http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120705/234176/
奇跡のNPO、グリーンバレーの創造的軌跡(3)
「多くの地方は補助金を積んで、『企業に来て下さい』と言うとるでしょ。その中で民間のNPOが勝手に始めたことなのに、カネももらわんと神山に企業が来るということ自体が面白いと思わん? 皆が苦労していることを、カネをかけずに知恵でやる。そういうのが楽しくて仕方ない」
最初の移住者は神山町神領で「薪パン」を経営している上本光則だった。ふっくらもちもちの食パンやカンパーニュ、フランスパンなど薪パンのパンは20〜30種類。午前11時には売り切れてしまうほどの人気を誇る。
大阪のカフェで石窯パンと巡り会った上本。そのままパン屋に転職すると、本格的にパン作りを学び始めた。だが、激務が祟って手を痛め、1年足らずで店を辞めることになった。
「田舎でゆっくり暮らそう」
そう思って、インターネットで移住支援を調べていると、イン神山に出会った。神山町の自然環境が一目で気に入った上本は空き家を借りて、長女と一家3人で移住を決めた。2008年10月のことだ。
築150年の古民家もカフェ&ビストロにその後、日曜大工で空き家を修理、鮎喰川の青石を拾ってはセメントで固めてパン焼き釜を作った。オープンは2010年春。家の修理とパン焼き釜の製作に1年半もかかったことになる。
もっとも、ゆっくりできたのは開業まで。オープンすると、石窯と薪で焼き上げた上本のパンは神山町はもとより、県内でも有名な存在になった。
「『もっと作れ』とお客さんに怒られるんですが、ぼく1人ではこれが限界で・・・。のんびりしたいと神山町に来たのに、全然のんびりできません(笑)」
そう振り返る上本。今のところ、ここの生活には満足している。
高城剛『人口18万の街がなぜ美食世界一になれたのか』
・スペインのバスク地方にある人口18万人の小さな街、サン・セバスチャン。
いま、ここは世界中から美味しいものを求めて人が集まる「美食世界一の街」として知られる。とくに観光資源のなかった街がなぜ、たった10年ほどで変われたのか。
その背景には、美食を売りに出す徹底した地域戦略があった。
・観光の目玉になる世界遺産や美術館もないこの街は、集客の目玉として「美食」に焦点をあてた。
元々、海の幸も山の幸も豊富な場所だったが、それだけでは他と争うことはできない。
そこで90年代にはじまったのが「ヌエバ・コッシーナ」と呼ばれる食の運動。「ヌエバ・コッシーナ」を直訳すると、「あたらしい食」だ。
当時、この地の若いシェフたちは、いままでになかった、類を見ないあたらしい料理を作ろうと考えた。
・若いシェフたちは、レシピを口外しないフランス料理に代表される古典的なシステムとは対照的に、
あたらしい技法やレシピをお互いに教えあい、また、伝統に囚われず、
旅をして見つけてきた世界中の食材や調理方法を取り入れ、
見たこともない料理を次々と作り上げることに成功した。お互い教えあいながら、さらにレシピを共有する「料理のオープンソース化」が幸いして、
この地のレストランのレベルがいっせいに上がりはじめた。
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