全校生徒ががん(インフルエンザ)になろうが、自分だけかかろうが、同じだろ?
…リンパ腫で放射線治療やった俺だからいえることだ。
もはや、福島放射能でガンや、ほかの疾病にかかる確率は格段に高まった。…だがその%は100年ぐらい統計してみなきゃ、断言できるはずもないから医学界も歯切れが悪い。利権屋の賛成反対抗争に振り回されてる。
おれは30年前に頭部に累積30シーベルト/月 浴びてるけど。それですら、30年後の今にガン細胞が増殖してる確率なんて、当時の医師には言えるはずもなかったよ。統計上の10年生存率はいちおう言ってたけどな。ましてや低線量被爆なんてわけわかるまい…微量の毒を摂取吸引しつづけてなお、その総量も総線量も、わからないときている…運転免許を取得した全員に、その何年後にどんな事故を起こすか言い当てるに等しい。
…危険運転なんていつなんどきやって一定期間内にどんぐらい累積していくかなんて、わからん。放射性物質もいつ何時摂取吸引し一定期間内にどんだけ累積していくかなんて、わからんよ。放射能耐性には個人差があり、運転の危険度も個人差があり。
あの当時の大学附属の小児科病棟は(当然今も、どこの小児科病棟も)、運次第で遠からず死ぬだろう患者らがいっぱい居た。いっぱい居たけど、社会に戻ってみれば実に些細な%なんだよ…
%ってのはつまり、総人口の1%上がればとんでもない人数が増えることを意味する…1億なら100万人だ。
日テレNewsZERO『長期取材 福島の中学5』
渡利中学、個人の累積線量測定結果(昨年9月分)の全校発表会において
「あなたがたのほとんどが0.1msv以下でした」
「あなたたちに将来、たくさん甲状腺ガンが出てくる可能性はとても少ない」
言葉遊びか?????????
たくさんの患者が出る確率は低いが
たくさんじゃない患者が出る可能性は低くないんだろ…こんなのディベートだよ。レトリックだよ。
NHKの、先進各国の原発周辺地域での健康被害現地取材で
「私のほかの(闘病してる)子供たちは全員死んでしまった」
「だから自分だけ生きているのがつらい」
セーラちゃんが、言っていただろ…
「私は確率のなかの数字じゃない!」
かの田中正造先生も、足尾鉱毒で続出する患者たちを日々見ながらこう言った。「数が少ないからってたいしたことがないとか言うな!げんにたくさんの患者がこうして苦しんでいるではないか」
政府が「確率は少ない」と発表したので…
もしかすると1万人に数名かもしれない…だが確実に「余計な病変」『余計な大病』を抱えるハメになる国民は続出する…大半は「原発との因果関係は不明」で処理される…
◇
・地獄を体験しなきゃ、わからない
終末の場である、大学病院。そこへ回されることは重篤な病を意味する。そんな場所へ入院して、苛烈な闘病生活を送った人間はとても少ない…
近代文明により健康な人間が増えたのは、よろこばしいことばかりではない…地獄を見て、重病と闘病して、ない人間が多すぎると、そういう人間にしかわからない、知らないことを、ほぼ誰も知らないから…これもまた%の話だ。
『放射能影響によって、ガンやその他重病になる』
のだから、これは重病人経験者、こと放射線治療経験者でないと、わからない領域を多分に含む…
”語り部”の、貴重な言葉を、聞き漏らすなよ…?津波てんでんこといったフレーズと同じことだ。
◇
いままでは、学年に一人、ほぼかならずがんで入院することなんて、なかったとして、
最近はそれが当たり前になってきてしまったとして、
学年で一人、全校で数名では、すぐ忘れちゃうかもしれない。そのクラスでもないかぎり、大して印象に残らないかも…
『それが、怖いんだよ。』
◇
人がほとんど立ち入らない浪江町で、適当に高そうなスポットをはかっただけで『630μシーベルト』以下の地図で浪江町の津島付近をみれば…http://hakatte.jp/geigermap/
当然、はかりきれてない場所に、1ミリシーベルト以上の地帯もあるでしょう…そういうホコリが風で飛んできて吸うかもしれない。
たぶんこの女性も、防護装備が足りてなくて、内部取り込みでやられた可能性…
だがおれは、初夏になったら、防護装備で、浪江町と飯舘村に行く。自分で線量をはかって、現地をみてくる。死んだらそれまでだが、きちんと防塵マスクはつけてゆく。
http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012032001001682.html
警戒区域入った女性死亡 福島県浪江町20日午前11時ごろ、東京電力福島第1原発事故の警戒区域に指定されている福島県浪江町で、重機を区域外に持ち出すために許可を受けて入域していた50代の女性が倒れたと119番があった。女性は救急車で同県南相馬市の病院に搬送されたが、午後1時に死亡が確認された。
政府の原子力災害現地対策本部によると、原発作業員を除けば、警戒区域に立ち入った人が死亡するのは初めて。
同本部によると、女性は同僚数人と事業者向けの立ち入り許可を受けて入域。急に「気分が悪い」と訴えてトイレに入り意識を失ったという。
セシウムは筋肉にくる…動くと動かしてる筋肉に、動かないと心筋に…
いつまでこんなデタラメがつづくんだろうか。あと何人が「不審な斃れ方をして、還らぬ人に」なれば、政府もやっと頭を下げて避難開始を呼びかけるのか。
政治家だの経営者になろうという意思は希望は、震災後の政府対応を見ていたら全部吹っ飛んだ。むしろああいう方向は害だから、近づいてはいけないと悟ったよ。今後の時代はずっとそうだ。
◇
「こりゃ、大変だ…殿様には伏せておこう…」
日本の奥ゆかしい隠匿文化ですね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20120316/229865/
情報伝達という問題で言えば、首相だった私にどれだけの情報が集まっていたのか、現在、検証が進んでいます。最近になって、当日の午後8時にはメルトダウンが起こっていたと言われています。しかし、当日に私がもらった情報には、そんな内容はなかった。東電は「燃料棒の上まで水がある」と言っていました。「だからメルトダウンはない」と。結果的には、その水位計自体が壊れていた。「分かっていたのに、情報を隠したのではないか」と批判されます。はっきり申し上げて、隠しておこうと思って抑えた情報は1つもありません。私まで上がってこないのです。
「官邸に伝えた」という証言があるようですが、私まで届かない。官邸には多くの人が詰めており、その誰かに話しても、私に伝わらなければ、私としては判断のしようがない。放射性物質が大気中をどう流れるか予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報も来なかった。
・不慣れなこと
・現場は騒然
・まして災害により都市機能麻痺
うまく機能するわけがないね。毎月のようにこうした非常事態が起きていれば、嫌でも『練度』は増すので、いやでも機能性は若干高まるけどね。
ベント(排気)の実施でも、東電の対応は不可解でした。当初は東電自身が「ベントすべき」と言ってきたので、最悪の事態を考えて「やるべき」と判断した。ところが、なかなか実施されない。「なぜ?」と聞いたら、「分かりません」と言う。
現場から正確な情報が上がってこない。情報がないまま「対策を打て」と言われても、政府としては判断ができない。保安院からも案が出てこないし状況も分からない。
ここ(官邸)にいては何も分からない――。そこで、福島にヘリコプターで飛び、現地にいる所長に話を聞いてベントを直接指示したわけです。その後も東電に直接足を運んだ。そうしないと、情報が上がってこないからです。
「総理大臣は、官邸でじっとしておくべきだ」という人もいる。原発の情報がきちんと入ってきて、専門家が見解や判断をして、最終的な決断だけを首相が担うなら、官邸にいてもいい。
しかし、何も原発の状況が伝わってこない中で、3日も4日もじっと待っていていいのでしょうか。確かに、私は原発の細かい専門知識はありません。陣頭指揮に対しても、異論はあるでしょう。しかし、あの場面では、現場に乗り込むしかないと判断しました。統合対策本部を官邸に置かず、東電の本店に置いたのも、その方が情報が集まりやすいと考えたからです。
今回の原発事故で反省しなければいけないのは、全電源喪失というワーストシナリオを誰も考えて準備していなかったことでしょう。当事者である東電や規制・監督すべき立場の原子力保安院や経産省、そして政府といった関係者で、誰一人考えていなかったし、備えもなかった。
東電に任せることになっていたから任せていたら
とんでもないロースキルだったと。
たしか一番最初の、東電本店での緊急記者会見だったか、いつ老衰で死んでもおかしくなさそうな白髪の会長?がなんといったか、生放送で。「原子炉に海水を入れてしまうと、二度とつかえなくなってしまう…(のは惜しい、惜しいよ〜という発声、態度、表情)」
ダメだこりゃ、と思ったよ。経営者でしかないの、こいつらの思考回路も態度も。『技術無知な、経営者が原子炉を壊して日本を滅ぼす』…マジメにあのときはそう思えて戦慄した。
バカ殿にもグレードがあって、菅総理以上にこの白髪どもはダメダメだと思ったわ。
ドイツではメルケル政権の前に、社会民主党が緑の党と連立政権を組んだ時期がありました。その時、「脱原発」に政策の舵を切ったのですが、時間が経つにつれて薄れてしまった。ところが、福島の事故で一気に「脱原発」を決めた。2022年までに国内の原発をすべて止めて、2050年までに80%を再生可能エネルギーにすると政府が方針を定めたのです。国民の大多数も賛同している。国と国民が一体となれば、変えられないものはない。
首相在任中、よく「延命」や「思いつき」と批判されました。ただ、国民は、政策立案の過程はどうであれ、出てきたものの内容で判断してほしい。誤解を恐れずに言えば、国民のためになれば、思いつきであるなしは問題ではない。
浜岡原発の停止を中部電力に要請した時も「人気取り」と批判されました。ストレステストの導入もそうです。「ではストレステストはせずに、原発再稼働を原子力保安院に単独で決めてもらっていいですか」と問い返したら、「それでいい」という答えになったでしょうか。従来の法律で保安院が決定することになっていても、国民が納得するはずがない。もっと中身を見て、判断してほしかった。
もちろん、国民の期待に応えられなかった部分もありました。政治で100点を頂くことは難しい。ただ、私はこの失敗を検証して、原因を探り、次の世代に遺す活動は続けていきます。
1995年の阪神・淡路大震災では、自衛隊の出動が遅れました。知事の要請が必要だったからです。その過去を知っていたので、今回は自衛隊が早期に出動できました。
3・11を二度と起こさない――。それは人類の願いでもあるでしょう。そこに与野党の垣根などありません。悲劇を繰り返さないような危機管理体制と対応策を、真剣に話し合うべきです。
◇
そりゃ、ヤクザが地下マフィア化したような犯罪集団も
「東京直下震災が起きたら環七周辺で盗み放題で暴れ回るぞ、どうせ警察も手が回らない」と公言もする。
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120318/1332007133震災時の都心・都市部を『犯罪天国』にする計画
http://diamond.jp/articles/-/16673
“巨大地震連発で被害総額100兆円超”に耐えられる?
財政破綻しかねない「スケール感なき防災対策」の罠
――目黒公郎・東京大学教授インタビュー
今回被災した地域内で最も大きな都市は仙台市だが、中心部が大きな被害を受けたわけではなかった。首都圏も被害を受けたとはいえ、損傷程度は軽微であったので、それぞれ被災地を支援することができた。だが、首都直下地震や東海・東南海・南海地震が起こった場合には、高い人口密度と重要な機能が集約するエリアが被災地になる。
その意味とスケール感を理解できていなければ、対応はうまくいかない。
つまり
まさに
「東日本震災の被災地対応や、福島原発事故の時と、まったくおなじドタバタ混乱・機能麻痺が起きる」
とはいえ、人間は自分が想像できない事態への適切な備えや対応などは絶対にできない。そこで、スケール感の理解とともに重要になるのが、災害状況の想像力、すなわち「災害イマジネーション」だ。これを首相や首長をはじめとした政治家や行政、研究者やマスコミ、そして一般市民が、それぞれの立場で持つべきだ。
防災は、「他人事(ひとごと)」をいかに「自分事(わがこと)」にできるかが大切。現在は、災害時に「何が起こるかわからない」、だから「何をすればいいのかわからない」、だから「何もやらない」というスパイラルに陥っている。これを断つために、災害を自分事として捉え、状況を適切に想像する能力、「災害イマジネーション」が不可欠なのだ。
私は、被災者生活再建支援制度が設立、改訂されていく中で、ずっと言い続けてきたことがある。それは次のようなものだ。
「起こって欲しくはないが、この制度の下で最初に起こる地震災害が数十万棟の全壊・全焼建物を生じるようなものであれば、自助努力を前提条件としない支援制度の『問題』を多くの人々が認識できるだろう。なぜなら、これが被害抑止に全く貢献しないばかりか、莫大な予算を必要とすることがはっきりするからだ。
問題は、数百〜数千世帯程度が支援を受ける程度の地震が起こった場合だ。マスコミは支援を受けた被災者に支援制度の感想を尋ねるだろう。支援を受けた被災者は、タックスペイヤーの視点はなく、タックスイーターの視点から、『支援は本当にありがたい。このような制度があって本当に助かった』と涙ながらに答えるだろう。
マスコミはさらに質問を続ける。『この制度に関して何か要望や意見はありませんか?』支援を受けた被災者は、『300万円はありがたいが、これだけでは不十分だ。何とか増額して欲しい』と答える。このような発言を受けて、マスコミや一般社会、そして政治家はどう対応するだろうか?
現在の地震学的な環境と地震被害のメカニズムを十分理解した上で、タックペイヤーの視点から適切に発言している人は限られている。残念ではあるが、『もっと増額すべきだ』的発言や世論が出てくることは想像に難くない。被災者が傍らにいて、このような議論になった場合に、この流れを止めるのは容易ではない。だからこそ、今、タックスペイヤーに対して、責任ある説明ができる制度を十分議論しなくてはいけない」
◇
◆阿川弘之『大人の見識』を読み解く
・海軍省の法律顧問、杉田主馬書記官は、日本敗戦まで海軍の中枢部におられたが、ある時私にこう語ってくれた。
「今の若い人はむろんのこと、君たちだって信じられないかも知れないが、よき時代の海軍には、
日本の他の社会で見られない実にのびのびしたリベラルな空気があった。
自由討議とユーモアが貴ばれ、杓子定規は嫌われました。自分の意見が正しいと思えば、誰の前で職務上どんな激しい主張をしても咎められなかったし、また、正しい意見がよく通った。
だから、あの時代の海軍を知る者が戦後三菱あたりへ再就職して、大会社というのはこんなに封建的で上に遠慮のある窮屈なとこかと、みんな驚いた」
◆斉藤健『転落の歴史に何を見るか』を読み解く
・日本の組織は、創設当初は独創力もあり人事も柔軟で、優れた対応能力を示す。
しかし、20年、30年と時間が立つにつれて意志決定がゆがんでくる。
とかく、人間関係や過去の経緯など本質でないところを拠り所として、重大な判断が行われるようになりがちだ。だから、つねに、何が物事の本質かを追求するように個々人が心掛けると同時に、組織のシステム、風土も常にそこに意を集中しなさい、ということ。
・明治の元勲たちの世代の特徴は、彼らが、武士の最後の系譜に属する存在だったことである。
武士と聞くと、まず軍事専門家を頭に浮かべてしまいがちであるが、封建社会における武士は、単なる武人ではなかった。
その本質は、政治、経済、社会、教育、科学といったさまざま面において責任を有するジェネラリストの統治者、つまり政治家であった。
・中津藩の下級武士の家に生まれ、32歳で明治維新を迎えた福沢諭吉は、論語、孟子、世説、左伝、戦国策、老子、荘子の講義を聴き、
また独学で、史記、前後漢書、晋書、五代史、元明史略という歴史書を読みあさった。
なかでも左伝全15巻は11回読み返し、おもしろいところは暗記していたという。
・こうした背景により、一朝有事ともなれば、彼らの思考は、政略、外交、諜報、金集めなど広い分野を自由に飛び回り、明確な目標のもとに手段を体系化することができた。
※コメント
世界には、スペシャリストでもあり、ジェネラリストである指導者がいる。
両方を兼ね備えたリーダーこそが、広い視野で決断できるのだ。
歴史を学び、経験を積み、信頼感のある指導者の出現が日本でも求められている。