先従隗始・温故知新

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池上彰「この危機的状況でも、なぜ政治が機能しないのか」

池上彰の「学問のススメ」
「この危機的状況でも、なぜ政治が機能しないのか」




齊藤:国と地域を立て直す、ましてや地方あげての集約化をしようとなると、様々な利害や感情が絡んできますから、政治の出番となります。いくつかの地域を統合しようとすると、移転を迫られる住民の方々には短期的に見るとかなりダメージを与えることになります。

池上:感情的な反発もあるでしょうね。

齊藤:「それでも、新しく街をつくり直すほうが、長期的に見ればみんなにとって、そして子孫にとって利益があるんです」と住民を説得する必要がある。まさに政治家の仕事です。


池上:まさに政治のリーダーシップが問われます。

 ところが現実はどうか?

信じられないほどの党利党略に各政党が走り、足の引っ張り合いに終始してしまいました。

齊藤:残念ながらそうでしたね。


池上:一方で被災地の現場に足を運ぶと~略~「優秀な現場」が動こうとしているのに、中央がブレーキをかけている。その構図が際立って見えました。

齊藤:仮設住宅の周りに、広場やみんなが出会う集会場を用意して、そこに地域のリーダーや地方自治体の議員や行政関係の人が出向いて、当事者である住民たちの共同体といっしょに5年先10年先の自分たちの地域のあり方、育て方を議論する。そんな動きが出始めると、地元発のリーダーシップが生まれると思うのです。


地方発、現場発、というのは賛成。下積み発想、リプレイス発想だね。ボトムアップ


明治維新も戦国の群雄割拠もけっきょくは、存在感のある有能な大名から、天下統一の将軍が出たのであり。翻って旧来の室町幕府将軍や朝廷は、無用の長物として追い払われた。維新における江戸幕府しかり。

池上:もう1つ、先ほど例にあげた大槌町のように町長以下幹部の方々の多くが津波によって亡くなり、地元の政治そのものが機能不全に陥ってしまった不幸なケースもあります。大槌町の場合、200人の役場の職員のうち、震災当日、町長を含む幹部40人が緊急対策会議を開いていて津波に遭った。町役場の中枢そのものがなくなってしまった。これでは政治が機能するのは不可能です。


 ただ、立派なリーダーが登場したとしても、やはり街の選択と集中を実現するのには、とても時間がかかると思います。

 たとえば、世代の差が出てくるでしょう。仕事を求めている若い人たちは、地元にいても仕事がないから、いい機会だ、移ろうじゃないか、と判断するかもしれません。

 でも、年配の方々の場合、「理想論はわかるけれど、やはりこの土地に愛着があるんだ、なかなか動けない」と思われるかもしれません。そんな方々でも、1年以上物事が膠着して動かない状態が続くと、「待ってはみたが、このままでは街は元に戻らないのだな、じゃあ現実を見据えてどこか別の場所で街を再建しよう」と思い直すようになるかもしれない。つまり世代によって「判断する時期」が違う可能性がある。


齊藤: 復興のスピードが遅いことに関して、「国がもたもたしている」「復興のためのおカネが地元につけられていない」といった批判がずっとありました。でも、現場を丁寧に見て行くと、たとえ補助金などが補正予算で国からついたとしても、具体的な復興計画の立案、その計画にゴーサインを出すかどうか、実際に作業を行う業者の入札、といったプロセスを考えると、やはり時間はかかります。

被災地にあっては、都市中枢機能の役割は「集合してはならない」ケースがある。津波がそう。

池上: 実はコンパクトシティ化をする過程で、まず現実的な問題として浮かび上がるのが「病院」です。
 東北に限らず、全国の自治体にはそれぞれ総合病院があります。建物も立派で病床数も確保されている。けれどもその自治体の人口が減少していくと、お医者さんの数が減っていく。とりわけ若く活発なお医者さんが来なくなる。すると、総合病院としての機能が果たせなくなる。
 既に患者という「ニーズ」が減っていたのに、そのニーズ以上の施設を復旧できるか。もちろん、住民がいる限り、医療サービスを切らすわけにはいきません。難しい問題です。

齊藤:過疎化が進んだ自治体に、建物と病床数だけは立派な総合病院が鎮座している。ところが、お医者さんの人数は減らされている。地元の人たちが、こうした病院とどう付き合っているのかというと、なんとどんどん行かなくなっている。
設備はあっても、お医者さんの数が限られていますから、病状によっては適切な治療を受けられないおそれがあるわけです。そんな時は、地元の名ばかりとなった総合病院をすっとばして、もっと遠くのお医者さんがちゃんといる総合病院や専門医院に直接行っちゃうそうなんです。

池上:なんと、地方の総合病院の統廃合の前に、既に患者さん側が、病院を選択しているんですね。

齊藤:急性期医療の必要な患者さんは入院しても直ったら出て行きます。けれども地方の総合病院には、実は入院滞在日数がとても長い患者さんたちが一定数いるケースが多いのです。

池上:いわゆる「社会的入院」ですね。病院が住まいになっている……。

齊藤:いざという時に「専門医の治療が必要だが、地元にお医者さんがいない」という場合は、ドクターヘリを飛ばして、専門医がいる地域の中核病院に患者を運ぶ。こうした輸送システムをむしろ整備する。通常時に関しては、病院施設をいたずらに大きくするのではなく、もっと身近な診療所のようなかたちにして、日頃から地域の方々とお医者さんがコミュニケーションをとって「かかりつけ」のような関係になり、地域の人たちの健康をリアルに病院のお医者さんが把握するようなネットワークを構築する。

池上:医療行為において、「市場原理」が働いていた、ということですよね。

医療にも、市場原理の自然選択の時代。
総合病院とはいわば日立や三菱で、「なんでもそろう」は時代に合わない。


とはいえ病院はワンストップが鉄則…社会奉仕性が問われる、いわば二律背反。
総合病院が時代に合わず収益低下する中で
開業医の集合体…コロニアル医療スポットが都市部でも田舎でも目立ち初めては居るが、やはり設備面や人材面に限界、肝腎の治療は総合病院へ〜のスルーの流れに。


けっきょく、世界的な医療産業の鉄則に直面し始めたのだ。
『医療はゼイタク。カネがかかる。カネがある人が優先』
戦後の、メイドインジャパン無敵時代に、調子に乗りすぎて、悪平等を構築してしまった…ツケが回ってきた。医療なり医療保険なり…それらの有効期限はやはり短かった。