先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

〜だから食うなとか生きるなとか、いわば非国民呼ばわりするようなネガティブな雰囲気の国は、何かと束縛が多く息苦しく、衰退を早める


はっきりいって弱者イジメを商売とする(つまりは情報ヤクザだ)、
いわゆるあめぞう2ch系の系譜に属するネット掲示板


弱者をまじめに救済する、たとえば福祉系のケーススタディには全く役立たない。
ヤクザとは国家に依頼されるなどして「大人社会のイジメ屋」を職業的に行うプロだからだ。
70年代までの番長ぐらいなら面倒見のいいのもいたようだが
いまどきの職業イジメ屋=ヤクザやその下のプロ市民には、弱者をきちんと見て判断して正しく救済するのは無理である。


いわば、生活保護をナマポなどという俗称で呼ぶ連中は全員、その息のかかった連中とみて良い。
底辺のゴロツキは彼らなりの社会の生情報も提示しいてくるのが常だが
それはそれ。弱者救済はとにかく奴らには無理だし、彼らはやるつもりがない。むしろ弱いモノイジメ=たたくことが商売…右翼街宣車や総会屋でわかるように。
彼らも権力や利権レベルの大企業に大国など、強者が相手ならまだ存在意義を感じるが
弱者イジメに降りてくると迷惑この上ない。


以下の引用記事、下層を生きてきた団塊ジュニア前後の世代にとっては「まるで自分」「似てるところがある」共感できるのでは無かろうか。
とにかく生活保護とは「家系、コネ」などの根本的な『礎』が皆無の人間を助ける国際制度だ。
こればかりは、実際にその立場になったことの無い人間には、たとえヤクザ系などでは無くて親切で思いやりのある人間でも、アドバイスや救済を試みるには限界がある。
金持ちの友達がいたとして、彼がどんなに親しくても、極貧の友人の身の上のことはわかるまい。


記事は説明不足だが、8千円以上の月収分は全額、保護費から引かれる。単身は都市部自治体でも10万円ぐらいなので全額引かれているはずである。
それでも医療費などの面で受給を続けるケースはメジャーと言うことだ。単身の世帯主の負担は税金や保険料にせよ大きいのである。以下は住民税のことも書かれていない。

http://diamond.jp/articles/-/22165
働き盛りの生活保護は本当に許されないのか
急増する稼働年齢層受給者を待ち構える「高い壁」


今回は、「働けるのに働かない」「仕事を選びすぎ」などと批判されがちな「その他世帯」、それも働き盛りの単身者の生活と仕事を紹介したい。その批判は、当たっているのだろうか?


 吉田信之さん(仮名・42歳)は、今、迷っている。約1年間にわたる就職活動を経て見つけた現在の仕事を、続けるべきなのだろうか? それとも、早めに辞めるべきなのだろうか? 生活保護受給を続けるべきなのだろうか、それとも生活保護から脱出するべきなのだろうか?

 吉田さんは現在、清掃会社に勤務している。待遇は正社員だ。手取り月給は18万円。交通費も支給される。

 額面だけを見れば、東京都で現金として支給される生活保護費(生活扶助+住宅扶助)13万7400円を上回る。しかし、会社は労災保険料雇用保険料・健康保険料・厚生年金保険料を支払っていない。健康保険料と厚生年金保険料を自分で支払うと、約4万3000円。実際に手元に残る金額は、13万7000円。生活保護水準より、やや低くなってしまう。

 とりあえず現在は、再就職してまだ2ヵ月。労使とも「互いに様子を見る」という感じだ。ずっと、この仕事を続けられるかどうかは分からない。吉田さんは現在も、生活保護の受給を続けているが、全収入を福祉事務所に申告している。生活保護費に加え、基礎控除額の28950円が手元に残る。合計で約16万円となる。病気やケガの際には、福祉事務所に医療券を申請し、医療扶助で治療を受けている。就職したからといって、健康保険料や医療費の自己負担に耐えられるだけの経済力が得られるようになったわけではない。むしろ逆かもしれない。

 吉田さんの仕事は、2人の同僚とともにラブホテルに派遣されての清掃だ。主に「休憩」と「休憩」の間の部屋のクリーニングとセッティングを担当している。繁盛しているラブホテルでは、客が出ていくと同時に、次の客が入る感じである。クリーニングとセッティングの所要時間は2〜3分。長くても5分程度という。その「長くても5分」の間に終わらせなくてはならない仕事の内容は多岐に渡り、量は膨大だ。備品の点検・シーツの交換・アメニティの整備・冷蔵庫の飲み物の補充……。

 勤務形態は、正午から翌日の正午までの24時間連続勤務。仮眠時間は、一応は存在するが、多忙な時には「仮眠」などとは言っていられない。勤務明けとその翌日は休日になる。休日が多く見えるが、変則勤務は非常に肉体的な負荷が高いものである。


 生活保護からは、脱出したい。ときどき、過去に経験のある自動車工場の期間派遣時代を思い出す。給料は良かったし、生活コストはそれほど必要ない。「また、戻ろうか?」とも思う。けれども、具体的に戻れる見通しがあるわけではない。戻れたとして、向こう何年続けられるかは分からない。

 先の見通し? そんなことは考えられない。先のことを考える余裕なんか、ない。向こう1年〜2年を生き延びることを考えるだけで、精一杯だ。
不安定就労を繰り返すしかなかった青年時代
吉田さんの持っている服は、このハンガーにかかっているものと、小さな衣装ボックス1つに入っている分で全部だ。バザーなどで中古衣料を安く購入している。
Photo by Yoshiko Miwa

 吉田さんは、1969年に関東で生まれた。父はサラリーマン。パートで家計を助ける母との間に、男児が2人。吉田さんと、2歳上の兄だ。典型的なサラリーマン家庭であった。現在は、家族と連絡を取り合うことは、ほとんどない。「連絡がないので健在と思う」そうだ。

 高校3年生の時、吉田さんは高校を中退してしまった。実家の居心地が悪いと感じられるようになり、18歳になると同時に住み込みの仕事を探した。最初の仕事は、寮のある居酒屋の皿洗いだった。

 その後、20代で塗装工となるが、吉田さんが25歳の時、1991年のバブル崩壊が発生する。建築・建設業周辺では、仕事を続けることも見つけることも困難になった。
吉田さんは、バザーなどで1個数十円のサングラスを買い、その日の気分に合わせてかける。ささやかなおしゃれだ。
Photo by Yoshiko Miwa

 30代の吉田さんは、さまざまな仕事を転々とする。まず、配送会社でアルバイトの仕事を見つけた。運転免許を持っていない吉田さんの仕事は、仕分け・トラックの積み下ろしなどである。その後は5年間ほど、自動車工場の期間派遣で、3ヵ月・6ヵ月の契約を繰り返しながら働いていた。「とにかく、給料がよかった」という。月給は30万円。

 自動車工場で仕事を見つけるのが難しくなると、個室ビデオDVD店の店員となった。その後は、ネットカフェに宿泊し、日雇いアルバイトを繰り返す。しかし、仕事が見つかるとは限らない。その日暮らせるかどうかも心もとない日が続いた。「とりあえず働かないと食べられないから」、仕事を選ぶ余裕もなく、見つかった仕事に従事して報酬を得た。2008年のリーマンショック、2008年末の「派遣切り」の時期には、建築現場の掃除・片付けの仕事についていた。

 そうこうするうちに、栃木県の山間部の山荘の清掃・片付けの仕事を見つけた。住み込みで、正社員待遇である。働き始めて数ヵ月後のある日、山荘周辺を散歩していて脚をくじいた。脚はなかなか治らない。仕事を辞めて、東京都内のネットカフェに戻るしかなかった。


 しかし、すぐに生活保護を申請したわけではなかった。吉田さんは、なるべく生活保護を受給することなく、なんとか自力で頑張ろうとしたのである。まず、社会福祉協議会の相談所で「つなぎ資金」を申請した。しかし手続きが長引き、手持ちの現金が底をつきそうになった。緊急時に無料で宿泊できる東京都の宿泊所に1週間だけ宿泊し、時間を稼いだ。その間も「働かなくては」と考え、仕事を探そうとした。できれば住み込みの、できれば正社員待遇の仕事を。しかし、履歴書に書く「現住所」はなかった。

 吉田さんは、宿泊所のスタッフの勧めで、福祉事務所に相談に行った。ケースワーカーから見ても、困窮は明らかだった。そのケースワーカーは、

「すぐ働くのではなくて、1ヵ月か2ヵ月、落ち着いて考えてみたら?」

 と言い、生活保護の申請を受理した。

 2010年末、吉田さんは生活保護受給を開始した。しばらくは山谷の「宿屋さん(簡易宿泊所)」の2畳の部屋に仮住まい。ほどなく、アパートを見つけて入居することができた。


 面接で問題になることは、いつも同じだった。まず、最近の数ヵ月は職歴が空白になっている。生活保護を受給しているからであるが、それが問題になる。また、

「今まで何をしていましたか?」

 と経歴を聞かれるのだが、転職回数が多いことが問題になる。場合によっては、40歳を超えている年齢も問題となる。そして、結局は不採用となってしまう。

 ハローワークの再就職講座も受講した。しかし、主な内容は、もともと正社員だったが不況で失業した人のための再就職ノウハウだった。吉田さんのような経歴の持ち主の再就職に適した内容ではない。個別対応をしてほしいところだが、そのための体制は充分ではない。吉田さんは「行き間違えた」と感じた。めげることなく、散歩で体力を落とさないように注意し、ボランティアに行ってフリーマーケットの運営の手伝いをしたりしながら、「仕事をする」という感覚を維持した。


 今は、再就職ができたことに感謝しており、

「働くのを第一条件にして、そこから何かを見つけられれば」

 と考えている。しかし、長く勤務し続けることが可能だとは思えない。今は、

「働けるようなら働いていこうと思っているけれど、2〜3ヵ月働いて、それから就職活動をしようという気持ちもあります。すごく迷っています。辞めた方がいいんだろうかとも思います」

 と、迷いで一杯だ。約1年間の就職活動の末に見つけた新しい仕事が、生活保護から脱出することもできないほど悪条件だったとなれば、少なくとも、そこに中長期的な将来を見出すことは困難なのが当然だろう。


 本連載の第2回〜第5回では、生活保護受給者自身の率直な話を紹介した。次回からは、生活保護制度や生活保護受給者を支える立場の人々の日常や思いを紹介し、より多面的に、生活保護の「ありのまま」の姿を捉えることを試みたい。
http://diamond.jp/category/s-seikatsuhogo