先従隗始・温故知新

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産経版 吉田調書


その一部抜粋


政府も公開に踏み切ったが…実際はどうなるか。


前回
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20140523/1400762711
吉田所長の遺産…政府事故調『吉田調書』


 ◇


http://sankei.jp.msn.com/politics/group/politics-25584-g1.htm

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140819/dst14081911010006-n1.htm
【吉田調書抄録(2)】


 東京電力福島第1原発事故で、所長として現場の指揮を執った吉田昌郎氏の聞き取り調査をまとめた「吉田調書」。2回目は、原発への海水注入に関する吉田氏の証言をまとめた。

 〈全交流電源を喪失した福島第1原発では、東日本大震災翌日の平成23年3月12日午後、炉心の状態が分からなくなってきた〉

 −−水位計がおかしかったと

 吉田氏「間違いなくおかしかった。そこを信用し過ぎていたという所については大反省です」

 −−水位計が信用できないと思い始めたのはいつか

 吉田氏「水位計そのものよりも放射線量が上がっているのがおかしいと。普通に冷却が効いていれば、水位はあって線量が上がることはないわけですね。想像からすると、燃料損傷に至る可能性はあるなと」

 〈燃料を冷やす淡水が尽き始める。通常は水につかっている燃料が露出すれば炉心溶融メルトダウン)に至り、放射性物質が拡散する。現場では、苦肉の策として海水を投入する準備が始められた〉


 −−最初の海水注入の指示は3月12日午後2時54分か

 吉田氏「書いてあるものとしては最初になるが、この日の午後から海水注入をする準備をしておきなさいということは言っております。3号機の逆洗弁ピット(くぼ地)に津波の時の海水が残っている。かなりの量があるというのを聞いて、そこから取るしかない。注水しようと最終決定したのが午後2時54分で、もともとの検討はその前にやっている」

 −−海水注入はテレビ会議を通じて東電本店の人と話し合ったのか

 吉田氏「誰かに聞いたと言うより、淡水をいつまでやっていても間に合わない。だから海水を入れるしかないと腹を決めていましたので、会議で言ったかどうかは別にして消防班に海水を入れるにはどうすればいいのかと検討させた」

 −−本店は把握していたのか

 吉田氏「細かい状況については報告していなかったですね。(テレビ会議の)音声切っていますよ」

 −−切れるんですか


 吉田氏「切れる。図面を持ってきて、ポンプ何台か、消防車何台あるんだと検討している。それなら別にいちいち言う必要はないわけで。本店に言ったって、逆洗弁ピットに海水がたまっているなんていう情報は100万年経ったって出てきませんから、現場で探すしかないわけですね」

 −−炉の中に海水を入れる経験は聞いたことがあったか

 吉田氏「世界中でそんなことをしたことは1回もありません。ないけれども、淡水が有限で、冷やすのに無限大にあるのは海水しかないですから、もう入れるしかない」

 −−海水を入れると機器が全部使えなくなるからお金がかかるとは思わなかったか

 吉田氏「全くなかったです。もう燃料が損傷している段階でこの炉はもうだめだと。再使用なんて一切考えていなかったですね」

 〈12日午後3時半に海水注入の準備が完了したが、その6分後、1号機が水素爆発したため中断。再び準備が整ったため、午後7時4分に海水注入を開始した〉


 −−海水注入開始はこの時間でいいのか

 吉田氏「いろいろと取り沙汰されているが、注入した直後に官邸にいる武黒(一郎・東京電力フェロー)から電話がありまして、官邸では海水注入は了解していないと。だから海水注入は停止しろという指示でした。本店と話をして、やむを得ないというような判断で止めるかと。うちはそんなことは全く思っていなくて試験注入の開始という位置づけです」

 「ただ私はこの時点で注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから、いつ再開できるか担保のないような指示には従えないので私の判断でやると。担当している防災班長には、中止命令はするけれども、絶対に中止してはだめだという指示をして、それで本店には中止したという報告をしたということです」

 −−海水注入は所長に与えられた権限と考えるのか

 吉田氏「マニュアルもありませんから、極端なことを言えば、私の勘といったらおかしいんですけれども、判断でやる話だと考えておりました」

 −−それを止めろというのは雑音だと考えるのか。本店との話し合いは

 吉田氏「何だかんだいうのは、全部雑音です。本店の問い合わせが多いんです。サポートではないんですよ。途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」(肩書は当時)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140824/dst14082417300008-n1.htm
【吉田調書抄録(7)】


 〈13日には3号機の爆発を避けようと、建屋にたまった水素を抜くためのブローアウトパネルの開放が検討された〉

 −−保安院からの指示として、パネルを具体的にどうしようかという話はしていたのか

 吉田氏「していました。パネルを開けないといけない。だけれども、(19年の)中越沖地震で(柏崎刈羽原発のパネルが)がたっと落ちて開いてしまったから、開きづらい方向に改造していたんです。どうしようもないわけですよ。だったら保安院来てやれ、馬鹿野郎と言いたくなるわけですよ。こんな腐った指示ばかりしやがってと。いまだにこのときのことはむかむか来ます」

 −−保安院の出先の事務所は

 吉田氏「このころはもういません。1人もいないです」


 〈菅直人首相ら官邸からも吉田氏に電話が入った〉

 −−菅首相との電話は

 吉田氏「菅さんとはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていたのが1点ですね」

 「それから、菅さんの脇に日比野靖さんという(内閣官房)参与がいた。ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、縷(る)々(る)ご説明をしたと」

 「もう1点は、警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話についてこう決めたけれども、所長はどう思うみたいな話をしてきたんです。知りませんと。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと。現場の判断ではないということは申し上げました」

 −−現場はどうなっているんだというので、ちょっと電話してみればみたいな話になると、所長のところに電話をするのが、東電の武黒一郎フェロー、川俣晋原子力・品質安全部長だったり、場合によっては細野豪志首相補佐官だった。どちらかというと、みんなで勉強会というか、そんな感じだったらしい。官邸で首相以下の指示がぼーんと決まって、これで行けとか、そんな感じではなかった

 吉田氏「勉強会だったんですね」

 −−いざ聞いてみると、みんなそういうふうに言う。別に司令塔ではないと

 吉田氏「しかし、何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」(肩書は当時)


しかし間違いなく言えることは


原子力専攻の菅総理より、
もし自民政権の時に原発事故になれば「菅政権以下」か、せいぜい同等ぐらいにしかならないということ。
勉強会にすらならない。


もし安倍政権で同レベルの原発事故が起きたとする。
安部総理は人間社会を相手に嘘八百を笑顔で言いまくる詐欺師としては優秀だが
原発事故という事象は、人間相手ではなくむしろ、自然現象の猛威そのものであるから
安部総理もしどろもどろの半べそで過ごすしか無い。


ただし安倍政権でわかるように自民政権はすぐだますし情報隠蔽もするし圧力もかける…
その意味ではマイナスが大きい。


もし安倍政権のときに原発事故が起きても
菅政権の真似が出来る部分があるので、卑怯な意味で有利でもある。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140825/dst14082509060002-n1.htm
【吉田調書抄録(8)】


 〈自衛隊、警察、消防が懸命の思いで注水活動にあたったが、高圧放水車や消防車は用途が違うため難航した。22日には新たにコンクリートポンプ車(通称・キリン)が導入され4号機で注水開始。27日にはキリンを3号機にも導入した〉

 −−(キリンなど)ああいうものはどうなんですか

 吉田氏「あれはいいです。あれが来て初めてちゃんと注水できたということです。筒先をプールの近くに持っていって入れますから、ロスがほとんどなくて全部水が入るというのがキリン以降の話です」

 −−これは東電なり本店からそういう話があったのですか

 吉田氏「(自衛隊、警視庁、消防庁の)ピュッピュン作戦は、効いたとしてもずっと続けないといけない。連続注水できるということでコンクリート注入車が使えるのではないかというのが本店からあって、キリン部隊というのを本店で作ってくれたんです。その連中が動かし方などをマスターして、やってみたらそれなりに水が入るということで、自衛隊さん消防庁さんのお世話にならずに済んだということです」

いや、キリンはインターネットで業者が
「これを使え!」
みたいな切り出しをしたのが発端だったはずで


あれこれあって本店へその提案内容が届いただけで


そういうことは、伏せちゃうのね…その業者が無償貸与したんだろ確か。


だいたいが米軍には、核ミサイル攻撃された時の専門部隊も、原発事故の専門部隊も、
その装備も豊富で、訓練も常にしている。


自衛隊原発事故専門部隊を今から作ったって遅い…
そして世界一地震津波が頻発する難所である以上
日本で原発はもう無理である。


こういっては何だが、ちょっと福島の田舎の方だけやけどして今回は済んだ。あれでもちょびっとで雀の涙だ。
次回が琵琶湖水源壊滅に関西中部関東とも高い汚染で居住不適、なんてならないうちに
撤退しておくべきである。いよいよ避難先すらなくなって、エヴァンゲリオンの世界そのまんまになってしまう。


 ◇


NHK

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0825.html
吉田元所長“猛烈に反省”と証言

8月25日 18時15分

戸来久雄デスク


東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場責任者として事故対応の指揮を執り、去年亡くなった吉田昌郎元所長。
政府の事故調査・検証委員会に対し、みずからの対応について「猛烈に反省している」と述べるとともに、吉田元所長に判断が集中した事故対応の在り方について課題を指摘していたことが分かりました。
吉田元所長は何を語ったのか、科学文化部の戸来久雄デスクが解説します。
吉田元所長の証言記録とは

去年7月に亡くなった福島第一原発吉田昌郎元所長は、生前、のべ28時間にわたって政府の事故調査・検証委員会の聴き取りに答えました。

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その証言の記録は400ページに及び、事故を検証する重要な資料と位置づけられています。
いわゆる「吉田調書」です。

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この中には、現場責任者の目から見た当時の厳しい状況がつづられています。
“猛烈に反省”

事故当日、最も早くメルトダウンした福島第一原発1号機では、すべての電源が失われた3月11日の午後3時半ごろから非常用の冷却装置がほとんど動いていませんでした。

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政府の事故調査・検証委員会の調べによりますと、夕方、現場の運転員が非常用の冷却装置が止まっていることに気づきますが、吉田元所長がその情報を把握したのは深夜になってから。
すでにメルトダウンは始まっていました。
翌日、1号機は水素爆発。
重要な情報を把握できていなかったことが、事故対応の大幅な遅れにつながったと指摘されています。

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これについて、吉田元所長は「猛烈に反省しているんですけれども、少なくとも、現場側からのSOS発信がこちらに届いていなかった」と述べ、非常用の冷却装置が止まっていることを疑っていた現場の情報を把握できなかったことを悔やんでいます。
そして、「IC(非常用冷却装置)は大丈夫なのかということを何回も私が確認すべきだったと、逆に言いますとね、今の時点に立って言うとそこは思い込みがあって、水位がある程度確保されているから大丈夫かなと思っていた部分があります」と話し、現場の責任者として判断を誤ったことを率直に認めています。
“撤退”か“退避”か

もう一つ、証言で注目されるのは、当時問題になった「全員撤退」ということばについてです。
3月14日の夜、吉田元所長は、多くの社員や作業員を退避させることを東電本店に相談します。

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当時の清水正孝社長は政府にその方針を伝えましたが、この際、必要な人員を原発に残すことを明言しなかった可能性が指摘されています。

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政府は「全員が撤退する」と受け取り、翌日未明に東京電力本店を訪れた菅元総理大臣は「撤退などありえない。命がけで事故対処にあたられたい」などと強い口調で述べたとされています。
一人歩きした「全員撤退」という情報。
吉田元所長は「全員撤退して身を引くということは言っていませんよ。私は残りますし、当然、操作する人間は残すけれども、最悪のことを考えて、これからいろんな政策を練ってくださいということを申し上げたのと、関係ない人間は退避させますからということを言っただけです」と話し、必要な人員を残すことは政府側に伝えたと証言しています。
第二原発への退避の真相は

このとき、吉田元所長が想定していなかったことが起きたといいます。
退避した社員や作業員が福島第二原発に向かったのです。
これについて、吉田元所長は「本当は私、2F(福島第二原発)に行けと言っていないんですよ。退避をして車を用意してという話をしたら、伝言した人間は運転手に福島第二に行けと指示をしたんです。私は福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまったと言うんでしょうがないなと」と話しています。
そのうえで、「確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しいと思ったわけです」と述べ、福島第二原発への退避は誤っていなかったという認識を示しています。
東京電力本店への批判も

証言の中で、吉田元所長は、東京電力本店側の対応も厳しく批判していました。

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3月12日、1号機の原子炉を冷却するため海水の注入に踏み切ったあとのことです。
東京電力の幹部は、総理大臣の了解がまだ得られていないとして中断するよう指示。
しかし、吉田元所長は、中断すれば原子炉の状況はもっと悪くなると判断し、海水の注入を続けました。
これについて、吉田元所長は「この時点で水をなくすなんていうと、注水を停止するなんて毛頭考えていませんでしたから。なおかつ中止だったらどれくらいの期間を中止するのかという指示もない中止なんて聞けませんから、いつ再開するんだと担保のないような指示には従えないので、私の判断でやると」と証言しています。

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そのうえで、「四の五の言わずに止めろと、そのときの電話だけはいまだに覚えていますけれども、それでやっていられないなと、私からするとそうなったわけです。だから論理根拠も何もないですから」と話し、現場の実情に合わない事故対応の在り方を厳しく批判しています。
今後への教訓も

証言からは、今後に生かすべき教訓も浮かび上がります。
3つの原子炉が次々にメルトダウンするなか、吉田元所長は、機材の調達から重要な判断に至るまで、あらゆる対応を求められました。

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吉田所長は「3つ暴れているもの(原子炉)があっていろんな情報が来て、判断しないといけないときに、もう分からなくなってしまうんですね」と証言するなど、さまざまな情報や判断が吉田元所長に集中した事故対応の在り方に大きな課題があると指摘しています。

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生前の吉田元所長と親交が深く、福島第一原発の所長を務めた経験がある東京工業大学の二見常夫特任教授は「事故のあと、原発の技術的な面の分析や再発防止のための設備の強化や改良に議論の重点が置かれているが、組織の在り方や緊急時の対策、管理なども真摯(しんし)に反省して改善していく必要がある」と指摘しています。
証言が社会に与えるものは

吉田元所長の証言記録について、政府は来月の早い時期に公表したい考えです。
原発と社会の関係を研究している社会学者で、福島大学特任研究員の開沼博さんは「これまでの報告書などには現れていない新しい知見を生み出しながら、この事故の教訓を別の視点から伝えていく、解釈をしていくことが重要だ。情報を公開することで、一部の人が特権的に解釈することが許されなくなり、客観的な検証に耐えるような議論が残っていくと思う」と、今後の議論の進展に期待を寄せています。
そのうえで、「政府がいろいろなことを隠蔽してきて国民の間に深い不信感を生み付けてしまったことが今回の原発事故の教訓なので、公開は必然的な動きだと思うが、公開したら終わりではなくて、ここから何を得られるのかということまで見ていくのがいちばん重要だ」と述べ、情報の受け手である多くの人たちが関心を持ち続けることの重要性を強調しています。

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今回明らかになったのはあくまでも吉田元所長の証言であり、今後、ほかの関係者の証言も公開されれば、原発事故の姿がより具体的に浮かび上がることになります。
未曽有の事故はどのように進展したのか。
危機に直面したときに組織はどうあるべきなのか。
貴重な証言の中からできるだけ多くの教訓を読み取ることが求められています。

元・所長の言葉も重そう。