先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

TIPS

http://diamond.jp/articles/-/27993
宇佐美 電機業界は、小泉政権誕生前後からリーマンショックあたりまでは好況で、産業政策に関して経産省が全面に出ることはほとんどありませんでした。技術政策にしても、表面上は経産省がプロジェクトをつくり込んでいるように見せかけていましたが、大半のプロジェクトは、業界団体が経産省に持ち込んできたものをあたかも経産省が考えたように見せて、予算だけつけていたというのが実態でした。




竹内 そうだったんですか。今は、特に半導体の分野では、業界団体の陳情は受け入れてくれそうにない雰囲気ですよね。

宇佐美 リーマンショックを契機に変わりました。それまでは、毎週どこかしらの電機企業が新しいプロジェクトの提案にやって来る、陳情漬けの毎日でしたよ。最近では、陳情をあまり受け付けないということもありますが、それ以上に陳情そのものが少なくなってきているようです。それだけ電機業界の体力が落ちて、先が見えなくなってきているのでしょう。既存の業界コミュニティの取り組みだけでは行き詰まってしまうことを、民間企業・大学側も感じているようです。

私が、電機分野の国家研究開発プロジェクトのマネジメントを担当することになったのは、リーマンショックの直前です。そのため、電機業界の構造が大きく変わっていく様子を目の当たりにすることができました。振り返ってみると、先進国向け富裕層の家電市場が一気に縮小したことや、スマホを核にしたモバイルシステム向けの汎用プラットフォームが誕生したことで、お家芸だった単品つくり込みによる高付加価値家電製品のセグメントが一気に縮小して、日本の電機企業が総倒れしている状況でした。ガラパゴスの日本技術ではなくて、世界標準のプラットフォーム上で勝負せざるを得ない環境に追いこまれたんです。

竹内 宇佐美さんは陳情をばっさり切ったんですね。

宇佐美 本当はそんなことしたくなかったんですけど、時期的に仕方ありませんでした。文系出身の私が、技術政策のど真ん中のマネジメントを担当するというのは、経済産業省の技術政策の長い歴史の中でも極めて異例でした。最初は戸惑って人事にも相談したんですが、「電機業界の技術政策は行き詰まっている。お前の信じるとおり思いっきりやってみろ」と言われたので、その通り突っ込んでみることにしたんです。素直ですよね(笑)。

私には技術の細かいことがわからないため、新規性よりも、その技術が社会に与える価値を自然と重視していました。その感覚は、それまでの技術政策の担当者や、業界の重鎮と呼ばれる方々と大きく異なっていた点だと思います。当時の技術政策は、あまりにも技術的な高度性を追い求めすぎていて、産業の実態から乖離していました。これは、技術の詳細がわからないからこそ見えたことです。だから、これまでの業界団体との関係を清算して、自分の自然な感覚を共有できるパートナーを探そうと決意しました。

経産省も組織としてその決断をサポートしてくれました。茨の道で胃を痛めるような毎日でしたけど、最終的に竹内先生と出会えたことは幸運だったと思います。おかげで一緒に色々な面白いプロジェクトをつくることができましたし、とても楽しい官僚生活を送ることができました。

竹内 結局こういう変化の時代では、官側で新しいプロジェクトの旗を振る人と、民間側でそれをやりたい人がうまく噛み合ないと成功しないんですよね。業界の中で、たった一人で新しいチャレンジをしようとしても埋もれてしまうし、官僚機構だけで何かやろうとしても、プロジェクトの受け手となるプレーヤーがついて来ないと掛け声だけで終わってしまう。組織を超えた価値観を共有する人のつながりがなければ、本当に新しいプロジェクトはできないんですよ。


竹内 電機分野の技術政策は、ここ数年で市場やアプリケーションを重視する方向にグッとせっかく舵を切ったので、できればこのまま変化し続けてほしいです。

宇佐美 半導体業界も、それを囲む産業政策も、1980年代の成功モデルに固執しすぎていたところがありましたよね。
やっぱり、お金を出す側だけが変わろうとしても、研究者側だけが変わろうとしてもダメだと思います。



竹内 実際、半導体分野でも、データセンターや検索ソフトのように、これまで縁遠かった産業分野との連携が必要な研究が盛んになってきました。ただ、我々のような研究者はどうしても専門分野に閉じこもりがちで、違う分野でどんな研究が行われていて、そこにどんな研究者がいるのかということがあんまり見えないんです。まして、ベンチャー企業がどういうことをやっているのかなんてわかりません。

そういうなかで、宇佐美さんは官僚として幅広い分野の企業や大学の研究者との交流がある立場にいましたから、「この人と会ってみたらどうか」とネットワークを広げる機会をつくってくれたんです。そういうことをやる人は、役所だけでなく大学や産業界にもあまりいなかったので、とても助かりました。
竹内 一緒になる機会さえあれば、相手も似たようなタイプの人が多いから意外と話が弾んで発展するんですよね。宇佐美さんはぶっ飛んでいるように見えて、人と人をつなげるのがすごく上手なんです。人と人との関係というのは重要ですからね。スタンフォード大学に留学した時、激しい競争が繰り広げられているシリコンバレーであっても、技術以上に実は人間関係が一番重んじられていることを知りました。

宇佐美 はじめのうちは、面白い取り組みをしている研究者の方と1対1で会っていたんですけど、それでは相手の“旨味”があまりないことに気づきました。だから、1対1で一度話をして、研究内容や問題意識を理解したあとは、一気に数人を集めて共通のテーマについてみんなで話し合う場をつくることにしたんです。そのためにコーディネーターとしての技術を磨きました。

そうすると、面白い人が芋づる式に集まってくるんですよ。大きなものでは30人くらい集まって、2日間寝ないで日本の将来を真剣に語り合う合宿を開いたりもしましたね。とにかく、「みんなで一緒に日本を良くしよう」という会合を一時期連続してやりました。

竹内 官僚としては珍しい切り口ですよね。そういうことを経産省の人たちは普段しないのですか?

宇佐美 官民一体と言われていた90年代以前はやっていたみたいですけど、最近はやっていません。事務手続きが増えて余裕がなくなってきたり、官僚が政治家に気を遣って萎縮するようになったりで、官民の壁が高くなりすぎていると思うんです。

私自身について言えば、東日本大震災をきっかけに振り切りました。それ以前はあくまで官僚組織の中で、組織が決めた台本どおりに動いていたんですけど、震災を機に、役所に求められる本当の役割は何かを問い直しました。そのとき思ったのは、もう役所は民間の知恵には適わないってことです。だからといって役所が不要だと思いませんでしたし、むしろリーダーシップを持って次世代に希望を持てるビジョンを提示することも求められていると強く感じていました。

それで、さんざん悩んだ末に、これからの役所には民間の知恵を思いっきり引き出す仕組みが必要になると思ったんです。面白い人がたくさん集まって、台本もなく、大きな目標は共有して、自由闊達に議論をできる環境を整えてみようと考えました。そうしたら予想もしない凄いものが生まれてくるんじゃないかって。

当時はよく、「役所もドリフからひょうきん族に変わらなきゃいけない!」と言っていました。変化の激しい時代だから、台本を一生懸命つくり込むよりも、人が集まる楽しい場をつくって、その場のコラボレーションを重視する、っていうことなんだと思います。


ひとつ変えれば、またひとつ問題が出るのは当たり前だ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121127/240125/
自民も民主も苦しんだ「ねじれ」

 民主、自民、公明3党が来年度以降、2015年度まで予算案が成立すれば自動的に赤字国債を発行できるよう合意したことは、不毛な対立を防ぐうえで前進だ。

 とはいえ、予算の議決などを除き、法律案は原則、衆参両院の可決を必要としているなど「強すぎる参院」問題の本質はほとんど変わっていない。これまでは、自民党が単独で両院の多数派を占める時代が続いていたことでこうした問題が顕在化していなかっただけだ。

 小選挙区制導入の結果、衆院の多数派が頻繁に変わる状況になり、この参院の在り方が日本政治の深刻な障害に一気に浮上してしまった。事態打開のため、大規模な政党の再編や選挙制度の見直しが俎上に上るが、それだけでは今後もねじれ状態に直面する可能性は残ってしまう。

 根本解決のためには、「政治改革」で手つかずだったこうした参院問題、2院制の関係という問題に向き合うしかない。このことも、政権運営に四苦八苦した民主政権の経験から導き出される教訓といえる。

 平たく言えば、制度をいじることで片付く問題と、そうではない政党の強靭化という問題が失敗のポイントであり、この2点の改革を進めない限り、政治の混乱は今後も続きかねないと思う。


 多様な意見を前提に、政党間で合意形成を図るには、各政党の統治や組織運営などが成熟していないと難しい。

容易ではない「多党間合意」

 こうしたことから、1990年代の政治改革論議では、各政党内でグリップを強めることで政策実行が迅速にできることを重視し、2大政党化につながる小選挙区制の導入という選択をした経緯がある。

 民主党は成長を前提とする利益配分構造から脱せないままだった自民党の1党支配体制を崩す役割を果たした。その意味はあったものの、次の政治のステージを形作ることができなかった。

 民主の失敗は新たな政治を構築していくうえでの生みの苦しみともいえ、今後の日本政治がどんな姿になっていくのか、重要な節目を迎えている。

 政党というものは、時代とともにそれに適合する姿に変わっていく努力も求められる。

 自民党の政権奪還が有力視されているが、自由主義から社会主義的政策まで混在してきた自民党が、今の姿のまま、従来の利益配分中心から、増税などの“負の配分”を本当に実行していけるのか、疑問を禁じ得ない。

 そういう観点からすると、目指すべき社会の姿などに基づく再編が行われていく可能性も