先従隗始・温故知新

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2012/7現在、売り場に福島産の野菜を置く都内スーパー:オザム、マルフジ

2013/07/24追記
一年後の現在、マルフジにもオザムにも福島のキュウリやトマトが出回ってきてるが、手を取る人は少なく半額シールが並ぶ…
バカじゃない。どこに住んでいようがどこの地域だろうが。


ベクレル基準値の話じゃない。すこしでもベクレルが少なかろう地域のものを選ぶのが『保険』だ。

 ◇


小さい子供が食べてはいけないだろうに…
大人の5〜10倍の影響を受ける。


48円とか通常の値段で福島キュウリを出してるマルフジ…猛省せよ。
まだ20円とかで投げ売りしていたオザムの方が良心の呵責を感じるよ。これだけ安くてもろくに売れてなかったけどな。
確認はしてないがどうせ安売りの西友も並べてるんじゃないのか。


野菜にせよ、1万出荷のうち一束とかそういう具合でサンプリング調査している。だからもっと高いのも紛れているし、ゼロに等しいのもある。いわばロシアンルーレットだ。


よく、添加物を根拠に食べてはいけない的な書籍が出ているが
冗談じゃ無い…真っ先に放射能入りの食べ物から忌避せよ!


チェルノブイリ原発事故の国、ウクライナで、原発事故の健康被害を数十年も追ってきた医学者も、そう告げている。いくつまでは大丈夫とかでは無くて、限りなくゼロに近づける努力をしなさいと。
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120715/1342334676


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日本は今、太平洋戦争の敗戦間際にソックリだ。
・勝ってもいないくせに連日、勝った勝ったとウソのラジオ放送


安全でも無い放射能野菜を、安全だと信じたい心理で売ってしまう、買ってしまう…


そうやって汚染被災地・福島県内でも、逃避心理が蔓延し、お祭り騒ぎのイベントやらそんなんばっかりやっている。
真摯に健康被害とか将来的な発病などについて正面から向き合っている取り組みが福島ですらあまりに少ない。というか政府が教えない。「不安がらせるといけないから」と口実に、右翼ヤクザを動員して放射能の危険性を堂々と明言する国民を、ストーカーしたり脅して回っている。


安全では無いものを安全だ安全だとみんなでいっしょに叫ぶのはいい国民で、
安全では無い、危険ではないかと告げる国民が非国民弾圧対象にされている。


山下なる御用学者は、国のためなら放射能安全を言い続けるイヌの最右翼で現地でも有名。こいつと公安・右翼極道がつるんでいるのだ。
学者側で山下ら御用学者らがウソ八百でもいいから安心安全を唱え続け、裏社会では右翼極道が公安など行政の手下として国民を脅して回る…いわばオキレイな政治家センセイ&汚い裏工作のヤクザの表裏一体関係そのまんまである。

http://mainichi.jp/select/news/20120720k0000m040171000c.html
 東京電力福島第1原発事故に伴う外部被ばく線量を、住民がインターネットを使って調べることができるシステムが「お蔵入り」していたことが明らかになった。

「何を考えているんだ」。非公開の会議で交わされた議論では、福島県側の幹部らが、ネット調査を提案した放射線医学総合研究所(放医研)側に激しい言葉をぶつける場面も。

混乱を恐れる「地元感情」に配慮する形で、システムは封印されていった。

 関係者の証言や資料によると、昨年5月13日に福島市福島県医大で開かれた健康調査に関する検討委員会準備会には、被ばく医療に携わる広島大や放医研などの研究者のほか、内閣府文部科学省厚生労働省の担当者、県保健福祉部幹部や県立医大教授、県医師会幹部ら23人が出席。

進行役はこの2カ月後に県立医大副学長に就任する山下俊一・長崎大教授が務めた。


チェルノブイリ原発事故は、汚染された現地の野菜、木の実、牛乳などを食べ続けて被曝が深刻化した。遠くスウェーデンでさえ汚染されたので現地のカモシカを食べていた住民は被曝病被害に苦しんでいる。


震災後に日本で被曝量を抑制できたのは、汚染食品流通を徹底して制限し、消費者側も忌避したからだ。いまその堰を切ろうとしているバカがいる。これから「長年の低線量被曝を休み無く続ける」ことでの晩発性被曝病が数年後から増えてくるだろう…


被災民でも、すべてを失った人々の方がずっと、逃げてないし、強いよ。現地で会ってみてもそう感じる。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012071890071406.html
原子力明るい未来のエネルギー」。


福島県双葉町の中心街の入り口に掲げられた看板の標語だ。二十五年前、当時小学六年の大沼勇治さん(36)が町のコンクールに応募し、選ばれた。
大沼さんは、一年四カ月の避難生活で「脱原発」を確信した思いを伝えたいと、今月十五日、一時帰宅した際、自ら標語を「訂正」した。


看板の手前で持参した画用紙を高く掲げた。すると、そこに書かれた「破滅」の二文字が「明るい」に重なり新しい標語が読み取れた。「原子力破滅未来のエネルギー」。二十六年目の訂正の瞬間だった。


 ◇


福島など重汚染地帯の野菜を食べていいレベルは
・全量測定
に限られよう、妥協でも半量測定だ。畑の中でも、まして畑ごとに、線量は細かく違うからだ。ふりかけを均等にふりかけられないように、セシウム降下もムラが非常にある。
だが実際、スーパー向けの大量栽培の場合、ベクレル検査はせいぜい1%以下だろう。1万出荷するのに1つだけサンプリングしているだけ。あんまり意味が無い。


自分でベクレル検査機を買って、これから食べる野菜を切り刻んで測定…これ以外で福島の野菜は食べるべきでは無い。宮城の魚もだ。
厳しすぎると思うだろうが、ウクライナベラルーシではじっさいにそうしている。スーパーや公共施設にベクレルモニターがある。日本が甘すぎるだけだ。


とかくあせりすぎ、ゆえに過剰に楽観ムードに陥り…日本は性急すぎる。30年前のチェルノブイリ事故による、トナカイ汚染肉の健康被害がまだ欧州では収まっていない。事故原発から2000km離れた北欧ですら。
日本は経済大国なので、止まっていることと躊躇されることが許されない…だがそのために、まさに致命的、命を失う判断ミスを繰り返しているとは…本末転倒

http://www.nikkei.com/article/DGXDASDG2204L_S2A620C1CR8000/
出荷停止の魚介36種 福島県沖、政府「他は制限不要」


 東京電力福島第1原発事故後、福島県で全面的に自粛されていた漁業が一部試験的に再開したことを受け、政府は22日、1月以降に国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムを検出した同県沖の魚介類36種類について出荷停止を県に指示した。
画像:水揚げしたミズダコを処理する相馬双葉漁協組合の職員(22日、福島県相馬市)


 これまで福島県沖で自粛により漁が行われていなかったため、政府はコウナゴ以外の魚介類の出荷停止指示を見送っていた。厚生労働省は出荷停止の対象とした36種類以外については「基準値を下回っており、現時点で出荷を制限する必要はない」としている。

 今回の出荷停止の対象はアイナメイカナゴ(稚魚を除く)、クロダイスケトウダラ、スズキ、ヒラメ、マダラなど。昨年4月20日から出荷停止が続いていたコウナゴ(イカナゴの稚魚)は、基準値を下回ったため出荷停止指示を解除した。

 厚労省によると、これまでに検査した同県沖の魚介類や海藻は計165種類。出荷停止の36種類の大半は放射性セシウムがたまりやすいとされる海底付近に生息している。同省幹部は「海面近くの魚や海藻の多くが現在は基準値を下回っている」としている。

 東京電力福島第1原発事故で自粛している漁の再開に向け、福島県相馬市の相馬双葉漁業協同組合が22日、市場に流通させるための試験操業を行い、ツブ貝とタコ計約1.4トンを水揚げした。

 放射性物質の検査をした後、市場価格や売れ行きを調べるため、25日から一部を県内の小売店で一般消費者に販売する。漁の対象はミズダコ、ヤナギダコ、シライトマキバイ(ツブ貝)の3種類。漁船6隻が、約50キロ沖合の深さ150メートル以上の海域で、底引き網で採取した。放射性物質が、国の食品基準値の半分の1キログラム当たり50ベクレル以下だった場合、ボイル製品のみを出荷。通常の6〜7割の価格で卸し、25〜28日の4日間、相馬や郡山、いわきなど県内十数カ所のスーパーや小売店で販売する。


NHKのDのブログ

http://toriiyoshiki.blogspot.jp/2012/07/blog-post_5135.html
飯舘村でも最も放射線量が高い長泥地区は、
今度新たに「帰宅困難区域」に指定され、
17日午前0時をもって一般の立ち入りが禁止される。
長泥に向かう道路にはバリケードの準備が進んでいた。
長泥に家を持つ人たちは
鍵の暗証番号を教わって入ることが出来るというが、
いままでは防護服を着ることもなく、
自由に人が出入りしていたところである。
それどころか、
事故直後の放射線量が最も高かった時期には、
人々は避難を指示されることもないまま、
ここで普段通りに生活をしていたのである。
計画的避難区域」に指定されたのが去年の4月で、
ようやく避難が始まったのは5月、
遅い人は7月上旬まで長泥で暮らしていた。
被ばくの心配をいうなら、
既にたっぷり被ばくをしてしまったはずである。
それを1年4ヶ月が経って、
ようやく放射線量が下がってきた頃になって、
「帰宅困難区域だから」とバリケードで封鎖する。
政府のやることは、形式ばかりで、実に頓珍漢である。


福島県相馬市に
飯舘村の人たちだけが暮らす仮設住宅がある。
原発事故で避難をしてきた
164戸370人前後がここで生活している。
その多くが高齢者で、
中学生以下の子どもは10人しかいない。
ぼくたちは去年の秋からこの仮設住宅の撮影を始めた。

ここで知りあった一人がチヨ子婆ちゃん(84)。
仮設住宅の近くに畑を借りて、
毎日、電動三輪車で通って野菜を育てている。
生まれ故郷の飯舘で戦後開拓に入ったが、
生活は苦しく、
特攻隊の生き残りだった御主人(故人)は
現金収入を得るため出稼ぎにでた。
そのため、幼い子どもたちを背負って、
女手ひとつで開墾を成し遂げた経験の持ち主である。
働きづめに働いた一生だったと振り返るが、
原発事故で故郷を追われ、
仮設住宅に入って何もすることがなくなると、
かえって心身の調子を崩してしまったらしい。
そこで息子さんが畑を借りる段取りをして、
毎日畑に出るようになってすっかり元気を取り戻した。


この土地の言葉で「までい」というが、
「ていねいに」「心を込めた」というところだろうか。
チヨ子婆ちゃんの仕事ぶりは「までい」の一言に尽きる。
花の根元で膨らみ始めたばかりの
小さなキュウリを真っ直ぐに伸ばしてやるために、
炎天下で、邪魔になる葉っぱを一枚一枚取り除いてやる。
「暑い」というところを、
「あったかい」と表現するのも飯舘地方の方言らしい。
「今日はあったかいなあ」と繰り返しながら、
チヨ子婆ちゃんは日が沈んで暗くなるまで畑で過ごす。


先日、自分で育てたキュウリと大根を
JAに持ち込んで放射線を測定してもらった。
結果はともにND(検出限界値以下)で、
これで安心してひ孫たちに食べさせられると喜んだ。
家族では食べ切れないくらいの作物を作っているので、
仮設住宅の一角に野菜の自動販売機を置いて、
同じ飯舘から来た人たちにも
食べてもらおうと計画しているらしい。


 ◇


オレが見にいった防波堤にほど近い集落では、新築の完成間際の住宅がそのまま放置されていた。流されたクルマは6号線より西にも…

http://mainichi.jp/select/news/20120719k0000e040208000c.html
福島第1原発:壊れた住宅、ようやく撤去 南相馬・小高


東京電力福島第1原発の北約15キロに位置し、今年4月に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編された福島県南相馬市小高(おだか)区で東日本大震災後、壊れたままになっていた住宅の撤去が行われている。

 建築士の遠藤大(ひろし)さん(61)の自宅は今月、震災から1年4カ月を経て、ようやく取り壊しが始まった。母の周子(ちかこ)さん(85)と倒壊した家の中を探すと、アルバムや服、昔の製図道具などが見つかった。

 現在は福島市内の借り上げ住宅で母と2人で暮らす。「先の見通しも全く立たず、原発に憤りを感じる」と唇をかみしめた。

今はほぼ、事故原発の10km先まで立ち入れると言うこと。
そこに立ち入ったせいか、飯舘村や矢木沢峠の風の吹いている中を長居したせいか、N95マスクはしていても絶えずスキマがあいてたため、5月末の現地見聞旅行の際には、帰宅後に吐き気やだるさや体力低下が激しくおそってきたのは、当時のエントリー記事に書いたとおり。先週末はマスクのスキマゼロを徹底したためか今現在まで不調なし。そういうヤバイ土地なのです。線量計だけでは測れない。車での移動は汚染に触れる機会も減るが、バイクで一日中屋外にいてうろつきまわってると、健康被害がすぐに如実に出る。


そんなヤバイ土地を避難解除準備にして、人を戻らせようとしている…
ばらまかれた放射能総量の多さ、多核種でセシウム以外に何が飛び回っているかもしれない(PuだのSrだの)、事故原発でまた何かがあったら即また逃げないといけない…


信じられないね。単純に今現在の空間線量だけで、物事を決めていく政府と自治体は。