http://www.menscyzo.com/2011/10/post_3094.html
スフィアストーカーブログについて 週刊誌記者「プロの記者の仕事に見えます」 業界関係者「ここまでくるとやりすぎ、何かしらの対策をとらなければならないかも」
「単なるヤッカミか、またはそれを潰すための勢力が人を雇ったんじゃないか、とは言われてますね」(週刊誌記者)
たとえ大物で無くても、TV出演常連の芸能人やアーティストに向かって同じ事をしたら今頃、裏社会的にはカチコミ合戦、表社会では謝罪だの告訴だのマスコミ大騒ぎだの…
「相手をみくびったナメた行為」であり
相手がおとなしいままだとタカをくくっており
ただうやむやに沈静化するような、生やさしいものでは無いのは確か。
非常に短絡的で知恵の足りない犯行。
いわば海老蔵を殴ってけっきょくは別件でまた暴力事件おこして収監されるに至った件ともダブっている。どこか頭が足りてない。
テロ的な迷惑沙汰をふっかける犯行手法は、
結局は、
『共倒れ』になるのだ。相手も倒れるが、自分も無傷ではいられない。
諸刃の剣
人を呪わば穴二つ
また、表社会裏社会、いい人悪い人、いずれもこのような事態は重く見るようにして
そうなるよう、誘導してやらんといかん。
もはや戦争やテロでは無い。やっとそういう時代を達成しつつあるでは無いか。守れ。
・自分だけが無傷では済まされない
・自動的に因果応報で跳ね返る、実害の共有を意義無くされる
・相手も、深刻にやられるほどに、深刻に反撃し返そうとする
・一人を1万人でやっつけると簡単なようでも、因果応報や反撃は1万人集団が受けるのだ…甚大被害となりやすいし、組織とは上の人間が優先して狙撃され、上の人間が斃れると組織壊滅の危機、殉死を余儀なくされる…数の論理は時に破綻する
・「みんなが、国が、社会が、」と断言してあいてをやっつけた場合、それがえん罪であった時に責任をとらされる場合、もしくは単に反撃される場合、「みんなが、国が、社会が、」受ける被害規模とは…という概念。『巨大な力ほど慎重に』と窘められる由縁かとも
戦争が当たり前のビジネスで慣習だった時代は、それで済まされたが
いまはその連鎖サイクルが崩壊してきている。
そこを理解しないままの昔ながらの粗暴連中が、いまだに武力暴力をふっかけているが…
それでは、現代社会が崩壊するぞ…わかると思うが。