先従隗始・温故知新

はてダからの引っ越し(http://d.hatena.ne.jpのURLからここへ自動転送されます)。元サイト:アニメイレコムhttp://kasumin7.web.fc2.com/ire/

福島の母子が汚染した故郷から県外移転した話


数回、2012に県内各地を巡ってきた現地の様子と、一致する。


郡山駅前ですら、まったくの第三者に事情聴取しても口が重く表情は硬い…
耳打ちで教えてくれるような人も、駅前なのに周囲をキョロキョロしてから教えるのだ、はっきりではなく、たとえ話で…
マスクをつけてる人が多いのはどうしてかと、それだけしか聞いてないのに…
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120715


2012の5月末は突風…飯舘村で突風を浴びてたらどんどん気分が悪くなって体に力が入らなくなった。N95マスクは隙間があった…
帰宅後は1週間は寝込んで無気力で吐き気がずっとしていた。
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20120601
7月に再訪すると、無風のせいかなんともなかった。


さらには…
http://d.hatena.ne.jp/geasszero/20111120/1321746738
震災年11月には大阪、福井までの線量計測調査に行ったが、
野宿の二泊にもかかわらず
どんどん元気になっていくのだ…なにか重石がとれたような。愛知県入りしたあたりから身も心も軽かった。
三重県で大雨に降られて雨具の中の服までびしょびしょでも、スタミナ充実で丸一日どうとでもなった。
あげくは野宿場所にいいのがなくてそのまま徹夜で帰宅してしまった。
片道700km以上


翌年に福島行きの時も、福島での時間を増やすために前の晩は野宿だが、前線基地は栃木県の氏家だ。
つまり野宿によって体調をくずす要因はない。
福島入りするとなんだかおかしくなる。突風だと放射能微粒子が舞い飛ぶためことさらひどい。
片道400kmぐらい
http://t.co/kpHBCFG3te

http://inventsolitude.sblo.jp/article/78443656.html
 私は、今年(2013年)1月、福島県中通りO村から4歳の子供と二人、新発田市自主避難してきました。O村には、祖母、父、母、兄を残してきました。
http://www.mapion.co.jp/map/admi07.html


少なくとも1年はがんばろうと思ったのです。
 でも、その頃から子供の具合がだんだん悪くなっていきました。病院に連れて行くと、風邪と診断されました。でも、いつまでたっても咳が止まらず、だるそうにしており、反対に悪くなっていくようでした。


 あるとき、除染の作業をしていた人から「ここは口で言えないほど汚染されている。俺ならこんな所には絶対に住まない」と言われました。役場ではガイガーカウンターの貸し出しをやっていましたが、役場の人から「地表から1メートル以上離して、30分以上そのまま立っていなければいけない。それにあくまでも目安で正確な数値は出ない」と言われました。


 妹夫婦が、すでに新発田に引っ越していて、電話をすると「今すぐ、引っ越しておいで」と言います。


反対に、祖母や父母や兄は「大丈夫だ。神経質になるな」と言いました。私は、シングルマザーで、そのことで迷惑をかけたし、そのぶん世話をするねと約束していたので、それからだんだん放射能の不安を家族に話せないような雰囲気になりました。特に、祖母は幼稚園バスまで子供の送り迎えをしたりして、それを張り合いにしていましたから、私は子供の体のことと板挟みで両方を裏切っているように感じました。


 村の中で、だんだん放射能について口に出せない雰囲気が広がっていきました。うっかりそのことを、友人に話して、「そんな気弱なことでどうするの」と怒られ、人間関係にもヒビが入っていくような気がしました。国は、除染、除染と言っていますが、それは除染して土を保管しておける休耕地のような空き地を持っている家の話です。私の家は、そんな余分な土地はありませんから、除染はしてもらえず、そのままにしてあります。風の強い日には線量計の数値が跳ね上がっていました。
 子供は、もともと外で遊ぶのが好きな元気な子で、ドングリとか草とか石ころとか大好きなのですが、「遊んじゃだめ!」と叱るのが辛かったです。
 家族は家で食べる野菜を全部作っており、それを子供に食べさせるのが楽しみです。その頃から、畑の周りのタンポポがみんな変で、50株も60株も同じ所から出て、その茎が全部くっついて異様に太くなってそこに見たこともないような大きな花が咲いて、気持ちが悪かった。田んぼに稗が大発生しました。あんなことは今までありませんでした。 野菜も今まで見たこともないような形のものがとれるようになりました。桃、トマト、トウモロコシ、タケノコとかそういうものを、巨大なシイタケとか食べさせようとするんです。家族は子供に食べさせるのが楽しみなので、食べないととても悲しそうな顔をするんです。干し柿なんかも、食べさせられました。他の家では、野菜や食物を作るのをやめて、花の栽培に代えたところもありますが、私の家族は頑固で、食べ物を作り続けました。
 そのころ、保養説明会というのがあって、そのなかで、放射能の危険があるので、干し柿は食べない方が良いというお話がありました。私は、このとき、初めて「ああ、放射能のことを心配してもいいんだ」と思って、そうしたら、知らないまに涙が出てきました。 それで、形の変な野菜の放射能を計ってもらおうと思って、役場に持っていくと、「役所が安全だと言ってるのが、わからないのか!母親がそんなことでどうするんだ!」と、逆にどなられました。結局、持っていった野菜は計ってもらえませんでした。


 放射能は禁句という空気はますます強くなり、幼稚園では外遊びを奨励、給食の食材も地元のものを使うという信じられないことが起こるようになっていきました。


 子供は気がつくといつも風邪を引いた状態です。鼻血をしょっちゅう出すようになり、いつも体がかゆいと言って掻いていました。桜祭りのときに、子供が裸足で水たまりに足をつっこんだんですが、数日経つと、足が腫れて膿がたまりました。医者は「風邪ではこんなふうにならないなあ」と言いましたが、放射能の影響については質問することができませんでした。病院でも、放射能を口にすると、鼻で笑われるような雰囲気がありました。クリスマスの日、朝から意識が朦朧として胃腸炎だと言われました。子供の視力がおかしいのに気づいて、医者に連れて行くと、屈折異常弱視だと診断されました。そのときから、子供はビール瓶の底のような厚い眼鏡をかけるようになりました。


 赤ちゃんからセシウムが検出されたお母さんの話を聞きました。母親としての喜びも奪われたような気がして悲しかったです。水道局で働く友人から5月にビーフシチューからセシウムが出たとか、9月に福一牛乳を飲んだ子供が全員嘔吐したとか言う話を聞きました。
 そういう話は口止めされているんですが、耳を塞いでいても自然に入ってきます。


毎年、幼虫からカブトムシを孵している人で、みんな奇形になって死んでしまったとか、50代の人で腸にポリープができたり、穴があいたとか、病院に行ったり入院するようになった人の数は間違いなく増えていると思います。


 全く健康だった人が心筋梗塞になって急死したり、葬式が増えました。私の母も、心筋梗塞で倒れました。今までも心臓に問題があったことなどない人です。今はペースメーカーをつけています。バンダジェフスキー博士の講演で、博士が放射能と心臓病の話をされたとき、ああ、これなんだと思いました。


 私自身の健康もおかしくなっていきました。そういえば、ずっと マスクもしないで外で過ごすことが多かったのです。だるくて布団から起き上がることができなくなっていきました。仕事中にも眠くてしようがないのです。吐き気がして、駐車場に車をとめて、ぼんやりしていることが多くなっていきました。


 医者は鬱だと言い、薬が処方されましたが、全く効きませんでした。かえって目眩がひどくなりました。体にいつも弱電流が流れているような感じで、単純な作業をしようとしているのにやり方がわからない。気分転換のつもりで買い物に行って入ったお店で、そのまま訳が分からなくなって何時間も突っ立ているようなことが起きるようになっていきました。死にたくなったり、音楽がなると踊りだしたくなったり、判断ができない、自分でも何をしているのかわからない。放射能で脳をやられたハムスターが死ぬまでグルグル回り続けている映像を見ましたが、私もあんな感じでした。1ヶ月休職しましたが、1ヶ月経っても症状は悪くなるばかりでした。


 それで、どうにもならなくて新潟県新発田にきたのです。
http://www.mapion.co.jp/map/admi15.html
東電からは一回目に70万円出ました。生活費と引っ越しですぐになくなってしまいました。二回目に17 万円出ました。それと、生命保険を解約してなんとか現金を作りました。
 ところが新発田に引っ越してから、嘘のように健康が回復したのです。書類のことがあるので、O村の役場に電話すると、厳しく詰問されるような感じでした。それで、中途半端ではいけないと思って、新発田市に住民票を移しました。もう、福島に帰るつもりはありません。

まだ東京や首都圏の都市部なら、疑うとか調べるぐらいの頭を持ってる人々が多いけど
ふくしまの、田舎の村じゃ…




東京都の田舎・青梅市役所もね、あのころはゴロツキ職員をかき集めて
放射線量担当の窓口に配置し
舌打ち、指ぽきぽき、殺気など駆使して、
まともな会話をさせず
とっとと追い出していた。話そうとすると殺気を出して睨みつけるので会話ができない、ありゃおそらく極道を抜けた男なんだろうな。


23区の中には観念して区内をかたっぱしから除染して回ったり誠実に対応してるところもあったけど
青梅市とか入間市は全然ダメだった。安心安全ですからと、国が大丈夫って言ってますからと。
で舌打ち、殺気。あるいは5人ぐらい集まってきて叫ぶ「私達はこんなに頑張ってるのに!貴方はひどい人だ!」とか…これ全部演技。役所が窮するとよくやる手口、サラ金業者も使う手口。


 ◇


近頃拾った画像