先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

生体濃縮で群馬牛から100ベクレル超


あきらかに、次第に放射能汚染をナメ始めている日本社会(安全安心政府宣伝キャンペーンのせい)。
ちっとも危機感を抱かせないのでは、農家だってタガが緩んで当然だろうに…
チェルノブイリ事故のウクライナだって「政府が大丈夫だと言ったのに…」というトラブルは相次いだんだぞ。


我々は家畜の筋肉を食べている。セシウムカリウムサイクルで筋肉へ蓄積する。

http://mainichi.jp/select/news/20121027k0000m040095000c.html

放射性セシウム:黒毛和牛で新基準超える値検出 群馬

毎日新聞 2012年10月26日 22時58分(最終更新 10月26日 23時37分)

 群馬県は26日、県立利根実業高(沼田市)が出荷した黒毛和牛から食品の新基準値(1キロ当たり100ベクレル)を超える同190ベクレル放射性セシウムを検出したと発表した。県によると、全国で牛肉の新基準値が適用された10月以降、基準値超えは2例目。全頭検査で判明し、流通していないという。

 県によると、牛は繁殖用の14歳雌。4〜8月はセシウムを含まない輸入飼料を与えていたが、9月以降は新許容値(同100ベクレル)を下回る同32ベクレルの牧草を与えていたという。


セシウム
・雨水、地下水の流路により集まってくる
・地層や生物などが集めて濃縮する
・いかな生物もカリウムを欲するため、見分けがつかないセシウムをどんどん取り込んで蓄積する
このため、スポットによっては、30年の核崩壊半減期より遙かに長くセシウム137が減らず「環境的半減期」は6倍以上にもなっているという、チェルノブイリ周辺地域や、アメリカ核実験地帯からの、現場リポート。

http://wired.jp/wv/2011/04/05/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%92%B0%E5%A2%83%E7%9A%84%E5%8D%8A%E6%B8%9B%E6%9C%9F%E3%81%AF180%E3%80%9C320%E5%B9%B4%E3%80%8D/
セシウムの「環境的半減期は180〜320年」


セシウム137の半減期は約30年だが、チェルノブイリ付近の土壌に含まれるセシウムの「環境的半減期」は、180〜320年と算定されている。


[この記事は、2009年12月に掲載された記事を再編集したものです]


1986年に史上最悪の事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所は、期せずして、放射能の影響を研究する格好の実験場となった。事故から20年以上たった現在でも、現場には驚きが隠されている。

周辺の放射性セシウムが、予想されたペースでは消失していないことが、2009年12月14日(米国時間)、米国地球物理学会の秋季大会で発表されたのだ。

[放射性の]セシウム137の半減期(物質が元の量の半分まで崩壊するのにかかる期間)は約30年だが、チェルノブイリ付近の土壌に含まれるセシウムの量は、およそそんなペースでは減少していなかった。

ウクライナ政府が将来的には再びこの土地を利用したいと考えるのは無理もないことだが、研究チームは、セシウムの半量が周辺の環境から消失するまでの期間―–研究チームはこれを「環境的半減期」と呼んでいる―-を、180〜320年と算定している。

今回の調査結果は驚きをもって受け止められた。専門家らはこれまで、放射性同位体の環境的半減期は、物理的半減期よりも短くなると予想してきた。どんな土壌サンプルにあっても、自然の拡散作用によって放射性物質の減少が促進される、と考えられたためだ。

ストロンチウムに関しては、この考え方は妥当だった。だがセシウムには逆のことが当てはまるようだ。

セシウムの物理的特性は変化しておらず、それゆえ研究チームは、環境に理由があると考えている。たとえば土壌採取地点には、チェルノブイリ原発の付近から新たにセシウムが供給されているのかもしれないし、あるいはセシウムは地中深くの土壌にまで拡散しているのかもしれない。今回の研究チームの1人である、サバンナ・リバー国立研究所のTim Jannick氏(原子核科学)は、さらなる調査で真相が明かされることを期待している。[4号炉は事故直後、「石棺」と呼ばれるコンクリートの建造物に覆われたが、老朽化が激しく雨水が石棺の中に流れ込んでおり、原子炉内部を通って放射性物質を周辺の土壌へ拡散しているとされる(日本語版記事)]


チェルノブイリ原発事故の後、専門家らは、放射性降下物が飛散すると予測されるルートに沿って、複数の実験場を設置した。さまざまな深さから土壌サンプルを採取し、ストロンチウムセシウムプルトニウム放射性同位体が地上にどれだけ拡散されるかを測定した。この計測は20年以上続けられており、最悪に近い原発事故が環境に対して持つ長期的な影響に関して、貴重なデータを提供してくれている。

米エネルギー省のハンフォード核施設[第二次大戦中から1970年代までプルトニウムを精製。2000年には火災でプルトニウムを漏洩した(日本語版記事)]のように長期にわたって汚染されてきた地域に比べれば、チェルノブイリの影響は単純で理解しやすいので、そのデータが期待されている。

[放射性セシウムは生態系のなかで生物濃縮される(環境から生物体内に濃縮され、それが食物連鎖により増強される)。国立環境研の研究によると、土壌中の細菌のなかにも、カリウムを濃縮するのと同じ機構でセシウムを濃縮する種がいることがわかっている。

Wikipediaによると、1997年頃の調査で、この区域内の木の中のセシウム-137のレベルが上がりつづけていることが判明している。また、汚染が地下の帯水層や、湖や池のような閉じた水系に移行しているほか、雨や地下水による流去は無視できるほど小さいことが実証されているという。以下は、同ページに掲載されている放射性物質の減衰予想グラフ。黒い線がセシウム137。縦軸が残留濃度、横軸が経過年数(10000日は27.4年)]

[放射性物質を含んだ食物を人間が摂取した結果、長寿命の放射性核種(ストロンチウム90、セシウム137のような)が体内に蓄積する恐れがある。ストロンチウムは同族元素であるマグネシウムやカルシウムに性質が似ているため骨や代謝系に、セシウムは同族元素であるナトリウムやカリウムに性質が似ているため体液や筋肉にそれぞれ浸透し、そこから放たれる放射線によりダメージを受ける]


イギリス・エコノミスト誌が福島事故原発の作業員にインタビューした。日本語版は有料記事かhttp://www.eis-world.com/、たまに以下のサイトでも公開されることがある。http://jbpress.ismedia.jp/category/economist


自動翻訳はGoogleならウインドウにURLをペーストするだけ。http://translate.google.co.jp/?hl=ja&tab=wT
ヤフーならページ翻訳。http://honyaku.yahoo.co.jp/url/

英国エコノミスト日本語オンライン予告メール:10月27日号


4. Nuclear workers in Japan
  Heroism and humility (Asia)
エコノミスト紙は今回、海外マスコミとして初めて福島第一原発の事故が起きた当時、現場で事態をさらに悪化させないように献身的に働き続けた作業員のインタビューに成功した。これは東電が長らく取材拒否をしていたものであるが、実権が政府に移ったことで初めて実現するにいたった。危機的状況に直面しての日本人の心情をよく表している。


Googleとヤフーの機械翻訳を抜粋、一部修正…

彼の友人によれば、2011災害時に福島第一原子力発電所、吉田昌夫所長はそれが硫黄島上にあるもののように感じたと言います。


彼らの義務感にはあるヒューマンドラマが隠されていた。作業員5人のうち4人は地元の人でした。 彼らは家族が津波で流された可能性があることを懸念の下で働いた。 彼らはまた、上昇する放射線は、自身の村を危険にさらすということを知っていました。そして、彼らはそれを防ぎたくてたまらなかった。彼らは一緒に仕事の年から親密にお互いを知っていた。 それは彼らを行かせ続けました。


インタビューを受けた両名は、原発所長らに事故原発を放棄する意思は全くなかったと強調。(吉田発電所長の下に、吉澤らユニット所長 2 人、副所長 3 人が置かれる)



10月、日本政府による圧力の後、福島第一で直面した危険を控えめに表現したと、TEPCOは認めました。

http://www.economist.com/news/asia/21565269-meet-%E2%80%9Cfukushima-50%E2%80%9D-men-front-line-nuclear-disaster-heroism-and-humility


Nuclear workers in Japan
Heroism and humility
Meet the “Fukushima 50”, the men on the front line of the nuclear disaster

Oct 27th 2012 | TOKYO | from the print edition

ACCORDING to his friends, the man in charge of the Fukushima Dai-ichi nuclear-power plant during the 2011 disaster, Masao Yoshida, says it felt like being on Iwo Jima. That is the North Pacific island heroically defended by the Japanese in 1945 but doomed to fall to the Americans.

His two underlings, Atsufumi Yoshizawa and Masatoshi Fukura, do not portray the struggle quite so graphically. In their first interviews since the disaster, they spoke of the sense of responsibility of the so-called Fukushima 50, those who risked their lives to fight the soaring levels of radiation coming out of the plant in the hours and days after the earthquake and tsunami on March 11th last year. They were driven, especially, by a desire to protect the local communities in which many of their families lived.

Yet the Fukushima 50, despite heroic efforts, still suffer from the complex of emotions that soldiers might experience when returning from a losing battle. A sense of shame and stigmatisation lingers. That much was evident earlier in October when Yoshihiko Noda, Japan’s prime minister, called them in to thank them. It was fully 18 months after the disaster, a long time to wait to honour those who, as Mr Noda put it, saved Japan.


The men gave him snapshots of what it was like during the frantic days after March 11th: explosions that threatened to kill them; the risk of electrocution as they sought to restore power in the cold and dark; radioactive debris; nothing to eat and drink but biscuits and water. Yet what was striking was that six of the eight men present hid their faces from the cameras. Far from feeling like heroes, they took pains to conceal their identities.

Tokyo Electric (TEPCO), which owns the plant, long resisted all requests to interview these men. But the crippled utility has now been taken over by the government, which told it to allow two of them to talk to The Economist, a first. Heroism is a tricky subject in a group-oriented culture like Japan’s―all the more so when it comes to talking to employees of TEPCO, which is deeply reviled. More than 100,000 people have been evacuated from towns and villages around, perhaps permanently.

Mr Yoshizawa was one of the top TEPCO officials on site handling the emergency. He says so much was going on―earthquake, aftershocks, tsunami, three explosions, rising radiation readings―that there was scarcely time to reflect on the dangers. Mr Fukura concurs. “The circumstances were bad,” he says. “But I had no intention of dying. Everyone did their best. Dying would have meant giving up.”

Yet this sense of duty masks some very human aspects to the drama. Four out of five people at the site were locals. They laboured under fears that their families may have been washed away by the tsunami. They also knew that the rising radiation endangered their own villages, which they were desperate to prevent. They knew each other intimately from years of working together. That kept them going.

Mr Yoshizawa says that at first the main concern was the safety of 6,000 workers, including 2,000 near the reactors, soon after the earthquake and tsunami. For part of the first night it was felt (wrongly as it turned out) that all the reactors were cooling down. That appeared to buy some time. But after a hydrogen explosion in the first reactor building, a horrific chain of events ensued, frustrating at every turn the men’s ability to inject water to cool the reactors. As two other explosions occurred on Monday and Tuesday, March 14th and 15th, the pressure to evacuate most of the staff became intense.

That, says Mr Yoshizawa, was when Mr Yoshida, the man in charge (he has since been in hospital with what is said to be an unrelated form of cancer), faced his hardest decision: saving as many people as possible from danger while keeping enough people on site to do what was needed. Both men interviewed insist there was never any thought by on-site bosses of abandoning the plant. Mr Yoshizawa, who had temporarily relocated to an office a short distance from Fukushima Dai-ichi, returned to the plant at the height of the crisis. “I thought that maybe I would end up not leaving, that as we Japanese say, we would ‘bury our bones’ in that place.”

The men express in different ways the conflicted feelings that linger on. Mr Yoshizawa choked with emotion when he explained how the men fought a losing battle to save their local towns and villages. Then he added: “But in Japanese society, many view us as the perpetrators.”

That view is particularly strong among the evacuees from Fukushima, but it is also true of the country at large. Japanese soldiers felt a similar sense of stigmatisation after returning from defeat in 1945. Mr Fukura has no time for talk of heroism―or stigmatisation, for that matter. He says that because most of the men work for TEPCO, they cannot separate their sense of responsibility from that of the company. That sounds like an admirable Japanese trait, but it was not shared by all of TEPCO’s bosses. Only in October, after arm-twisting by the government, did the company admit it had underplayed the risks it faced at Fukushima Dai-ichi.

イタリアの記者による取材…いかに事故直後とはいえ、「平民に、放射能汚染や、原発の、難しい概念を理解させることの無理さ」を物語る…

http://lachirico.com/2011/03/25/giappone-12/
放射線が恐いかって?最初は、恐くなかったけど。今は、おっかないですよ。あの地獄にまた戻らなきゃならないのかって思うと、夜も眠られないです。」
福島(原子力発電所)の作業技師たち。1週間か2週間の間、ヒーローと呼ばれ(彼らにしてみれば心ならずも…と言うところか)、そして、これから一生、被ばく者と呼ばれるのだ。
ミツオさんが、こんな風に話してくれた。
「あそこは以前に、もう問題を起こしてるんですよ。今後ずっと、それを隠し通さなくちゃならないのか、それか、この土地のことを偽っていかなければならないのか。もう誰もこの土地の者とは、関わり合いたくないでしょうね。」
ミツオさんは名字は明かしたくないと言う。3日後には原発所内に戻るのだ。第3号炉…あの最も危険な場所。プルトニウムを使っている原子炉だ。
ミツオさんは福島(原子力発電所)で働いて5年になる。契約社員としてだ。ゆえに随時、契約が切られるのは万国共通のこと。切られた時は、賃金は支払われない。その代わり、その翌週には賃金は30%増しとなる。一体、どうすれば良いのか?
ここでミツオさんの奥さん、ハルミさんが口をはさんだ。
「うちの主人に仕事が回ってくるってことは、つまり、危険が大きいってことなんですよ。でも、他にどうしようもない。うちは4人家族で、ここじゃ他に仕事はないんだから。」


水ですか?『最高に美味い』ですよ。
それでは皆さん、水は飲んでいるんですか?数日前から政府が飲料禁止にしてますよね。放射能が含まれてるからと。
「デタラメですよ。私らは飲んでますよ。福島の水は最高だからね。フィルターで濾過する必要だってないんだ。」
それでは牛乳や野菜は?
今日、政府はいくつかの製品の県外搬送を禁止した。
皆さんはどうしているんですか?
「その時その時の判断ですね。今のところは仕方がないね。ミネラルウォーターなんか無理ですから。お茶も沸かさなきゃならないしね。」
分かっていないのだ。このままでは、本当に逆上しかねない。もしも、第二のチェルノブイリだなんてことになったなら…。 そうならないことを祈るが。
帰る前に『Mochi』を…米粉で作った菓子を振舞ってもらった。そして、湯のみに入ったお茶も。
「どうぞ召上がっいってください。余り物なんですけど。毎日、届けてくれるんですよ。新しいものですから。」と。
我々が何を問題視しているのか、分かっていないのだ。米ではない。お茶の方なのだよ。(日本語翻訳:La Chirico / 伊語記事: Il Manifesto 2011年03月23日写真)


はっきりいって放射能汚染に限らず、原因物質による発症をすべて把握・トレースしきれないなんてのはザラにある。タバコや大気汚染だってそうだ。
政官財は、責任問題と、収益減の恐れから、甲状腺がんだけを悪者にしてほかを抹殺しようと躍起だが(チェルノブイリの時もソ連邦内部でこの論争が盛んにあった)、そうはゆかないということだ「科学的な意味で」。
以下は、NHK番組の東北版のみで先行放送され、全国版でカットされた。

http://www.youtube.com/watch?v=brB2XljSQ1A
森ゆうこ副大臣「ないのではなく、現状ではよくわからないというだけ(低線量被爆の影響)」