先従隗始・温故知新

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設定をバブリーに惜しみなく無駄遣いするガルガンティア


かつてはけっこうそれが普通だった時代もあったが
今やそうしたアニメはほとんど見かけなくなった。


手っ取り早く、流行トレンドの設定テンプレをトレースした安っぽいセールス向けアニメ…萌え、学園、部活、ハーレム、少女バトル…


ガルガンティアの手法では、たった1クールに数回のOVAで手詰まりになってしまう。
けどあえてそうする良作というのが昔は主流だった時期もあったという話。設定拡張しすぎて資料集でしか見かけないもの多数、みたいな。


ガルガンティア世界じゃ、スーパーロボを復活だの活躍させると世界が破滅するからね…


けどそういう面倒は、この現実世界にもあって
原子力だの、現代の巨額のワールドマネーだの、
空気読めに潜む魔法戦争や魔法によるいたずらだの…(サイキックとも言えるが、捉え方は人それぞれ)


そういうのって、つい気軽に深く考えず乱用してしまうけど
ひとたびミスやアクシデントが起これば、
人間というサイズでは収拾不可能となる。


棍棒〜拳銃までの人類には、こと魔法や原子力は荷が重すぎる。知恵のレベルが追いつかないからだ。
テクノロジーがどんどん神仏に近づけば
神仏と同レベルの完璧超人として未来を予知し正しく対処し続けねばならなくなるが
それは少なくとも現代人や、せいぜい100年後の人類でも不可能だということ。


つまり現代人〜100年後人類は、今のような迂闊な原子力運用、マネーバブル運用、魔法乱用では


存亡の危機が何度起きても足りない。


一見、チェインバー復活してチャッチャとやっつけると爽快だけど
そのすぐ先に待つのは人類滅亡だよという。


人間なんて所詮、猿を少し進化させただけの、ただの生肉で出来たいきもの。
いくら知恵や知性を振り絞っても上限はしれている。テクノロジーはどんどんシビアでハイエンドにして行けるが
どんどん人類の限界には追いつかないものになっていく。有事の暴走でかんたんに手に負えなくなる。


中高生といったガキほど
むしろ政治影響力だの、組織力だの、そして魔法力だのに、安易に依存し、夢中になって舞い上がる。
しかし人生経験、実務経験、社会人経験がないので、それらのリスクは全然わかってない。しかし万能感で舞い上がっておりなんでもわかったつもりでいる。
非常に危ない。
しかし残念なことに米国政府筋や、日本政府筋ですら、中高生レベルの判断で動く粗野粗暴浅慮ぶりが目立つので…だからこそ今の人類に上記のものは手に余り、滅亡を招く要因である。


閑話休題


いちおう続編構想はTVシリーズとしてはボツでテキスト販売で様子見ということだから
ノベルの反響やらを見極めながら、映像化をどうするか判断するのだろう。またOVAかもしれない。
ただ村田監督筋は設定は膨らませても展開や演出を壮大に膨らませるのは苦手(なんというか理工系)なので、そこはネック。
世界観や絵的描写は分厚いのに、展開にそこはかとなく薄さを感じてしまう。
理詰めで設定を構築していく村田筋に、ずきゅーんばばばーんどかーーん、ちゅっちゅいちゃいちゃ、で筋書きを盛りつけてく人材が加わると鉄板かもしれない。




http://jin115.com/archives/52074458.html
OVA翠星のガルガンティア』前夜祭レポ! 幻のTVシリーズ第2期の構想は、2015年夏に小説になって登場
http://dengekionline.com/elem/000/001/033/1033754/