。


そこが、体系的に学び、学際的に横断を広め、
孤独な求道を主としてやってきた人間と、決定的に違う。


違うだけなのに「あいつは間違い、こっちが正しい」
と、なまじ地位や名声などがあるんで、カンチガイして、断言して
世間もそっちが正しいと思い込んでしまう。
既成概念怖いねえの瞬間。


様々な考え方を、理解し、納得し、輸入会得するには
やはり横断的な、体系的な、学び方の姿勢が必須だよ。
だがそれは欧州EUや米国なら、自然とできることだが。


霞ヶ関じゃないと
創価じゃないと、右翼じゃないと
正解じゃない


なんかそういうカチコチのタテ視線では


そりゃ日本はカラカラに枯渇していくよね。


自分たちが絶対正解だと、無謬だと、思い込んで居る連中の所に
正解なんてありはしないんだから、大半の時間では。


異なる他人の考え方を、ゼロから同じことを追体験して
追っていき、理解するのが、体系的学問です。


それをやめてしまった現代人には
諸々の問題解決は不可能です。
哲学とかもそうだけど
内包する人格が、プアだから。心の中に他人を多く吸収していないと。
「あいつは理解できない、こいつも間違ってる」
しか、言えなくなる。


他人との、押し引き、問答じゃ、ないんだよね…
最初から「奴は間違い、抹殺せよ!」だから…




…テレパシー社会には致命的な問題があって
「やくざのシノギ
になってしまってる側面。
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20100514/1273763122#c111971184
以降


するとこんどは、
孤独に、自分だけを信じて生きていく、戦う、
「防衛的生活」
も、時には必要になってくる。
時には。


他人を理解し交流しないといけないけど
時に、
他人に学び、どこかに加わることが
『麻薬密売』
とおなじ汚い商売に成り下がっているとすれば
その場合限定で、むしろ回避しなくてはいけない皮肉。



 ◇


表の傀儡ボスは、必須だ。

・よい傀儡は互助、機能相互補完である。双方が公開されていることも多い。
 亭主と女房にもたとえられる。内助の功とか。

・悪い傀儡は、悪いやつらが、隠れたままで罪を逃れ面倒を押しつけ、やばくなったら逃げおおせてしまうるために、糸であやつるのみ。
 おおむね、悪の枢軸側は隠れたままで、居ることすら気づかれていない。端的には犯罪マフィアや権力悪である。

漫画家やアニメーターはブサイクなおっさんおばさんだけど
キャラクターに代理をやってもらい、輝いてもらう。

内臓はグロいから、皮膚や骨格で構成される「外見」に代役をやってもらって輝く。

見えない中身ほど、逆に重要な役どころをこなしていることが少なくない。


人には適性、天性がある。

フィットするポジションと、無理に逆のところでがんばっても、
無理がたたるばかりで向上しにくいと思う。