一カ所に集約されてるとシーベルトで拾えるが
土壌1m3あたりだと、そうはいかない。
だから新座市で、地面を覆うシートを、測っただけでは数値は出ず、
シートを丸くたたんだらものすごい数値が出た。
和田付近や成木の都道軍畑線なんかは雨どい線量が高いけど(青梅駅付近の2倍以上)
奥多摩町では、そんなシーベルト線量計で高く出るようなスポットはまだお目にかかってはいない。
ベクレルは飲み水や食品に関わりやすいので、気になる人は業者にベクレル調査を依頼するといい。土などを資料として一定量採取し、業者に送る。大学など研究機関でもいい。
http://ameblo.jp/misininiminisi/entry-11272346540.html
東京都奥多摩町古里の黒い粉から31743Bq/kg 検出
Cs-134 12,962 ± 1,296Bq/kg
Cs-137 18,781 ± 1,878Bq/kg
Total 31,743 ± 4,489Bq/kg
kg ⇒平方メートルに変換 2,063,295Bq
(表土5cm採取した場合)
やはり半減期2年のCs134ha微減だね…精製時は137と半々で存在するはずなので。
黒い粉=藻類なので、こいつはセシウムをどんどん集めやすい、コケや芝生と同じ作用を持つ。
なので、表土付近の藻類だけがことさらにセシウムをキャッチして体内に封じ込めており、地中から土を採取してもこんなに高い値は出ない。あくまで10cm四方ぐらいの土をサンプルで計測し、mあたりに換算しているだけだ。
データを読み解くには、このように、頭を使う必要がある。
◇
福島県ではやくも、ヨウ素被曝による甲状腺がんの疑い例…事故後の急性被曝症状が続いた患者さんであった。
先月末の中通り〜飯舘村方面の線量調査のエントリー記事を見てもらえばわかるが、現地入りして直感したのは「郡山市内ですら、現地民がノーマスクで普通に暮らしていることに、重大な疑義を感じた」
経済なんか守ってる場合ではない…1年以上後の今こそ強く感じる。
がん化にはおおまかに二つのプロセスが考えられ
・ビーム被曝が続いたことによる細胞がん化
・被曝によって全身が衰弱し、抵抗力が落ち続けたことで、あらゆる持病が急速に悪化し、その中にがんの進行も含まれた
甲状腺乳頭癌−郡山から避難した30代女性
院長の独り言
http://onodekita.sblo.jp/article/55872777.html
2011年3月11日〜15日昼まで郡山市
3月16日〜4月4日まで沼津。
4月5日〜23日まで猪苗代や那須に滞在。
4月24日〜9月*日まで会津**町に引越し。
9月*日〜2012年1月*日沼津へ移住。
1月*日〜現在 大阪以西へ移住。
食事と水には相当気を付けていました。現在もです。
2011年7月*日A病院(会津若松市)
(喉が痛く、痰、下痢も止まらず、体重も減り、だるい、眠い、もしかして?と思い内分泌科を受診。エコーで5ミリの腫瘍
日本は山ばっかりだからねえ…セシウム金庫だよねえ…スイス政府も国土が山ばっかりだから原発やめようと思ったわけで。
http://mainichi.jp/select/news/20120425k0000m030103000c2.html
86年4月26日の事故後、ソ連当局は原発周辺の汚染土壌を地中へ埋めたり
、汚染した機械を洗浄してから溶解したりするなど大がかりな除染活動に取り組んだ
。しかし、事故から14年後の00年に最後まで稼働していた3号機の運転が停止され、
やがて土壌の除染も「状況はほとんど改善されていない」と判断し、打ち切りを決めたという。
市当局は全域で、学校や住宅の屋根を取り換え、敷地の土壌入れ替えを実施。
主婦のワレンチナさん(53)宅の敷地もコンクリートで舗装された。
市の担当者は20年で放射線量が半減したと成果を強調。
市の人口は90年代初頭の約8万人から約6万7000人へ減ったが、
回復傾向にあると主張する。だがワレンチナさんは00年、当時48歳だった夫をがんで亡くし、
家族の健康被害も相次いだ。
ウクライナ政府職員で放射能問題専門家のタバチニ氏は
住宅の除染について
「住民の緊張を和らげる以上の効果があったとは思えない」と話し
、「コロステニでは放射線量を年間1シーベルト下げるために
100万ドル近くを投じる結果となり、費用対効果が悪かった」と指摘している。
◇
やはりな…我らがヒーロー木村先生、そういうことだったか。
先生をお手本に、いまはおれも防護装備で福島県内を巡回している。
原発の爆発直後、都内のマンションの床から1mで1μsvあったと。茨城の守谷で3μ…
http://mak55.exblog.jp/15953336/
木村真三氏
4月22日テレビ講座「福島で日常を暮すために」
http://www.youtube.com/watch?v=o_EbpCtX2BQ
年間5mSvまでは許容範囲だとのスタンスでしょうか?
NHK-ETV特集で「二本松の除染」を扱った回で「除染しても住めない」
と言いたかった内容が、NHKの編集偏向で「除染すれば住める」と
されて憤り、以降NHKとは決別した経緯があり
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/2809240.html
(澤井氏)今福島の20mSVの問題で、校庭の問題など出てきているが、あの対応をどう見るか?汚染の高い校庭の土などを除去するのは?
(木村氏)賛成です。表層から5cmまでが高くなっている。調査で出ている。10cmあたりまで最大濃度が移行している地域はあるが、校庭等であれば、5cmくらい剥ぎ取ったものを原発に持って行けばいい。
(澤井氏)ひっくり返すのは?
(木村氏)絶対やめたほうがいい。それはチェルノブイリで失敗してきた。ひっくり返せば、確かに見た目の放射能濃度は下げられる。しかし半減期30年のセシウム137が地中にどんどん浸潤していき地下水汚染になる。セシウム137は今回非常に量がすくない。ストロンチウム90は特に水と親和性があるのでどんどん下にいく。10年後くらいから、チェルノブイリ地方で地下水汚染が出ている。それは非常に気をつけてほしい。僕はひっくり返すのは反対。
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/2809228.html
(NHK ETVディレクター)から電話があり、
七)「大変なことになったが、一緒にやるか?」
木)「やれますよ」
七)「研究所どうするの?」
木)「それはちょっと落ち着いて」
翌日会って、放射線防護はこういうものだと全て実物を見せ、こういう風にすれば大丈夫だと七澤さんに話をして、翌日NHKに来てくれと言われて行った。その時に
「大丈夫か?」と言われて
「ご安心ください。辞表を出してきた」
月曜日14日にメールが来て、電車が来なかったので通勤できなかった。メールで通知文がきて、
「本省ならびに研究所の指示に従って動くこと。特に放射線関係の人は専門であろうが一切勝手な行動は慎みなさい」
このメールで「辞めよう」と決意した。
(澤井氏)もう何もするなということ?
(木村氏)「辞めよう。こんなところに居たって仕方がない」
それはあくまでも幹部が通達してきている。幹部の人たちが自分の保身のため。
(澤井氏)研究所の幹部?
(木村氏)そうです。幹部と言うのは、理事、理事長、企画の部長、主席の方々が決めたことなのでしょう。
(澤井氏)何もしないで、家にいなさいと。もったいないですね。
(木村氏)存在理由がない。東海村臨界事故でやってきたことが、フィードバックできないし、さらにチェルノブイリの中でも事故調査があって、どういうことがあってとやってきたにも関わらず、本当に知っている人間が現地に行かないでどうするんだ。もちろん国の組織・機関は緘口令がしかれるだろうと経験済み。正しい情報を発信しないととてつもなく大変なことになる危機感がある。だから、とにかく早く行きたかった。
(木村氏)そうです。あれは、たまたま東京にも来るかもしれないという話を今中さん(京都大)ともしていた。「現地でまずは、ヨウ素量がどのくらい出たかの推定値がほしいので、うちに一台あるから引っ張ってみるか?」「では貸してください」となって、送ってもらった。送ってもらって試運転しようとした。試運転した時に七澤さんから電話があり、
七)「今横浜だけど、0.3μSV/時あるけど本当?」
木)「えー!でも到達してます、多分。」
僕は自分で測定器があって、七澤さんには小型のほうを貸していた。大きい方で測定したら、家で1μSVあった。
木)「1μSV超えてます。これはいかん」
測定をそのまま続けて、1時間空気を測定したものを翌日(京都大へ)送った。
(澤井氏)まず福島、最初に行かれたのは?
(木村氏)15日。常磐自動車道を走っていたが、守谷ICで3μSVあった。
ただ、多分高濃度の放射能の雲が気団となって、いくつか通過していっているその最中に居るんだろうなという感覚はあった。
それは放送されていたとおり。10km圏に入る手前にトンネルが二つある。そのトンネルを越えた瞬間に10μ、20μとポンぽんぽんと跳ね上がっていった。それで、「あ、とてつもないところに来たな」と、その時少し緊張感が出てきたが、まだまだ僕の経験の中ではMax300μSV/時。東海村の時です。だから、まだまだと余裕があった。冷静に測定しながら、どこでサンプリングしようかと行って、原発から4km地点で針が振り切っているのに気づいた。300μ振り切っていた。「これはヤバイ」と初めて危機感を持った。車の中で300μSV/時を越えているということは、かなり高い。
もちろん放射線防護に対して、皆さんは普通の花粉症のマスクをつけられている。あれでは、放射性ヨウ素がガス状になっていたら、全然トラップされないし、意味がない。活性炭五層構造で全部活性炭で吸着する形で、ドライバーさんなど全員やった。実はタイベックススーツも持っていた。タイベックススーツを使うかどうか迷った。
毎日使い捨てになる。ごみを増やしてもいけない。で、考えたのが、ゴム引きのカッパ=レインコート。なぜゴム引きかというと、ゴム引きは今ほとんど作られていない。天然ゴムのもの。ゴムは完全に空気を遮断させる。薄手でもある。そうやって働く人々のための店がいっぱいあるので、そこで購入した。
(澤井氏)もちろんゴム製を買って・・・。
(木村氏)それを着て、空気が出入りしそうなところは、ガムテープで縛って、入って来れないようにする。実は、カッパ着てやってるなんて思われがちだが、あれはものすごく効率的で、再利用も可能。よく計算した上で使っている。しかも空気が入ってこないので、内部被曝が起こらないように処理した上でやっている。放射線防護のプロから見ると、間違いない。
(澤井氏)今マスクの話があったが、福島の現地の方は5重構造のマスクなど手に入れられない。皆さん普通に花粉用とかが現状だが。
(木村氏)今はそれで大丈夫ですよ。
(澤井氏)今はね。でも15日16日とかその時は、もしかして中に取り入れてしまった、相当に・・・。
(木村氏)家に居てもあるから、それは避けられなかっただろう。今回の事故で僕が一番思うのは、中学生までの小さな子供たちのマスク、中学生は大人のマスクでいいが、小学生や園児などの小さな子供たちに対するマスクが少なかったこと。しかもそれ用の活性炭マスクさえあれば、かなり防げたのではないかと思う。
(木村氏)僕の家族では、15日に自分で検出した時点で、あらゆる限り僕の知っているところ、小さな子供をもつ家庭へは全部電話をしている。
「とにかく自宅退避知り合いに伝えて。」
事故を想定して、妻に専用マスクを預けていた。子供には切って使うよう指示した。その上からマスクをしろと言った。そういうことをすれば、小さい子供でもなんとか耐えられる。しかしこれは、「避難をしなければいけない状況になったらそうしろ。家に居る時は我慢しなさい」と指示した。
(澤井氏)東京の場合は自宅退避である程度問題なかったと。
(木村氏)そう思いました。多分そういう気団が抜けていけば、必ず収束すると思っていた。現にどこかへ避難する必要はないと思っていた。
(澤井氏)場所にもよるが。
(木村氏)僕の住んでいたところ=測定地点はかなり他よりも高かった。それでも外に出て避難しているほうが危険だったと思う。動き回るより、家の中にきちんと居てじっとしていれば通り過ぎるから、感覚的には夕立と一緒。じっとすることが一番大事。
車内で地表1mで300μだから、屋外地表面はミリシーベルトか。
◇
中通り方面を計測にいった先月末、やはり那須以北、福島県内になると「ムキになって追い越す」のはだいたいが、職工を数名乗せてるライトバンやミニバンだった。どこの地方でも田舎に行くとそういう短気で理不尽な運転手が増えるけどね。どうせすぐ先で信号待ちの列に引っかかるのにな。小型二輪や原付というだけでアレルギー反応している。
こないだの帰り道だわ。
http://mainichi.jp/select/news/20120609k0000e040223000c.html
交通事故:トレーラーと衝突、ワゴンの5人心肺停止…福島毎日新聞 2012年06月09日 13時12分(最終更新 06月09日 13時50分)
9日午後0時15分ごろ、福島県二本松市針道来ケ作の国道349号で、大型トレーラーとワゴン車が正面衝突した。県警二本松署によると、ワゴン車は大破し、乗っていた5人は心肺停止。トレーラーの運転手ら男女3人が負傷し、病院に運ばれた。現場は片側1車線の直線道路。
事故現場近くにある金属製品加工会社の久野浩二社長(50)によると、事務所にいる時に「ドーン」という大きな音がして、国道に出ると大破したワゴン車と運転席がつぶれた大型トレーラーが止まっていた。ワゴン車の後ろを走っていたドライバーは「ワゴンが下り坂を走りながら対向車線にはみ出し、トレーラーにぶつかっていった」と話していたという。現場は直線で、路面は雨で少しぬれていた。久野社長は「福島第1原発事故後、県外の工事車両などが増えて、危険だと感じていた」と話す。