先従隗始・温故知新

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東電TV会議が証明した『震災後、打つ手なし』

地震で破損し不動になった設備もある
津波をかぶって使えなくなった設備もある
・電源がなきゃ動かない設備が大半
・大地震だけでも鉄塔は倒れ、復旧作業しようにも各地の道路は壊れ大渋滞で無理


まだ箇条書きすればいくらでも出てくるが「とにかく無理」を証明する補強にしかならない。


・震災がくれば大津波がくる、次に必ず原発爆発がくる『3点セット』
・震災が原発を襲うと設備が壊れる、津波でも壊れる
たとえ電源喪失が限定的で済んでも、それで爆発事故レベルにならない保証などない。事故も回数をこなさないと統計が出てこないから。・・・つまり「地震だけで原発爆発」の可能性も低くないとみるべき。
地震津波電源喪失の、どの時点でも爆発はあるとみるべき。
震災だけでも設備は壊れ、道路網は寸断され、災害対応であちこちの部署は人員を割けない。


ヒトがモノが、足りない、集まれない、移動できない…
まして爆発寸前の原発からは逃げていく作業員や社員も多く、所長もそれを止めなかった。


やばいのは西日本と北海道だ。
・都市部のすぐ近くに原発
・西から東の日本の風雲の流れから、西日本の原発爆発は関東東北まで到達、汚染の大半を陸地が占める=福島は半分が海洋汚染
・北海道の原発は西端にあり、東への風は広大な農地と漁業域を汚染していく。


蛇口をひねるとお水が出てくるようなシンプルな設備ではないのだ・・・まるで自動車のように無数の部品、設備を組み込みすぎている。そして大半が電気製品。あるいは気圧・ガス圧作動なので配管が割れると使えない(福島3号機ベント不可の要因)。
電源喪失などで炉心へ水が供給できず、配管もあちこち壊れ、内圧次第に上昇、会議しても提案なし無言…フクシマの二の舞は今後いくらでもありえる。
エアバッグだのアイサイトだのいくら対策をしても想定を超えて事故るのが普通だ。まして車は人間の生活レベルなので小さいが、原発は中央集権な一極発電なので大きく海岸立地で大自然を相手にしている。

http://astand.asahi.com/webshinsho/asahi/asahishimbun/product/2012091000006.html?iref=chumoku
時間空費、打つ手なし! 福島原発事故・東電テレビ会議記録の真実

2012年09月14日
(10800文字)
朝日新聞



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 東京電力はなぜ、炉心溶融と水蒸気爆発を防げなかったのか。大量の放射性物質が飛散するなか、楽観的な情報をメディアに流し続けた背景には何があったのか。テレビ会議記録に映し出された映像には、東京本店の理不尽な要求や問いかけに混乱する事故現場の姿があった。過酷事故への備えを怠り、打つ手もなく時間を空費し、被害を拡大させた事故直後の数日間を徹底検証。安全神話の瓦解と隠されていた真実が明らかになる。

◇一日空費、3号機暴走/手詰まり、逃げるしか
◇2・3号機溶融、防げたはず
◇東電に原発任せられぬ
◇人命かかる対応、議論を
◇部分開示の49時間分を検証、60万字に
一日空費、3号機暴走/手詰まり、逃げるしか

 原発暴走中と思えぬ緩慢な対応。戦略性のない物資補給。現場への理不尽な要求。東京電力が開示した福島第一原発事故テレビ会議記録から見えたのは、失策を重ね、事態を悪化させる、人災の断面だった。(肩書は当時)

13日午後。「自衛隊に頼みパネル吹っ飛ばせば」

 ――「燃料が露出してからしばらく時間経ってますので、炉心溶融となっている可能性があります」。1号機が爆発した翌日の2011年3月13日、東電は最大限注意する必要があった3号機の炉水位の低下を見逃した。



 炉心溶融を防げなかった原因の一つが、圧力容器に水を送り込む高圧注水装置(HPCI)の停止に気づくのが遅れたことだった。
 「えっと、それから変わったことがあったので連絡しますけど、3号機。HPCIがですね、2時44分にですね、いったん停止しました」――。後の調べで実際の時刻は3月13日午前2時42分とされている。吉田昌郎(よしだまさお)所長の停止の報告は3時52分で1時間10分も遅れた。
 原子炉の圧力が5倍以上に上がり、消火ポンプでは水が押し返されて注水できなくなっていた。ホウ酸水注入装置が高圧注水装置に代わるものと期待されたが、電源ケーブルが破損して使えなくなっていた。
 注水には原子炉格納容器の圧力を下げる排気作業、ベントが必要だった。しかし、午前5時23分、福島第一原発から「すみません、すみません、吉田さん。弁を(開けるために)至急、ボンベを換えてあげなきゃいけないんで、これ30分ぐらいかかる」と、ベントが遅れるという報告があった。作業はずれ込み、ベント弁を開けられたのは炉心溶融の報告の約30分後だった。
 さらに圧力容器の蒸気を抜いて圧力を下げる主蒸気逃し安全弁(SR弁)を開き、消防車による注水に成功したとき、時計は午前9時20分を回っていた。

 ――午前9時42分、吉田所長は燃料損傷を念頭に3号機の水素爆発の心配を口にした。以降、テレビ会議で水素爆発対策が延々と話し合われた。良い案は出ず、3月13日はほぼ丸1日が無駄に過ぎた。

 「(3号機でも)1号機のようなこと、爆発などが起こる可能性があると思っているので、例えば(開ければ水素を逃がせる)ブローアウトパネルを開けるなどの対策を考えること、こういう指示がきております」。原子力安全・保安院から指示がきた。
 しかし、午後1時36分、それは難しいと判断した。
 「ブローアウトパネルを開けるとか色々考えましたけども、物理的にあるいは安全上の問題から難しい」
 「上の方からヘリコプターで来て、突き破らせる、そちらの方も選択する余地もあるかと思います」「荒唐無稽だけど、自衛隊に頼んでさ、火器でパネルを吹っ飛ばしてもらえば」――。午後2時45分以降は、本店でも福島第一原発でも、言いっぱなしの意見が飛び交うだけになった。
 3月13日の夕方から夜にかけては、ガソリンや水の不足も深刻になり、物資の確保に議論が移った。
 午後10時40分以降の話題の中心は計画停電だった。
 「政府の関係各省とか、それからいろんなとこからですね、自分のところはとにかく外してくれっていう要望がものすごく来てます。それに応えてるとですね、せっかく計画停電しようとしていた量がすべてなくなってしまいます。安易にまずOKは絶対に言わないでください・・・
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